頼んでおいた包丁の研ぎができあがっているので、築地の刃物屋さんまで受け取りにあがってきた。
鱗や太い骨がガリガリやって欠けがたくさんあったので、綺麗にしてもらった。
野菜と鶏肉をきってみて、包丁の重みだけでスッといくので、ありきたりに愉しくなった。
包丁は安物でそもそも本職が使わない部類のもので、それを頼むのに気が引ける人も大勢いると思うのだが、それは考え方が逆で、安物だからこそまともに研がなければまっとうに使えない。
研ぎ上がりの繊細で滑らかな刃のカーブと鈍い輝きを見ただけで、別物になって帰ってきたのだとわかる。
自前でできるのは、メラミンスポンジで表面の錆や汚れを落とすくらいで、下手に頑張って研いで刀身を歪めないほうがよいと思った。
築地なので、職人さんたちが毎度すぐに頼める刃物屋さんが何軒もあって、素人は迷うのもよいが、本職の職人なら一定以上のレベルがあるだろうとお願いして、別に支障なく仕上がったので、助かった。
本数をこなしている店ならだいたい大丈夫だと判断した。
大工やバイオリン職人など数百年単位でやった仕事が残る。
毎日使わない包丁だって数ヶ月からの間に経過の違いがわかる。
いい加減な誤魔化しがきかない。
槙は千年、榧は永遠というスパンで今の自分をみつめて生きる東洋の美質が幸福満足度を左右している。
バイオリンは残念ながら350年をこえてくると音が弱ってしまうそうだ。
ガスパロやアマテイは優しくて好きだが、この先はもはや置物や趣味的な楽しみかたが中心になる。
音楽のCD.DVD録音はほとんどプロが編集しているから、本当は無価値に近い。
ホールのライブ録音は実力だから真価がある。
そつなくこなす演奏職人にも価値はあるが、アジアを全否定してユダヤ収益主義に走っている音楽家が多いこともたしかで、人類の不幸にわたしはとても苦慮している。
素材を完全に活かして自然とともに歳を重ねる東洋の日本人古来の感性は、世界中の普遍的価値観と響きあうものだと思う。
大量生産とお金に振り回されない日々の味わい。
時空間が無限の中の営みの実感。
南無妙法蓮華経。