コンビニでカップ麺を買って食べたら節約になるという人とならないという人がいて、どちらとも間違いだと思う。
それぞれの理由も間違いだし、節約はなんのためにするのかみんな違うからだ。
様々にここまで節約したという話はみんな参考にすればよいが、方向性を間違えないようにしたい。
長く使えるものをリストアップして一生ものを厳選する節約を楽しむのも立派な節約になる。
食費は確実に栄養バランスと食事時間と運動量などの関数から導き出す最適解とマッチングさせることから選択する食事にかかる費用であって、安いものを選ぶことは節約にならない。ならないどころか医療費や余計な出費をひきおこすような食費の節約がたくさんある。
自炊と惣菜系と外食などでバリエーションと調理のコツを掴もうとするありきたりな楽しみかたを工夫するのは、投資と回収そのものだ。
しかし、いろんな節約を考えても、結局時間の節約が一番大切で一番効果があると思う。
時間の使い方ひとつで金銭的節約はずいぶん進化する。
時は金なりと言うが、金が時にはならない。
時を金に換えるほうが簡単で、金を時に換えても上限は寿命だから、実際上の知恵としては、ことわざのようになる。
貧乏暇なしというが、稼ぐために暇がない様を指して貧乏ということと同じだ。
時間こそ豊かさのエッセンスであり鍵を握る人間固有のコンセプト。
わずかな人生の時間をまず節約有効活用するべく、できることを努力しながら、それに沿ったお金の使い方を常に修正し続けるとよい。
地域ごとの最安値を探すことから得られるものはそれほど大きくなく、むしろ人生のどの地点でおおまかになにをするべきなのかを考えて衣食住を選択することが節約だろう。
習慣的にしばらく毎食納豆でも平気だが、時々お造りやステーキを堪能したいというメリハリのある楽しみ方。なにかの目標達成記念と相乗効果を狙うなどの文化的節約効果の最大化を通奏低音として持っていると面白い節約がたくさんある。
手持ち現金、普通預金ではない心の資産は絶対的に減らないし、第三者が奪うことのできない宝である。
なんのために節約するのか?
ずいぶんとみなさん違うところへ向かっている。
電車の行く先を確認してから乗らなければ地獄谷行きの途中停車駅のないものもあるからご注意いただきたい。
高次元の満足だけを見て、そのためだけに生きる。
贅沢は敵だというナンセンス。
贅沢を味方にして、贅沢は身に付けるべき教養だと知ることだ。
お金は使いきれないだけ世の中に溢れている。
贅沢にお金はいらない。
節約して貧乏になるのが一番アホ。
同じ時を贅沢に過ごすためにお金はかけない。
同じ時だし、同じ人生だ。
少し難しい話かもしれない。