FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

まな板が欲しくなった(注文の稀少材もの)

f:id:FujiYama:20220414150027j:plain現在の住居に来てから、ドンキホーテでお手頃なまな板を入手して使っていたが、それほど悪くもなく良くもない。厚さが1cmの板だから軽くてよいが、多分ひのきなら悪くなかろうと誤解したような記憶がおぼろげで何の木だったか忘れてしまった。それくらい間に合わせの譲歩として選んだもの。8年経って、ぞんざいに扱ってきたこともあり、端がカビて黒くなり、表面は傷だらけで見た目がよくない。奥行きが21センチなので、斬ったものがよく板からこぼれる。横巾は35センチでなんとか足りている。反りもなく単身向けとしてはよく使えたほうだと思う。
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まな板の木に暗いわたしはにわかに知識を入れ、順番に猫柳、榧、やなぎ、ほう、いちょうが高品質だと知る。1番手頃ないちょうの木を西武や東武で手に取ってみるとなるほど美しい。
しかし赤いいちょうが2万円をこえていてしばし考える。白いいちょうは油ぶんが少なく、木の表面に近い材だから1万円を切る。
適性がもうひとつの桧(ひのき)などにはもはや興味がわかない。
奥行きが欲しく、巾は今より欲しい。
そこで見つけたのが榧(かや)のオーダーメイド。
べらぼうに高価なのかと思ったらそうでもないが、安くもない。
奈良平安期に仏像に使われ、今も碁盤の最高級素材なのだそうだ。その端材の有効活用らしいからそれほど高価ではない。
心材で油ぶんが多く、木目がある程度綺麗な柾目のものを注文した。
厚みが3センチなので削り直しができる。2、30年くらいの寿命をウリにしており期待したいが、予定は未定。お手入れひとつで決まるからむしろ心がけ。
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碁盤は日本の榧を使ったものが幻のレベルで少ない。たいてい中国の雲南省の榧の木である。
雲南産のものと価格はそう変わらず、木の質そのものはどっこいどっこいで、どちらも稀少で質が高い。300年もの。
毎日使っている塩は雲南省の生産である。グーグルでも塩田が確認できる。
いわゆるホンモノを追求していくと、和の文化が中国にどうしてもつながる。今は逆に安全性の心配があるが、日本では天然塩は作っていない。
遠戚の高名な書道家の先生はしばしば中国に渡る方で、国交があまりなかった時代をこえて続いてきた永い交流がある。
浄土宗、禅宗天台宗日蓮宗などあらゆる仏教も中国経由だから、中国共産党の横暴には閉口しながら、米中の狭間で確実にうまく泳ぐ必要があるということだ。
ちなみに開祖が日本人なのは日蓮宗だけで、日蓮の教義解釈のベースは天台宗である。依経が法華経でお題目は天台大師経由の日本語訳。
ユーラシアの悠久の歴史と現代人の感性が同居する日本人の木の文化を感じながら、簡単な調理の音と手触りを楽しみたい。
榧の木の業者さんは真言密教の方なのか弘法ゆかりの線香を取り扱っておられる。
西洋のバイオリンの裏板のメープル(カエデ科)の木目の使い方にはお国柄が多少あって、こだわりのない木目の方向で製作するデザインというのも1つのセンスである。
以前はフランスの木目の揃え方こそ美だと思い込んでいたが、実際使っていくと、こだわらないセンスの美しさがわかってきたりする。
表板はスプルース(マツ科)だからだいたい同じ方向の目で大差ないが、やはり細かく綺麗に揃ったものが美しい。
榧の木の樹齢からストラディバリウスの円熟期からフランス名器リュポの時代を経ている雲南の木。
和洋の複雑な文化的交錯をシンプルな価値にして楽しむ。
なにより素材がよいもので素朴な食材たちと向き合うことができる幸せこそお金では買えないわたしだけの人生なのかもしれない。
わが家の食材たちの舞台は桧舞台から榧舞台となった。
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第一印象。
どっしりした安定感。
じゅうぶんな広さ。
手触りのなめらかさ。
水気の馴染み方、浮き方。
独特の嫌みのない香り。
明るく美しい木目。
あまりに包丁がきれないことが浮き立つ。
非常にバランスが悪い。
包丁をとがなければならない。
材の中心がわかる年輪はちょうど111本あった。
ストラディバリウスの円熟期は1715年あたりからで、リュポは 1758-1824の人なのでだいたいおおまかにそのあたりの年輪とかぶるようだ。
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