FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

現世無間地獄がなぜ実現しているか

f:id:FujiYama:20211030213132j:plainエリートと努力について考えてみた。
いろんなエリートがいて、医療エリート、国家エリート、学術エリート、宗教エリートなどがあるが、
日本の場合、なんでもよいから働けと言って、無理して病気になってもぼろぼろになっても誰も知らないという特徴がある。
休養、養生、治療、道具、器具、研修、教育は不足不十分なままであるが、それは自己責任だという。
戦後食糧事情がよくなり、体格がよくなって基礎体力は向上しているから、戦前や戦中よりは生産性は向上した。
しかし社会教育として過労が当たり前だとしてきている現状にはあたりまえに疑問が湧く。
公益にたずさわる人たちや公的機関への納入業者たちが、偽装データ、データ改ざん、我田引水、私利私欲にまい進しているのが一面真実の正体であることを真正面から受け止めるべきだ。
われわれ国民は公益を謳っているものが公益に資していない事実を認識、理解しなければならない。
貧困と病理の固定化が進み、階級世界観による身分階級が明確になってくると、紀元前のインドの法華経に出てくる貧窮下賎を譬えにした民の判断能力の低さは自明であり、努力や科学による幸福追求がまったく考えられないことになる。
財閥とエリートというのは古代インドでは長者と一切声聞という表現で出現するが、その構図はあまり変わらない。
人類の希望となるべく出現した釈迦やキリストのはずだったが、支配層のための仏教とユダヤキリスト教になり果ててしまった。
宗教がそういうものになってしまうと、一般的に身を守る術はあるのだろうか?個人としてできることがあるのだろうか?
イスラムやヒンズーのように貧困層ばかりが原理的に危険な自爆ばかりするのは参考にならないが、王族出身の釈迦と漁師の子供の出家だった日蓮の視点の差異はたいへん参考になる。釈迦は王族だから支配層から下賤を見て救うという形だが、漁師の子供が教養を身に着けて立ち上がる勇気、魂こそ富裕層とエリートの供物になっているあわれな世界人類の力になる。ちょうどインドは大国であり日本は属国クラスである。
心ある人には知恵をあたえ、心すさんだ人には題目を唱えさせる人類の根本的問題解決方法は、ただ一つしかない。

理性や資産がある人は六波羅蜜の布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の6つを修行をやらなければならないと気が付いているが、実際にはやってられないしありえない。もはや人類は自己を信頼したり努力を確実にできるなどと思いあがってはいけない。
もし人間がそんな立派な人間なら、もともと殺戮も殺人も詐欺も起きないし、取り締まりも完全なはずである。
現実の人間はいい加減ででたらめで信用に値しない。医者の不養生に、医者が殺人し、弁護士が詐欺をはたらき、、、馬鹿にはキリがない。釈迦仏教には効果がない。
他人が病み死亡することにまったく無頓着な神々はさらに言うまでもない。
宗教を知らないまま、間違ったまま、なんとなく科学的知識の断片ばかり追い回すその姿は、どう見ても無間地獄である。
私は現代的にスマホ地獄、ネット地獄と呼んでいる。
ユダヤの神もキリスト宣教師も天照もどきも、しめしめ下界の動物はうまく騙しおおせているとほくそ笑んでいるのだ。
なにしろ天才エリートたちを酷使できるのだから、一般人は奴隷でも好待遇である。
奴隷でもネコだましと炭酸飲料くらいで機嫌がとれるから暴動の危険もないし。

日本人は完全に舐められている。