FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

投資額と運動量の適正化 してみたい

個人的事情と時代の変化

    身体障碍者というわけではありませんが、ある時期から歩行がきわめて苦手になりました。10年ほど前から、左足首周辺に違和感が生ずるようになり、ひたすら電動自転車と公共交通機関で移動して、とにかく違和感が嫌で嫌で1メートルでも歩かないようにしていました。

    当然に肥満体質になります。とうとう昨年末、血液検査の数値も非常に悪化して、食事療法を施すために入院が必要な一歩手前までいきました。

    さすがにお尻に火がついて、これは電動自転車や公共交通機関だけに頼り切っていてはいけないと悟りました。

    おりしも近年の食料品価格の高騰は目を見張るものがあり、エンゲル係数が急上昇している日本人の家計という事実から、健康のためや運動のために特にお金をかけなければならないような人は実に大変な状況になってきました。

    ひとつには運動がしっかりできれば何を食べても健康を維持できるはずですが、人それぞれの理由があって十分に運動できないで生活している人もたくさんいます。

    糖尿病予備軍など日本人の健康状態は年々悪化の一途を辿っているそうです。

    根菜類や魚介類などの価格を安定して維持できるようなシステム構築がなされないかなと期待するのは私だけなのでしょうか???グローバリズムの弊害で、良い食料品はどんどん価格が高騰して世界に流通するので、肝心の日本人のための食糧確保が非常に困難になってきているのです。あの西友のちょっとやばいとされる牛肉すら100グラム230円を超えました。25%ほどの値上げです。最近は尋常ではありません。

    このような状況に鑑みて、宝くじでも買って当たれば別ですが、まともな食糧を確保し続けることが難しいならば、では運動量を増やすしかないというのが結論で、そのためにやむを得ず投資しなければ健康は維持できません。森永という経済学者がとぼけて年収200万円でも十分だとか言っていますが、まっとうにはありえません。誰もが健康長寿を実現できるような日本であってほしい。

自転車にいくら程度かけるのがちょうどいい?

    さて、人力自転車にかける適正な価格ですが、用途別に考えます。買い物、区内近隣の用件、通勤通学、中距離サイクリング、長距離サイクリングといったところです。おおまかに中距離までと長距離までの分け方が一つと長距離用ですべてまかなうというやり方がもう一つです。当然投資額が違います。

    もっとも高額なのは長距離用と中距離まで用の2台購入で最低でも20万円前後となり、次に長距離用ですべてまかなう場合で15万円前後、そして中距離までですべて片づける場合は6万円くらいまでで済むということになります。長距離にはロードバイク、フラットバーロードを想定し、中距離まではクロスバイクです。

    単純に高い安いではなく、これは運動量が金額と比例するか否かが重要なポイントになります。高いだけで運動量が稼げなければ無駄になりますし、安くても運動量が多ければお得感ありです。

    これはどうしても自転車で運動量を稼がなければならない場合に限っての話ですが、レアなケースでも考察するのは面白いものです。

    クロスバイクで4時間ほどかけて概ね平地の往復60キロを走行すると2000キロカロリー以上消費します。これを週に一回程度行い、その他の日は近隣の所用に使用するのみにとどめると運動量はほぼ2500キロカロリーです。月に換算して1万キロカロリー

    実はこれは肥満度合が高い間は非常に効果的でした。実によくやせるもので驚く。

    しかし週に2回以上中距離走行しだしたところ、効果が激減したのです。果たして何が理由で痩せ方が減るのかと考えましたが、実際に体重減少幅が小さくなりました。おそらく体脂肪の燃焼が一度起こると、再びの体脂肪燃焼の準備をするのには1週間くらいが最適な期間であるということだと思い当たりました。つまり2~3日では体脂肪燃焼準備期間が足りないので燃えない。(どこかの研究者に科学的立証をしてほしい)

    投資額の話から運動量と運動の間隔の効率化の話にそれているようですが、当然やたらめったら運動すればよいというものではありません。

    ではなにをもって長距離用の人力自転車にわざわざ投資をするのでしょうか?人は走行中に風を感じ、太陽を感じ、草いきれを感じ、アスファルトから立ち上る陽炎を見ます。

    どうやら運動のモチベーションと長距離走の魅力と長距離用自転車という関連が重要なようです。そして月に数回の走行が楽しく効果的なダイエットになるかどうか、というところでわざわざ投資する価値があるかどうかが決定されるということになります。ダイエットし続ける習慣が健康を回復したり維持したりするコツでしょうから、それが中距離まででできるか、長距離でなければできないのか、ということをどのように判断したらよいのか?です。

