FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

上流は日本(日本人)を売ってもうかる

f:id:FujiYama:20211121050539j:plain途上国ではバナナやなんかの生産物を販売して外貨を稼ぎ庶民を奴隷にして働かせる。
先進国では教育のうえ様々な需給システムを作って庶民が豊かな生活をする。

ところが先進国で唯一途上国と同じ低賃金な国が日本なのに、日本人は気にしていない。
低賃金の日本人が増えたことを他人事だと感じている。

収益がある企業は国際競争力が低下している。
経済規模縮小と人口減少は政府主導であり華族、財閥主導である。
先進国ではありえない。

日本人は税と社会に対する見方考え方を知らない。
わからないから一生懸命がんばる。
未開のオランウータンと極東の日本人たち。
華族と財閥と富裕層のとりまきはもうかる。

ノーマルなら生産物の質と量を上げるのだが、悪化させて海外勢に負け、庶民はおとなしく低賃金労働者をやり、さらに働きづらくなる維新や公明などを受容している。

多くの日本人には日本の客観的な姿が見えないらしい。
猿のほうが健全かもしれない。
無駄な努力をすればよい。
上にへつらってこき使われればよい。

今、日本が消滅しても世界はそれほど困らなくなっている。
あなたがいなくても世界は回る。
日本人に価値はない。
日本は必要ない。
中欧の食い物にされるだけの奴隷と植民地。

日本と日本人の処遇や立場を改善しようとする人たちは、ネットとマスコミで総攻撃され無視されている。
ボロボロの日本人を見ても最近自業自得だと同情しなくなった。
マスコミと政府に従って、海外資本に従って子供が作れないとか景気が悪いとか被害があるとか、それは因果関係が歴然としていて、日本人の頭が悪いだけだ。

私は日蓮の教えを学び、れいわ新撰組を応援するのが日本のためになると思う。
未開の奴隷猿にはとうてい理解できない。
地獄の猿は自民維新に違和感を覚えていない。
人間のレベルの知的水準や感性かどうかの判別能力の有無の問題である。

最近の日本人はもはやサル。
京都大学の藤井教授とはまったく面識がないが、彼の表現ではそういうことである。
もちろん科学的データから言っているし、日本人を貶めるつもりなどあろうはずもない。

