FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

日本人気質 機材最優先 金持ちの貧乏 文化的成熟には師弟関係がカギ

 自転車ユーチューバー古河修三という比較的地味な発信者が動画をあげて「安全はお金で買える?」というお題で論じていました。

 安全運転意識をどこまでも踏みにじるような主張をする人がたくさんいるのも事実です。たとえばメンテ費用がかかる高額なディスクブレーキをつければ雨の日も安全ですよ、ブレーキは105グレード以上のものならよくきいて停止できるのだからお金で買えるじゃないか、という塩梅です。ブレーキには誰しも安心できる製品を使いたいのは当たり前ですが、実際にそんなに高額ではないブレーキがたくさん装備されて街を走行しています。それでは安いブレーキだから事故を起こしているかと言えば、まったくそんなことはありません。

 別のいくつかの動画では105グレード、アルテグラグレード、デユラエースグレードなどのブレーキ性能を急制動をかけて比較したものがありました。これは実に滑稽なのですが、ブレーキをかける人によって停止までの距離が違うだけのことでした。ユーチューブで偉そうなことばかり言って人気ものだから実力があるのかと思えば、ただのどんくさいまともにブレーキもかけられないような金持ちもいるのです。そんな人のチャンネル登録者数が19万人。誰とは言いません。人気者なのでしょうが、うさんくさい人種もいます。

 ブレーキだけではありません。高級パーツを使った自転車を市民権の印籠のように自慢して再生回数を稼ぐ人ってどうなのでしょうか?ただ高額な自転車が購入できてメンテ代が気にならない所得があれば、それだけで自転車愛好家だということなのです。クロスバイクが普及しない理由はメンテの店があまり信頼できるところが少ないか或いはメンテ費用が高いことです。高級機材を扱う店こそがクロスバイクを見たがらないということがあるのです。うちは20万以上のブランドものしか面倒見ないよという店が実際あるそうです。金額で敷居をあえて高くしておいて、貧乏人の来るところではないという店構えです。これでは一般的な庶民は、まともな自転車を買おうなどと考えるどころではありません。今までも105グレードは見栄ではないのかと書いてきましたが、やはり金に物を言わせただけの悪趣味であることが多いんですね。だいたい20万円以上の新車を選んだり50万以上の車体を好めば、あなたも一人前の自転車乗りという空気があるんです。それでレースに出て表彰台を狙えるような人はまだしも、表彰台は3人しか乗れません。高級ロードバイクの9割方は明確に無駄だと断言できるわけです。プロと同じようにペダリングをしっかり鍛えてその実力がある人がお手頃価格のクラリスグレードの8万円のロードバイクに乗れば十分に速いもので、基礎ができていない人がいくら高額なバイクを所有しても単なる所有欲を満たすことが第一です。しかし機材の所有欲を満たすだけの自転車愛好家もどきが後を絶ちません。ナルシに業界はウハウハです。

 そんな金額的な理由でクロスバイクはママチャリと同じだと見下されています。材質による価格の違いと変速機などのパーツが違うのとフレームのジオメトリが違うのが主な違いですが、クロスバイクはママチャリと同じ価格帯で高級ロードバイクと速度において大して変わりません。速度は完全に脚力の問題です。街乗りならむしろクロスバイクのほうが乗りやすい。なぜロード乗りが奇人変人なのか、という理由が見えてきたのではないでしょうか?別に特別速く走る脚力も技術もないのに何十万円や百万円もするような高価な自転車を愛好して所有しているのですから客観的に奇人変人とあまり変わりません。

 そしてどうやら彼らは自家用車につぎ込む金額を想定しているらしい。。。業界もそれを見込んで商品を売っているので、一般には贅沢品であるという感じでしょう。

 毎週末になると200キロを超えるライドが常であるというような生粋のロード乗りたちは、高級機材を使う価値があります。しかしインテリアにするような人たち、街乗りが多い人たち、レースで表彰台が遠い人が、なぜそんなものを欲しがるのか疑問です。なにか楽しいのでしょうか?自転車に乗るのが楽しいのなら、もっと安くて良い自転車がいくらでもありますし、自転車で運動をするためにも、もっと安くて良い自転車がいくらでもあります。クラリスやソラ、ティアグラの10万円前後までで、よい自転車があるものを、わざわざ使いこなせない20万円以上の高級品を買ってしまうのか?そこには思い入れという厄介なものがあるのです。この思い入れというヤツは他人がどうこう言っても無関係です。同じ家計なら私なら絶対反対します。無駄だ。やめてくれ。贅沢は敵だとか言って。趣味に金かけるのはほどほどにしてくれ。恰好つけてロードに乗っても結局フラットバーロードに落ち着いている一定数の愛好家もどきが確実に存在していて、彼らは極めてまぬけな浪費家たちです。

