FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

幻の銘木 榧のまな板を実際に使ってみた

20年以上まえの一時期、料亭の料理人と親しくさせていただいたことがあった。
その料亭はかなりの歴史があって、大将は京都で修行した本物の料理人。
ひときわ冴えた料理をごちそうになった。
詳しくは個人情報に触るので置いておいて、包丁やまな板とか米や酒、魚介の鮮度などのこだわりは半端ではない。

飛鳥時代舒明天皇(じょめいてんのう)は、日本の第34代天皇でその開基になる大安寺は当時の大寺院で、そこの仏像たちは榧の木でできているそうだ。
遣唐使は栢(ひゃく)の木の仏像を伝えたが、日本に自生している榧の木がもっとも優れているので日本で仏像を造るのに重用した。年輪が詰まっていて木に粘りがあり、彫刻が容易なのでかなりの繊細な細工ができる。木の目と垂直に彫ることができる数少ない木だという。
榧の木は、木に非ずと書くように、木らしからぬ特性があり、比重が水より大きく水に浮かない。乾燥させると軽くなる。油分が多くて腐りにくいので木造船舶の材料になった。
直径1メートルの榧の木になるには300年は必要で、奈良時代にはいくらでも自生していたものの時代を追って稀少になっていく。
もともとインドの白檀が好きだが、榧もお線香に用いられるそうだ。

あとひとつ前置きがある。
まな板の年輪は111本あった。
ただいつ頃の木でいつ頃の年輪なのか特定することは個人には難しく、ある程度の幅で推測するしかない。昨日の記事を少し修正。
碁盤の木口をいくつか見ていると、年輪が詰まっているのが中心よりのほうのものと、全体的に詰まっているものと、部分部分詰まっているものがあって、産地の気候の影響がある。
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わたしのまな板はその最初のパターンで、中心よりのほうの目が詰まっている。
このパターンは目の詰まった部分だけで100年以上を占めていて、あとの150から200年のところは少し幅が広い。
広いといっても1番広くて3ミリなのが榧のすごいところ。
直径1メートル、半径50センチの材料が標準で、3ミリ×300年=900ミリ=90センチで、目の詰まっている部分、中心部分の心材のところは1ミリから2ミリしかない。
わたしのものは、だいたい中心に程近い部分だが中心そのものではない木目の弧で、300年前後に生えた木の最初の100年分部分は使っていなくて、およそ200年前からの111年の部分だろう。
1822年頃から1933年頃の部分±50年程度の誤差と考えると1772年から1983年だからちょうどストラディバリウスが亡くなる頃から近代。
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榧の木のまな板で、野菜や魚を切ると、包丁が別物になったような錯覚をする。
トントン拍子とはこのことか、トントン心地よい音がする。
同じ野菜がシャキッとし、魚の切り身が踊りだす。
水をかけて布巾でサッと拭くと、木肌と表面の水があまりに美しい。
乾くのも速い。
手触りはすべすべな官能的恍惚感。
一昨日まで薄いまな板を使っていて、今度3センチの厚みがあるので、まな板がどっしり安定して使いやすい。
今は多少重たいが、筋力の衰えとともに削り直しで軽くなっていく。
まな板立ては、いちょうのものを東武で買ってきたが、ぴったり。
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榧の木の碁盤は盤の厚みで10万円から130万円くらいする。
ほおのまな板のほうが材が少し安い。
猫柳や柳にいちょうだと寿命が10年は短い。
榧の木のまな板は誰にでも製作できるものではない。
ほんのわずかな材と珍しい業者の気の長いマッチングでようやく製作している。
商売として榧の木ほど割に合わないものもないそうで、幻のまな板だと言っても言い過ぎではない。
中国産の榧の木すら伐採禁止になったそうだ。
いよいよ榧の木の価値はあがる。
木工職人はたくさんいるが、まな板に最高な木の入手が難しい。
碁盤で大量に木をストックできるようなごくごく一部にしかない。
プレミア感とか特別感とかいう感じは人を見下すようであまり好きではないが、これだけ歴史文化的な価値を感じる木も少ないので、ありきたりな日々の調理に芸術性を感じる逸品として大切に使いたくなる幸せのまな板だ。