現代の日本人庶民にはバイオリンが向いていない理由 精霊が息を吹き返しつつあるバイオリン 人類固有の霊的対話

f:id:FujiYama:20211118210108j:plain精霊の存在を信じない人は、まずバロック音楽に興味を示さないと思います。クラシック音楽も正統なものならまだちゃんと精霊が息づいていますが、本当の原曲の当時のままの精霊かどうかは、実はみなさんわからずに意識もあまりないまま演奏して鑑賞されています。
キリスト教徒の演奏にはある特有の霊感があり、かつそれは多彩な個性を持っています。おそらくミサとか宗派とか流派とかによる違いはあるものの、どこか共通している霊感です。
これを神道の邦人や日蓮宗系の邦人が留学して教会文化に飛び込んで学ぼうとするのですが、なかなか難しいことになる。借りてきた猫ではいけないと頑張るも紺屋の白袴
最近気が付いたのは、日本人の演奏に感じる違和感の正体です。
その意味ではスズキメソードは子供をキリスト文化に馴染ませる工夫をしているので、音色や雰囲気に違和感が生じにくい優れた面がありました。今はもう手本の奏者が変わり、生徒さんの演奏に精霊たちの姿は確認しづらくなりました。鈴木本人の演奏動画を見ると、日本の山々の霊感そのもので、違和感の塊です。
さて、音や演奏に感じる精霊は、いくつかの条件のもとで呼吸を始め、やがて生き生きと飛び回ります。
日本人が言ういわゆるうまいとかへたとかいう違いではありません。
音程を正確にとろうとした瞬間、一定の音を出そうとする刹那、他のパートと合わせようとするとき、フワッと精霊たちは顔をのぞかせます。
そしてその気持ちが続くと、精霊たちは満々とゆったり薫りだします。
音程が微妙になると精霊たちはそっぽを向いて隠れてしまい、リズムが違うと精霊は消滅してしまいます。
速く派手な曲を弾いても、精霊のお気に召さない演奏がたくさんあり、究極はストラディバリウスでもさっぱり精霊がイヤな顔をしている演奏もあります。
なかなかに精霊と交わり、楽しむのは難しくて、これは才能が要ります。
一生懸命とか集中してとか言うのは簡単ですがしゃかりきになっては精霊が逃げてしまいます。
心の耳を澄ませて音を聴きながら精霊たちと毎日お話をして、お互いによく知り合うことが必要です。
私はついぞ精霊たちがどこかへ去って久しい広漠と艱難の時を過ごし、それはなんとも言えない時期でしたが、世界の精霊、神々の精霊、魔や悪魔の霊気などを荒々知るための時期を経ることになりました。f:id:FujiYama:20211119050810j:plain
そうして三つ子の魂百まで、最近嬉しいことにふたたびバイオリンの音から精霊たちが顔をのぞかせ始めました。幼いころ教会の讃美歌の空気の中で会ったあの精霊たちと、ふたたび会話し始めました。
バイオリンは単なる道具ではなく、音楽は単なる音の組み合わせでもなく、作曲家たちはたいてい無宗教ではなく、自然環境と教会文化と精霊の交わりの中で、その素晴らしい音楽を生み出してきました。
東洋にはまだまだ野良犬根性がはびこり、精霊が見えない演奏家たちも、いまだに黄河文明をやろうとしているので、本物の音楽が育ちづらいのです。
せっかく莫大な投資をしてきても、神道では精霊の尻尾を触るだけに終わっています。
世界の超一流はみんな精霊たちを溢れかえるほど景気よく撒き散らして聴衆を満たします。
ちょうど欧米のコロナ給付金のようにみなさんが潤って満たされるのが本物の音楽です。
残念なことにプロですら優秀に音を出すこと(規定を満たすこと)は、精霊を得ることにはならず、悪魔の尻尾を掴むことになっています。
荒廃した日本の国土(農業)と経済(人材)を見るとき、精霊たちがこの国では青息吐息であることを認めざるを得ません。
政策や外交をみてみても、日本のエリートになにかを期待することもできません。
おおいなる精霊、万物の根源たる日蓮の魂とともに力強く日本人の心と精気を養っていくよりほか、この国に希望はないのです。
悪鬼たる閻魔法王と悪霊が精霊を鞭打つこの国はいったいどうかしていると思います。
私は欧米の信者でも東洋の信者でもありません。
人間が霊魂を満たして精霊たちと会話しながらの世界構築ができるようにと願っているだけです。
敗戦国では戦勝国に報復はできず、財物、物理的な幸福すら色褪せています。
精霊の存在に気が付いたならば、呪いの魂を捨てて、無限で最高の精霊日蓮(日蓮正宗)をかえりみることがわれわれの魂の解放のために、どうしても必要です。
闇に閉ざされた東洋の島国でも、日蓮と精霊たちと人生を歩むこと、人生を歩むことは不可能ではないと感じています。
精霊さん、お久しぶりですね。
お懐かしくまたお会いできてとても嬉しい。
この間、純正三度音程でしばらく微妙にずれていた長三度がぴったりあった時に、あなたがそこで息をしているのに気が付きましたよ。
それに先立つこと数年前、妙法蓮華経の経文を丁寧に読んでいるときに、ふわりと浮き立った精霊さんはまた清々しくて、思わず掃除を始めてしまったのでした。

カーボンのバイオリン弓の特徴と使い勝手(続編)

f:id:FujiYama:20211109130753j:plainいくつもの国のメーカーがカーボンのバイオリン弓を開発製品化して、もう何十年くらいたつのだろうか?出揃った印象。
以前の記事では、カーボン素材が軍事医療のためではなく、弦楽器の弓の素材としてそもそも見られていた目から鱗の素晴らしいアメリカの科学者たちの話題に触れた。

基準になるのは当然木製の弓で、最高の弓がわからなければ、カーボンの特徴もわからない。
剛弓としなりの感覚、弾性がひとつ。
ふたつめは響きの質とみっつめにその変化、経年変化。よっつめは重量バランス。
最高の弓は、最新のできたてのギヨームや使われていなかったペカットなどの名人作だと仮定している。

