尾崎豊15の夜 2239万回視聴。YouTube。再生回数が世界レベルだ。
私が高校生の時、放熱の証という最後のアルバムを買って、その前後に尾崎豊さんが亡くなったと報道されたので、とても印象深い。他のアルバムはレンタルCDからカセットテープに録音したものをよく聴いていた。
なにが私の心をとらえたのか、その当時はまったく理由がわからなかった。
遠く離れた地方都市の高校生には何の縁もゆかりもない尾崎豊。
クラシック音楽が至上の音楽だという成育環境だったから、我が家でバイオリン禁止令が出たショックが大きかったというのが、ひとつの大きな理由かもしれないが、それではなぜ尾崎なのかという理由としては弱い。
40歳手前で上京して数年後ある日蓮正宗の寺院を訪ねることになる。
あとから知ったことだが、その寺院が尾崎家の菩提寺であった。今は足が遠のいた寺院であるが、しばらく通って大声で勤行唱題に励んだことが懐かしい。
幼少期にある近所の日蓮正宗の人が、私に仏壇の前に座らせてなんみょうほうれんげきょうと唱えてみろと勧めた。まだ幼稚園児だったので、よくわからないまま、唱えてみると心の中がパアーっと明るくなった。自分の心がそれまで暗かったことに気が付かなかったので新鮮な印象が残ったのだが、その一回きりで生家一族の浄土真宗と神棚の文化へ戻ったきり、もう数十年そんなことがあったことを忘却していた。
寺院でお題目を唱えてしばらくして尾崎豊さんが日蓮正宗の信徒だったと知った時、言いようのない感慨を感じた。上京して間もなく公開葬儀の会場になった護国寺を散策したことを思い出す。人だかりが当時テレビ中継されていた。
絶望の中に希望の光を見出す尾崎さんの歌になぜ惹かれたのか少しわかったような気がした。高校時代に自分がクラシック音楽家になれないという絶望の淵で救いを感じたのも、幼少期にお題目で希望の光を見たのも、似たような感じで、それは現在の自分とも共通したものがある。
尾崎さんの場合は代々日蓮正宗の信徒だから、当時の創価学会が混入して混乱を極めた寺院という難しさが際立つと思う。奥さんが日蓮正宗をやらずに創価学会員を選択した時、尾崎さんの苦しみは頂点に達し、ツアーバースのあと母親が亡くなってからはもう正常さが認められない段階になって間もなく亡くなる。
私が青年期に健全に発育できず努力できなかった環境に苦しみ、自分の人生が手のひらからこぼれ落ちていく辛さを味わっていたとき、尾崎さんの歌はよく響いた。よくカラオケに行ってシャウトしていた。
そしてお寺で彼が手を合わせたであろう同じ本尊に祈りながら、なぜ尾崎さんは祈らなかったのかと過去の彼を責めた。たくさんのツライ事件や出来事があったことは、みんな同じだし、私も同じだったから、それなら日蓮正宗の信徒として祈ることができたはずではないかと思った。
そして創価学会の害毒と罪深さに思い至る。奥さんが創価学会に行っただけではない、当時の混乱した寺院が成育環境だったと。彼はその環境の影響をもろに受けて、祈ることがきちんとできなかったのだとわかる。
自立もしたい人気も欲しいというありきたりな若者として、希望の実現のために祈りを抜きにしては成り立たないことを、彼は知らなかったのだろうか?日興上人様は言い遺している。才能がある者は様々なことをさしおいても日蓮大聖人様の御書を学べ。後の世の信徒らは教学を弁えない間はまず第一に寺院参詣して学文せよ。と二か条がある。そういう信徒としての基本を親や祖父母が教えなかったのか豊さんが聞かなかったのか。
もうひとつ日興上人様は言った。間違った宗教を責めずして遊び戯れ雑談してはならない。
きちんと勤行をして、寺院参詣しながら折伏していれば、才能ある彼があんな人生を送ることはなかっただろうなと、心から残念に思う。その信心修行を正面から否定している創価学会の独善こそが彼の敵だったのだろうし、いくぶんか害毒に染まった尾崎さんというのもいたのではないかと思う。創価学会は人格形成を要する信心より欲得や名聞名利に逃げるように仕向ける。
一度もお会いしたこともないし、コンサートにも行けなかった才能ある歌手なので今さら私から彼になにも言うことはできない。しかし、信心の鉄則というものには誰も逆らえないものだなということはわかる。きちんと信心しないで、名聞名利に踊らされた挙句、ボロボロになった人生は悲惨である。日興上人のたまわく学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶ふべからざる事。きわめて厳しく言えば尾崎さんは日蓮正宗流ではなかったということになろうか。
尾崎さんには感謝もしている。
あなたのおかげで、絶望の淵をなんとか生き残ってようやく日蓮正宗に辿り着きました。苦しみは決して無駄にはいたしません。
今は大御本尊様の陽光の中、あなたのような有名人ではありませんが、絶望的な状況にのまれずに、感傷にひたらずに、地道に信心をさせていただいております。
数日前、ネットで検索していたら、尾崎の墓は所沢市の狭山のあたりにあるらしい。その墓地のすぐ近くまでよくサイクリングしていたので、また不思議な感じがした。
最近はあまりカラオケに行くこともないのだが、数年前にバイオリンの練習に使ったとき、ついでに歌ったのはやっぱり尾崎豊さんの曲だった。
太陽の破片、17歳の地図、忘れな草、卒業など昔よく歌った曲を。
とてつもなく苦しんでも日蓮正宗信徒を貫いたことに敬意を表したい。
ふと、あと10年はやく日蓮正宗が学会を破門にしていれば、どれだけ多くの悲劇が回避できていただろうかと思った。