 彼等には何を言っても届かないでしょう。業界はそれで成立しているので別に文句を言うヤツは営業妨害もどきだと迷惑がるでしょう。思い入れにどっぷり浸らせてまんまと儲けようという皮算用です。業界はできるだけ多くの人に自転車のためならエンヤコラとなってほしい。

 この記事は、そもそもツーリングを楽しむために必要なレベルの自転車を、どのラインに置くかという話でもあります。少なくとも私は機材について考えても機材最優先にはしません。

 ツーリングが楽しいレベルはクラリスグレードで、メンテ費用がもっとも廉価で、クロスレシオで楽しむと最上級のデユラエースなどまったくどうでもよいシロモノです。11速と8速の違いです。3速しか変わらないのです。歯数差を見てみると歴然とします。ワイドレシオの11速とクロスレシオの8速というのは、それほど変わらない。これは平均よりすこし脚力があればカバーできる範囲です。ツールドフランスも昔は8速だったんですよね。しかも昔の8速がダブルレバーで変速していたのに、今ではSTIレバーやラッピドファイヤに進化して使いやすいことこの上ないものになりました。

 努力しない貧乏人を見下して、クラリスなんてと馬鹿にしているとまったく違う話になります。危険な齟齬が生れます。感覚のズレが発生します。3速のちがいはパーツ代のちがいでは、デユラエース20万円以上とクラリスが3万円程度です。

 だいたい高額な自転車を扱っている店はプロショップと称しています。このプロがアマに君臨するという上下服従関係こそが、日本の自転車文化を低次元なものにとどめているのです。自転車だけの話ではありませんが、機材をまず先にもってきて、貧乏人はまともな自転車は買えないからママチャリクロスね、という見下し方なのですが、バイオリンではスズキバイオリンねという見下し方になります。ハナから世界選手権の足切りですから、その不公正なやり方ではヨーロッパ勢には対抗できません。

 自転車もバイオリンもこどものころから高級機材の心配をしないで必要最低限のものでバンバン練習すると育ちます。そして当然指導者がほどよくきちんとした成長に導くのが業界の最低限のルールでなければなりません。師弟関係は厳密にいえば命令服従関係のようで少し違うものです。趣味のバイオリンでも高級品を欲しがる人はたくさんいますし、満足に演奏できないのにコレクター的に所有して喜ぶ人がいます。

 しかしいずれにせよ基礎を作っていかねば無意味ですし、基礎を作っている人を見下すことはできません。高級機材や高級楽器は所有して資産価値として面白がるという面もあるので、そういった寝かせておく資産については、単なる富裕層の趣味として庶民とは無縁なものだと解釈するのが妥当でしょう。庶民にとってそんなバカげたことはありません。保管場所すらもったいない。

 基礎を作る、教育的な視点、師弟関係というものが抜け落ちた日本人気質。金はあるけど基礎はない。高級品は持ってるけど基礎がない。ロクに使えない。

 自転車は特に速い人にはすごい脚力が備わっていて、その人が基礎練習に励むから速いという二つの要素があります。時速50キロ以上の人たちです。ほんとうに速い人なんて稀なわけで、普通に速いのは天性の脚力どまりで、基礎のある人には歯が立ちませんから、速いのは恥ずかしいことだという面もあります。

 では最初から高級機材をなぜ求めたり所有したりするのか、と言えば業界が儲かるからでしかありえません。バイオリンで見てきてわかりましたが、基礎練習をするのに高級品で練習するとセンスが楽器に流されて磨かれないという傾向が強いのです。高級品には高い官能性が備わっています。甘く危険な罠です。これにどうしても酔う要素が強いので、冷静である程度規則正しい基礎練習をする上では、その官能性が邪魔をするのです。曲のもつ音楽性を掴みづらいというところが大きいです。昨今ストラディバリウスのような高級品を使っても古典曲の解釈がおかしい人たちが多くなってきているのですが、皆最初からよい楽器です。逆の考え方もあって、所詮官能性を抜きにした音楽はないから官能性ありきであると、いうのです。私はそういう考え方は間違いだと思います。ほんのごく一握りの才能しか開花させないからです。