順番は前後するが、実は重量バランスがよいものが一番使いやすい。音量も音質もしなりも、実は重量バランスあっての性能で、バランスがとれない弓でいくらしなっても音がよくても使えない。
その前提に、最初にマスターする段階で使う弓がとても大切になる。大は小を兼ねるで、一番重たく感じるバランスの弓を使っていれば、それほどバランスは問題にならない。逆に繊細で軽いバランスの弓を使い慣れたら、いわゆる剛弓はどうしても使いづらい。
カーボン素材の弓はどれも基本、重たいバランスになっている。
鳴らない楽器でも鳴らせるほど重たくしっかり弦に載せる感じで、軽い(バロック系や発音が小さい)ほうがよいなら向かない。
ふたつめのポイントはしなりという素材そのものの根本的な違いで、カーボンはほとんどしならない。硬直化した弓だと当然手ゆびのしなやかさの範囲は狭くなり、微妙に運弓にコツがいる。私の場合、ナイロン弦をガット弦にするというアクロバティックな?調整をしたが、本来的には手ゆびの使い方が変わることになる。
難易度の高い曲をバンバン弾くような人たちは、しなりがないほうが弾きやすいと感じるから、シンプルに使い慣れれば硬さは問題ではない。むしろレスポンスがよい。
音質と音量だが、私の場合、素材の硬さとの印象に多少ラグがある。マーキスとGXは新作新品の芯のある音質に近く音量は最高である。
木製のよい素材のものは密が濃く硬い材なので、非常によく似た印象でそこに問題にするほどのラグはない。
つまり最高級とされるオールドボウで保存状態がよいものには、どうしても勝てないということになるが、そんな弓に1000万以上かける人はあまりいない。日々の磨耗疲労を気にする人にはありがたい弓である。百年してもなにも変わらず新作の音がするのは、どことなくなんだかさみしいが、超優秀な新作の音なので劣るという感覚は操作上ありえない。
弾き比べると音量ではオールドと変わらず、音質ではオールドが圧倒的に透き通って軽い音がする。
マーキスは芯のある音ではあるが透明感もそれなりに併せ持っている。
弾き手が繊細になっていくのが硬い材の名弓とカーボン弓で、磨耗疲労した名人作やもう少しの材の弓は弾き手を緩慢にする。
少し弾き慣れたら弓で演奏は恐ろしく別人のように雰囲気が変わっていく。
状態と材のよいオールドボウを二本か三本とマーキスかGXを一本の計三本か四本持ちがおすすめ。
どうしても木製のへたった弓(材はよい)とは感覚が違うので、スタンダードなよいオールドやよい新作(ペカット、サルトリー、トルテモデル)とローテーションで使うとラグがほぼなくて、サブやメインを問わずに色違いとして使える。
致し方ないが、軽い繊細なバランス系統だけを使う人たちには、まったく使えないシロモノではある。

維新主張の文通費返上の意味 日本人の生活と政治の関係 まちがった投票棄権は9割の庶民を痛めつける(衆愚政治の構造)

f:id:FujiYama:20211117194603j:plainf:id:FujiYama:20211117173207j:plainどの政党も似たようなよいことを言っているという段階から利益団体とのつながりで支援したり職場の都合など個人的な理由で評価する人まで、大半の日本人が政党を評価支持したり政治と距離を置いたりしている。

個人的な利害は特に地方で起こりやすく、それは地方特有の事情ということで片付く。

問題は、市区町村民としての利害とは別のところで、大きな流れができていて、20年とか30年とかの将来が決定的に国政で決まっていることだ。

衆議院選挙で自民党総裁たちがにわかに積極財政を打ち出したものの、積極財政の具体案はまだなく、おそらくひ弱なものになるだろうと予測される。

まず政府与党が適切な財政支出をしない理由は、野党が弱体化するように仕向けることが第一の目的であり、日本人が絞殺されていくように仕組むことが目的である。

ボスざると取り巻きには、楽できれいな仕事をさせてやるが、野党は一人でも死んでくれればよい。

とにかく人件費を抑え込んで、安い外国製品を高く販売して、外国人労働者をこき使えば、確実に野党勢力は失職したり発病したり家庭不和になって死滅する。

社会が不安定になり、景気があまりよくない状況が長く続くと、次第に寄らば大樹の陰になるので、多くの人が自民公明維新などに投票するのだが、積極財政をやらないから実際はさらに悪化していく。

マスコミは与党と維新を特別に優待して報道し、それ以外を排除し非難する。

そういう政党がマスコミという利権業界のために仕事をしているから、投票しても生活はよくならず、汚職が蔓延するという飢えた犬のような国民が増えて政治を支配している。

人間なら食料を分け合うが、犬は我先に餌をあさる。

給与水準が低下し、生活費が高騰している原因がまさに政府の誘導にあり、与党の私利私欲政治にあることが明らかなのに、日本人は棄権したり、与党維新に投票すればよいと考えている。

