今はサクサクいくことが価値になっている。
ファストフードもフードデリバリーも手間暇いらずで、すぐ食べられる。
歌謡曲が数分間で要約凝縮したもので、クラシック音楽の流れでも小品が充実している。
ひとつ難しい問題は、物事がスムーズでベルトコンベアのように、役所の手続簡素化を曲解して、物事にも人にも向き合わなくなったことだ。
昔は玄米を1口口に含むと100回程度は噛んだ。今は白米を丸呑みにして満足している。
音も香りもじっくり味わって人生を楽しむ。
古文漢文や世界の古典作品を楽しむと時空をこえた満たされた人間になる。
愚かな現代人は時間とお金に追い掛けられ、成功者が借金取りに追われるような人生で、演目や休暇まで忙しく過ぎ去る。
カールベームの録音や動画を楽しむのは、今の人たちには確かに遅すぎて難しい。
ある程度信徒の多い忙しいお寺では、定刻の儀式がしばしば5分以上30分近く遅れることがある。
人間が息を引き取るのにも、1つの用件を片付けるのにも、予定どおりにいかない。
それを本邦現代人は何年何月何日の何時キッカリに臨終してくれ。
さもなければ迷惑だという感覚が強まっている。
もっと速く効率的に大量殺人をしたい。
一人一人に向き合っていられない。
第二次世界大戦のナチス下のドイツ人と同じで人は処理する対象。
文章も絵画も音楽も、ゆったりした時空間でまったりリズム感よく美醜を浮き立たせる楽しみだ。
時計を気にしてただ速く片付ける耳当たりのよく目に優しいお調子優先となると、どこかの上手いおべんちゃら。
タイトな時間にどれだけ濃厚でふくよかな時空間を表現できるか?
1分1秒なんて気にしている日本のセコい現代人に音楽や芸術はムリなのだ。
世界は幸も不幸もみんな人生を堪能している。
忍耐や辛抱は心身によくないが、じっくり人や物事と向き合うだけの力は必要だ。
日本人はもはや世界でもっとも不幸な民族なのである。
弱すぎて話にならない。