生活全般と自転車の関連性

    これは住生活環境と走行環境に依存しています。中距離までで問題なく健康維持に成功する住生活環境とは、ストレスの少ない郊外や自然豊かな地域においては、単に生活の中で人力自転車に乗るだけで健康は維持しやすいでしょう。対して過密地域で信号と踏切と段差と渋滞と人だかりの中を走行していては、距離もなにも自転車そのものに乗ることが苦痛であり、郊外かそれより遠くへ出かけなければサイクリングが成立しません。通勤通学や所用などで必要に迫られて絶大なストレスの中、止むを得ず自転車を利用しているだけですから。ひと月にどれくらいロングライドに時間と労力をかけられるかという生活環境も重要です。しかしこれは本人の意志の力で時間と労力を捻出するという性質のモノかと思います。いつまでたっても始めないと始まらない話なのです。

    気持よく運動し、健康を維持するためには、食事や睡眠の質を高めることも重要ですが、なにより適切な運動量を確保することを忘れてはいけません。運動を抜きにしてどれだけ食事と睡眠の質を高めようとしてもうまくいきません。そのためなら必要に応じて長距離ライドできる人力自転車に投資することも重要であると言うことができます。他に方法がない場合ですが、中距離まででは都心で運動量を維持するのが難しい人には、致し方のない出費です。もちろんロングライドこそが生きがいだという人は最初から郊外や農村地帯や山間部、沿海部など自然豊かなエリアに住んだ方が早いでしょう。

私の場合は食べることとお風呂に入ることと眠ることが生きがいの基礎なので、ロングライドには都市部に居住する不便という逆説的な環境に納得しているわけですが。しかし人力自転車が真に止むを得ない唯一の運動方法であるレアな人もいるんです。

    個人の運動状況をよく自覚して、年齢や食事内容を考えてみると最適解が出てくるので、人力自転車を実情にあわせて活用してみるというのはとてもお勧めできます。

    これだけ長々とクロスバイクロードバイクについて悩むのは、クロスバイクの限界と都心のストレスが爆発しているということなのかもしれません。大都市部のよさは音楽環境と食糧入手環境が大きいのですが、クロスバイクで都心を走っていると、時折本気でキレます。何かに怒鳴りたくなるような当たりたくなるような閉塞感があります。逆に狭山公園の多摩湖外周なんか走ると嬉しさで全身で叫びたくなりますもの。自転車のフレームやタイヤのために、あそこの路面は再舗装が必要ですが。

    フィットネスジムの室内トレもすぐにストレスが溜まって喚きたくなってしまいます。自覚として、比較的ストレスに弱いなと感じますが、程度の違いはあれ誰しも似たり寄ったりではないでしょうか。

    本題ですが、人力長距離用自転車の価格について、ロードバイクは変速機がシマノ製で7段階ありますが、実用性はどれも何とかあります。フレームは数十年使用できるクロモリ系で決定して間違いありません。他の材質では10年もてばよいほうですから数年後には買い直さなければなりません。そうすると主に変速機のグレードで価格が変わってきます。長距離信号の少ないエリアを走行する場合、やはりスピードに乗りたいし、しっかりブレーキが効いてほしい。

   そうするとデユラエース、アルテグラ、105、ティアグラの4段階に絞られます。そして当然最も廉価なティアグラにしか手が出ません。なにしろ庶民は最近エンゲル係数が高いですから。

   さて、ロードバイクでティアグラで組んだものの中から選ぼうとするとラインナップが案外少ないんです。そこで105で組んだものも選択肢に入れなければならないのかと思い、さすがにレースに出るわけではないし、などと遠慮がちにラインナップをあたります。

    仕方なくクラリスやソラで組んだクロモリフレームのものをティアグラに載せ替えるという手の込んだ買い物をしなければならず、非常に悩みが拡大しているところです。まずは長く使える気に入ったフレームを購入するつもりでクラリス組の自転車を買って物足りなくなってきたらティアグラに載せ替えるという一本の道に誘導されているのだなあと感じます。ほとんどの人は見栄半分で105に載せ替えます。最初から気に入ったフレームにティアグラを載せていてくれると一度で買い物が済んで安上がりなのですが、残念ながら業界の儲けのために貧乏人は半強制的に貢献させられるようになっています。そしてそれこそが購入を踏みとどまらせている主たる原因かもしれません。