個人が幸福追求するために必要なのは人間関係とインフラであるが、どちらもボロボロになりつつある。

与党や維新を支持してもその流れは変わらない。

ホロコーストや民族虐殺の思想を実現するために政府与党が優秀な頭脳で懸命に日夜努力している。

政治が私利私欲を助長しながら財閥の商売のために仕事をするシステムにのせられて、日本人はただ苦しむだけに終わっている。

そこを明確に指摘して、きちんとした経済政策を打てる政党が国民民主党とれいわ新選組の二党であり、最近立憲民主党もそこそこの経済政策を打ち出し、それは自民党公明党よりははるかに水準が高い。

マスコミや東大京大などのエリートのほとんどが、富裕層のくだらない私利私欲の小市民にすぎないし、公益性や国全体の未来を考えられない人種の巣窟になってきて、この野党の健全化の流れは日本人における大きな進歩、進化である。

しかも国民民主もれいわも議席を伸ばした。

与党に居座るときちんとした思考を放棄してしまう人が多く、ふんぞり返ってわいろがもらえる話だけを待ち受ける生活になる。

ただの商売人になり、遠山清彦元議員らが家宅捜索など受けたりしている。

野党の主張がただの与党批判ではないまっとうな主張になってきた昨今、政治の流れを変えて、二十年三十年未来の日本人のわれわれの生活をなんとかやっていけるようなレベルにもっていかなければならない。

今だけカネだけ自分だけというほんとうに浅ましいだけで問題があるのは、高齢者障害者女性子供という日本人の過半数の弱者がバタバタ倒れていくからである。

医師や弁護士や有名大学卒の人たちが政治経済をまっとうに理解していない。

麻生議員など理解した上で、貧乏人がもっと死んでくれたらよいという趣旨を公言する。

宗教やわれわれの生活や幸福感というものにまったく無知に近いレベルで、どんどん勤労者や弱者を弱らせていく政治が、与党と維新による政治である。

スマホの値上げ、日常食料品の値上げ、ママチャリの値上げ、学費の値上がり、JR料金値上げとなにからなにまで、円が弱くなり、国内投資もなくなり、食料自給率が低いままで、日本滅亡の方向で政治を推し進める勢力に投票したり、棄権して間接的に支持したりすることは、まさに自殺行為なのである。

自分はまともで大丈夫だという人にほとんどの場合その根拠はない。

感情論とか自分の経験からくるだけの常識とか宗教が正しいからとか、ほとんど政治的、経済的、宗教的に逆切れの知的障害のような大卒ばかりで、わかる人からすると日々あきれ返っている。知らないなら学べと思うし、早死にしなくてよかった落とさなくてもよかった命が数千万とかの単位で発生していくことを予感できないのであれば、それはまた相当なにぶさなのではなかろうか?

ここ二十年余りだけでも、自公系の悪意によって出生数低下・自殺・変死・急死・精神科受診などで消えた命がもう累積で百万人単位で発生していることに気が付かない???

投票や棄権が殺人行為に連動していることを考えるのも生活実感の基底部分として無視できないものである。

平均的先進国の欧州人と比較して日本人はとても野蛮なのか危険なのかと用心しておかなければならない。

因果関係を個人の行為責任に求めることができるのはごく一部であって、全体観を欠いてはいけない。

社会人なら政治経済と生活の因果関係を理解しなければならない。

安心安全な政治経済は25年経過しても政府与党では実現していない。

文通費返上で、さらに賃下げといとも簡単な解雇契約社員化を促進する維新の主張に自民党もマスコミも同調している。

国会議員の話ではなく、日割り減額は国民の損失である。

素人はそれで税負担が軽くなるのだと考えるが、実際は議員だけでなく就労者の各種手当が減って、そのぶん売り上げが下がり、税負担はかえって増えるのだ。

有権者の大半は目先しか見えない馬や鹿なのである。

消費税増税と同じ効果のある日割り減額支給になる。

パフォーマンスやマスコミウケでアホな視聴者・有権者と踏んでいるし、実際そのとおりなのである。

日本の常識がなぜひどいのか 歴史の転換点 日蓮の弟子たちの勘違いから

f:id:FujiYama:20211029212010j:plainまずお金から出発して考えると間違いなく、日本だけ硬貨やお札が少ないというのが、日本の特徴だということを知っておかなければならない。

