これは、たぶん生真面目な人たちに対する批判が大なり小なり含まれる話だ。
信仰熱心な人ほどそうなのかと言われれば、熱心な人たちに確かにケチな人が多い割合だなと思う経験はたくさんある。
だいたい困窮まではしていないが、普段は質素で裕福な生活をしていないわたしと食事を楽しくしようという人たちは、だいたい金額より楽しく時間を過ごそうという人たちだから、それほどイヤな印象はない。
いつどこで会っても楽しく穏やかに会話できる。
華僑や日本人富裕層の文化として、多少まではごちそうしておいて得になるし、いざというときには助けて貰えることもあるから、ケチるより惜しまずに楽しむ。
それは一般人でも似たような人たちがいて、ケチというのは世間と天下を小さくつまらないものにする。
最近数年間困窮気味で気持ち程度助けて貰うことがあり、その時にケチな人たちの特徴は確かに信仰熱心で、長く振り返ってもやはり日蓮正宗系の宗教にはケチな割合がかなり高いことに思い至る。
付き合いが続かない人たちは、人との時間を大切にしない人たち。
人の人生を破壊しても誹謗しても熱心に開き直る自己満足にひたるだけ。
大切な人生を味わって楽しく過ごす智恵すらないような程度のものは要らない。
もちろんそういう豊かさを意識的に振る舞いに表す立派な信仰をしている人もいないわけではないが、おそらく5厘未満の稀少種だから、そもそも論語読みの論語知らずで満ち溢れている不利益しかない人たちとは続かない。
人間は単細胞に相互の利益になることしかしないのだから、少しは他人を大切にする気持ちにお金をかけるべきだ。
見返りは半分だけ期待しておく程度で、釣りエサを持っていかれたって楽しく釣りをするのに、人間に腹が立つほうがおかしいのである。
熱心に発狂しておかしくなっていく宗教は世界中にたくさんある。
無意識、無自覚な神道や洗脳に気付かないユダヤ主義の日本人たちも多い。
神と仏の威光では思い通りにならないからといって、他人に犠牲を求めるのが利己主義の極みの軍事行動や犯罪、増税だ。
わたしは賢明に人生を楽しむためにやるべき仕込み下準備に生涯勤しんで人間(霊性のある生き物)を大切にしたいと思う。