世界経済競争時代と日本国の基礎崩壊

   消費者が最も得をするように買い物をしようとするのに対抗している業界というのが資本主義では健康とされます。これが日本人の健康を損ねている原因のひとつです。ここに日本企業の哲学の欠如を認めることができます。アメリカの抱える矛盾と同じように、自由主義が成立しなくなるからです。日本人が健康を維持できるように食料品や必要な健康器具の価格をある程度安価に維持しつつ贅沢品高価格帯の製品も充実させるという二段構えが昔は厳然と存在しており、それこそが豊かな日本を実現していました。いわゆるスタンダードモデルを安く抑えて誰でも社会の一員として挑戦できる素地を整えていたからこそ社会に公正さをなんとか維持することができていたのです。

    今は本当に何でも必要最低限のスタンダードでも価格高騰になり、数千万人のエンゲル係数の高い家計単位では、稼働能力はもちろん健康すら維持できなくなりつつあります。これだけ富裕層のために社会全体が構成されてしまったら、もはやまっとうに努力する人はいなくなります。ただ食糧を得るためだけに奴隷暮らしをするしかない数千万人の日本人が健康すら維持できず、これからの日本はいったいどうなってしまうのでしょうか?日本製品の品質がどんどん高くなる一方、価格転嫁だけがすすんで消費者がどんどん消費者から脱落していく時代になっています。(極端な貧困層を世界に増やし続けて中華帝国の野望と世界政府という美辞麗句が付け入るスキを与えてよいものでしょうか)

    自転車業界もまた同様です。クロモリの国産オーダー自転車がたった3年くらい前までは15万円ほどでありましたが、今では25万円以上します。とにかく物価が異常に高騰しています。シマノの部品も効率優先で廃盤が続出し、値上げが断行され続けています。そんな中で台湾製自転車が値下げをしているのは日本人としては皮肉な現象です。

   今の経済の成功とは、株価が高いまま配当で楽ができる人種の収入のみを指して成功としており、この定義は非常に偏っており、明らかに国益に反するものになっています。日本国が国際社会で競争力を維持するためには、高価格商品を開発することが肝なのではなく、スタンダード製品を廉価でひろく国民に提供し、そのことをもって日本国民全員が自由を享受しつつ努力できる環境素地を整えて公正な競争のある社会にしなければなりません。もはやまともな労働力が富裕層と外国人留学生しかいないというのは、日本社会の滅亡を意味しています。数千万人が疾病を抱え何らかの社会的障害を抱えて懊悩するしかない日本という病んだ狭い島に、なんだか希望はあるのでしょうか?

    日本企業の投資は適正な内容であると言えるでしょうか?すべての日本人が健康を維持できる経済市場の状況と言えるでしょうか?日本の労働市場は健全であると言えるでしょうか?中小企業にも公正な競争がある企業活動と言えるでしょうか?

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運動不足の日本人とエンゲル係数高すぎる日本人と給与水準が下がりすぎた日本人と労働時間が長くなりすぎてしまった日本人と努力が報われない日本人と、その先に見える日本という国の未来は・・・。

    経済的成功とは何か、企業の利益の考え方とは何か、企業の社会的責任とは何か、日本のリーダーたちにまったく見えていない底なし沼がそこには厳然と存在しているのです。これではいくらまじめに納税しても追いつきません。底なし沼を作らないように、国の未来の健全なビジョンをもって、公正な国づくりの基礎としての企業活動に取り組まねばなりません。大株主たちにも愛国心や哲学が必要です。どれだけ収益があがっても国民がみんな病気になり障害を抱え誰もまともに子孫を作れない社会を作って知らん顔をする企業株主とは一体まともな人格をもった人間と言えるのでしょうか?

    富裕層や経済的成功をした人たちに欠落した視点というのがわかりやすいものであるにもかかわらず、何が原因で日本の滅亡を看過することができるのか、その理由を知りたいものです。まっとうな感性をもった人間ならば、収益と地域社会の繁栄は健全な努力と公正な競争の担保にあることくらい簡単にわかるはずです。グローバリズムの夢想に耽るかのような利益追求。熱に浮かされた病人の様に収益が一番だと喧伝し続ける株主総会

    香港のニュースを見て、日本は自由主義を維持しながら、地域愛や民族愛などを自然に保ちつつ、健全で公正な企業収益を追求してほしいと願うのは私だけではないと信じています。原因と結果として、数値上の金額を追い求める短期収益主義の弊害があまりに大きすぎるので、今の日本人の不健康さが事実として証拠としてあるのですから。自由のための資本であって、中国共産党や巨大資本(巨大宗教)のためのわれわれ日本人の不自由はゴメンです。

    今の日本経済はあまりにも基礎を疎かにし過ぎています。