まだ学生だった97年に、オーケストラ楽員の処遇や労働にまつわるお悩みなどを、実際にプロオーケストラ楽員にお聴きして、労働条件の資料とにらめっこしながら研究する機会を作ったことがある。
その時の労働条件は芳しくない印象で、業界でもプロオケはみなさん不摂生だと囁かれていた。
合わせだけで4時間を超えるのが当たり前。
労働経済学から分析しようとしたが、なかなか難しく、労働条件改善を願いつつ公的支援の拡充と文化の一般的浸透の遅れを論文(限定公開)で指摘した。
全国民的な財産としてのオーケストラという視点は、残念ながら日本の経済界、音楽業界の大多数に馴染まなかった。
最近新しい資料を見るとここ25年で給与水準は下がり、勤務時間は減らなかった。
楽員は年々追い詰められて激務化している。
それをなにか善いことであるかのように楽員をおだて上げ、学生にさらなる過酷さを求めるとんでもない人たちがいる。
オーケストラ楽員は“選ばれた人たち”!人並み外れた才能+強運
篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師2022.05.28 18:00
という記事を読んだ。
音楽は個人の私利私欲であり、快楽と欲求充足だという日本的な感覚の専門家たちの意見はあまりにもひどい。
もともとの西洋文化の音楽では、地域の共有財産と憩いであり、富裕層限定の催事は一部である。
その一部を中心にしてしまうために、日本のオーケストラ楽員の処遇は過酷で当たり前。
日本人の労働環境はあまりにも過酷になった。
欧州の音楽と日本の音楽はまったく別次元である。
憩いを求め、楽しみを求めるのは同じ人間なのだが、低額か無償を基本にしている欧州各国と課金制の日本は真逆の文化である。
旧態依然の道徳的価値観に服従しながら収益を第一にする音楽と、人類史的公益を第一にする音楽は、違うものになるのが道理である。
資金がなくてはできないものを、資金によって思想宣伝用に酷使されるだけの日本のオーケストラ楽員はとても不幸な一面を抱えている。
楽しくやりがいがあるだけだと、それ以外は考えないで走り抜けるしかない人たちは、日本人勤労者全員を不幸にするムードメーカーとして利用されている。
わたしがもし若くして順調に音大を出たら一目散に渡欧するだろう。
日本だけが緊縮策でなにからなにまであまりにもひどい国になった。
公益法人の皮をかぶった飢えた私利私欲の音楽なんて、音楽の心がわからないことと同じではなかろうか?
指導者たちの哲学の無さは目をおおわんばかりである。
資産があっても哲学も音楽もわからないのである。
キリスト教と神道はまったく別次元であり、文化芸術を悪用する悪質さの罪はかなり深い。
日本人には労働者を酷使するために道徳規範を利用する習慣が抜けず、欧州各国では指導者を縛るための国づくりができる段階への進化が認められる。
欧米の大半のオーケストラ楽員は社会経済的に幸福である。