 特に子供に悪酔いさせて官能に浸らせて間違った成長を導くのは、その人の人生までも狂わせる危険な考え方だと思います。きちんとした指導と併せて必要なものは、官能性が適度で健康な楽器だと思います。その場合の官能性は、整備がきちんとできていることが最も重要で、あとはほぼどうでもよいものです。健康というのは響きが美しいものであるということです。人の声でいう甘く媚びたような音の楽器もあります。

 ではきちんとした自転車乗りの指導者がいて、きちんとしたピスト車の練習環境があって、基礎を叩き込む走行コースがありますか?ということが重要になります。

 えせ自転車愛好家たちが、天性の脚力と高級品をみせびらかすだけで、東洋人ははたしてレベルが高いと言えるでしょうか?三輪車に乗っている子供と大差ありません。

 どこまでも人間、人類の一員としての自転車乗りであるということを意識しなければ、とても恥ずかしいことだなあと思います。日本では昔から子供に贅沢をおぼえさせるな、と言います。これは実に正しいことです。金銭でまかなえるものはごく限られたものであるという考え方が、最近は逆に金銭でなんでもまかなえるという考え方になっているのです。これが、日本文化と国際競争力を蝕んでいます。

 キリスト教文化のよいところと悪いところをきちんと理解して導入しなければ、ただの拝金主義だけが蔓延ることになり、他の記事でも書きましたが、日本人文化は終焉を迎えようとしています。

 お金で解決するものは大した問題ではないのです。お金では解決しない問題こそが、人間にとってもっとも重要なのです。

 自転車関連の動画に興味をもってプロレーサーたちが何を言いたいのか、耳を傾けてみると、バイオリンや音楽の世界とよく似ているなあと思いました。音楽のよいところと悪いところをきちんと理解して生活に取り入れるために、大人が世界の豊かな音楽文化を楽しんでから有益な音楽環境を子供たちに提供しなければならないのだなあと思いました。

 楽器商が儲けるだけの現在までのやり方では、日本の音楽文化は育ちません。やはりクラシック音楽は富裕層の占有物で終わるでしょう。公益性を無視して富裕層の占有に帰する以上、義務教育課程の音楽科というものの存在意義が損なわれています。音楽愛好家を思い入れに浸らせるだけでは罪悪にこそなれまっとうな商売とは呼べません。

 私は現在いちおう指導者に巡り合えていますので、思い入れに浸りっぱなしのようなまぬけで危険なことはありません。よい指導者はその匙加減をすることに長けているものです。基礎と楽しみのバランスをとりながら、確実に成長させていくのが指導者たちの仕事です。基礎というのは単純作業ではありません。意識レベルを発達させ、毎日基礎に立ち還らせ、生活の質を改善したり良い質のものを維持させるような作用があるものです。

 元プロのフランキーたけがあまりにしつこいので、ペダリングの話をよくよく聞いてみると、おちはボーイング練習やなんかの話と同じだったという。

 高いものを所有する満足というのも全否定はできませんが、中共の幹部の資産には及びません。もっと堅実な人類の一員としての日本人が増えないかなあと願うものです。やっぱり古典文化を疎かにしすぎているってことかな。クラシックを好むといわゆる深掘りの楽しさとシビアな感覚というのが響きあって、より人間らしい充実感をもって生きられるなあと思います。クラシック音楽好きや自転車のクラシックデザインというのが表面的な見た目だけの恰好どまりになりませんように。

 音楽も自転車も高級機材でマウントすることで、あきらかに顧客層を限定してコミュニティから貧困層を締め出しています。貧困層が音楽を楽しめてまともな自転車に乗れなければ、それは地域社会の崩壊を意味します。東洋人日本人は貧者に対してえぐい残虐性をもっているなということがわかります。東洋文化には昔は慈悲という概念がありましたが今はもうありません。対して欧米を中心とした文化はほんとうに貧者や障碍者に対して寛容です。機材や資産ではなく、師弟関係、人間関係を中心に成立している文化です。