オーストラリアのケンタッキーフライドチキン店舗で、閉店後に従業員が廃棄の商品を食べたりぞんざいに扱った動画が50万回程度再生され、日本のメディアでは解雇必至の論調で報じられていた。
企業への迷惑行為と不衛生だという根拠での主張だが、それはとても日本的な感性だ。
信義とか商品サービスの信用は公に解雇にするほどまでには損ねていない。
もし解雇・契約解除などにするとしても、こういうレベルの案件では話し合いと同意は必要で、従業員が改心するか会社として廃棄商品管理を徹底するか、実は労使双方の協議問題なのである。
褒められた絵でないが、廃棄するものをどういう過程で処分しても従業員の裁量内で、間違いなく一方的に解雇にする理由としては不充分だと感じた。
まだ食べられるゴミを食べても倫理的に問題ない。
ベルギーEUの鉄道・地下鉄は改札機がなく物乞いや犯罪予備軍が駅構内列車内に、自由に出入りしている。英米でも似たようなこと。
日本の改札機は料金で客を通過させ、広告でも働く人のためのメトロだとキャンペーンをしている。
すべての人間の移動の自由と生存権をほとんどの日本人はまるで理解していない。
公共交通機関の使命と役割は困窮者排除だという悪習は途上国そのものの価値観だ。
ヨーロッパ観光でよくスリやかっぱらいにあう日本人がいるのは、常日頃から広義の困窮者たちを排除して寄付も施しもしない日本人への天からの追徴課税である。
数年前、新宿駅窓口付近でお札を落として三十秒くらいして気が付いたら、もうお札はなかった。
日本人の場合は困窮していない人でも持っていく。
勤労者のモラルは最低。
無職者だけでなくアルバイト従業員まで攻撃対象。
困窮者の賽銭泥棒など極悪非道な許しがたい犯行という感性は古代人未開人そのもので、成長路線とは言い難く恥ずかしい。
小さな落ち度でなんでも排除しているのだから、就労者は絶対的に不足するし、日本版アウシュヴィッツ収容施設は各種増設されて減らない。
その規範で教育段階のイジメは教育委員会推奨の御公務のようなものになっている。
政教一致は重大な問題なのである。
価値観は押し付けるものではなく、行政は多様性と個人を尊重しなければならない。
日本人は我が私利私欲の価値観の共同体として見ざる言わざる聞かざる。
人間のために傾聴する能力が著しく欠落している。
虐殺こそ正義の非人道的社会主義は見直す必要がある。
日本人のための欧米との連携はその中でしか機能しない。