資産や健康、友人や名誉名声、見識や経験などだれもが幸福を感じる要素というのは、一定部分共通している。
日本で第一党が自民党と神道系列だから絶対に幸福かというと、おおまかに幸福な要素はあるが、けっして幸福ではない人たちが大勢いる。勝ち馬に乗る、尻馬という要素では幸福というより不幸なのは当たり前だ。
世界的にはユダヤキリストの尻馬で幸福になれるような気がする人も多いが、やはり怪しい。
規模でいえば、日本人は神道だし、世界ではキリスト教であるが、これはまったく過半数には及ばない。
つまり規模では幸福の保証にはならない。
対抗馬という場合、正面から議論しても負けないという意味あいがある。
神道ではとうてい勝てないから、神道は対抗馬として採用できない。
スポーツ選手が個人で勝っても、生まれて育った環境の優秀さはあるが、宗教的な正しさや強さとはまったく違う。
人間を奴隷扱いしてボロ儲けしたから優秀かというのは大戦の完敗で正体を露わにした。
たくさんの要素で幸福を競おうとして不幸になるのが人間だ。
従って、いかなる要素においても左右されず幸福になる人間が幸福である。
そういう意味で対抗馬ではなく完全なる勝利と完全なる幸福を実現するものが一番だ。