自分の財布や通帳にあんまりないと、これからしたいことはあまりできない。

それほど使えないというウツモードに突入する。ことわざでは貧すれば鈍する。

それが家庭の事情なら半分は仕方ないと思うが、ポイントは政治と宗教の問題から、自分の財布や通帳にあまりないという因果関係の存在である。

宗教や道徳で清廉潔白という言葉や質素倹約とか、戦時中には欲しがりません勝つまではという政府のスローガンがあった。

政府や政治は、かつて一億総中流というみんな平等に尊重しあう時代を築いた。

しかしそれがほんの一時的な、数十年単位の一過性の政策に終わった。

鎖国状態にして、外交活動を独占して一部の特権階級だけが海外旅行を楽しむ制度に変更した。

もともと日本人は倹約家が多い。

納豆と卵があれば贅沢だという感覚である。ごはんとみそ汁だけで健康そのものだからそのほかは贅沢なのである。

着るものも綿の無地に近いような地味な着物だけで足りる。

住むに女中部屋とかタコ部屋とか常軌を逸した狭い暗がりに寝起きさせ、ひと昔まえの製糸工場の寮の悲惨さは結核が流行するほどである。

自民公明政権になってから、いやそれ以前の大平内閣の時から、日本政府は緊縮財政に急ハンドルを切った。それ以来株主のための政府と政治になった。

この国の設計図がそうだから、みんなの給料は上がらない。

 

最近、ニュースで飲食店のスタッフがコロナで苦しいとツイットしたらみんなが苦しいのだからと攻撃されたと嘆いていた。

スタッフはみんなで助け合うべき時になんとひどいことを言うのかと傷ついたという。

西欧化は戦後急激に訪れたわけではなく、明治維新から積極的に採用してきているが、国民生活にゆとりをもたせることと、危急存亡の際には公的支援をすることが、劇的に明確にされたのが、日本国憲法以降である。

戦後75年を超えて憲法がかなり定着しているから、まったくひどいことを言うなと私も思う。

しかし75年以上前は、餓死者が出たり人肉食者が出たり自爆攻撃が政府主導で行われていた。

そしてそれを基準にしたままの宗教と政治が日本には残っているから、ひどいことを言う人たちは、それを常識だと言って改憲が必要だと主張している。

宗教や政治というのが、まじめに働くことを第一にするのは、現代では日本だけのことであり、世界中で家庭の幸福と個人の自己実現を第一にしていることと対称的だ。

たとえば欧州で音楽家世帯主死去による寡婦に対して組織的に遺族年金を作ったら、その後その年金制度は拡大していく以外にはなかった。健康で文化的な最低限度の生活というのが、向上していくことを前提にしているから、最初は業界別に保障していたものが全国民対象になる。

しかし日本では、働くことが第一なのだから、保障を縮小させる発想。

年金が減額される法律ができたが、欧米ではありえない。

なぜ憲法に勤労の義務を明記したのかという疑問があるが、まさにアメリカ人の都合ではないかと言わざるを得ない。そんな憲法ありえない。

働くことは人間の権利であるものを義務だというのは、黒人奴隷の代わりに黄色人種の奴隷を制定することが目的だったのであろう。

旧来の日本の伝統にも、士農工商という農奴制度があったから、日本政府にとってかなりおいしい話、うまい話として義務化できるという都合と合致した。

日本の仏教では、もっともまじめな仏教徒は中卒で働けばよいし、給料を返上したり、休日を返上したり、家族そっちのけで、寝る間を惜しんで働くとよい、という不文律が存在している。そういう滅茶苦茶なまじめな基準をそもそも日蓮正宗においても推奨している。月収7~8万円の人から1万円とか時には5万円の布施をさせるなんてありきたりの常識なので、仏教というのは、かなりえげつない宗教である。

まじめという日本のゆがみが宗教にあり、それを政治が擁護して推奨するという形が日蓮がなくなってしばらくしてから、日本社会に蔓延しだした。

武田邦彦という学者が昔の日本について幻想を語るかのように、みんな人間として尊重されていた高度成長期の話をしていたが、実は中世ごろまではそうだった。

日本人が日本人同士で慮って、皇室が民の生活を心配していた。

日蓮鎌倉時代に出現して、まるでゴジラのような表現だが、その手紙には彼がいかに厳しい環境で生活したかということと、信徒が寝る間を惜しんで命を顧みず日蓮のため日用品や金品を貢ぐことがたくさん書かれている。要は人もカネもモノも貢ぐことが素晴らしいというところが、ほかの宗教ではそれまでなかった。

富豪が武家や公家に金や財宝を献上することはあっても、一般の庶民や公務員クラスがそんなに命がけで生活を切り詰めてモノカネ人を献上することはなかった。

ここから約800年間、日本のすべての歯車が狂っていることは明らかである。

ここ30年ほど、消費税を導入して引き上げて、食料品の価格を引き上げて、耐久消費財を中国で生産して高値で販売し、株主優待だけを優先し、生活保護最低賃金を実質的に大幅に引き下げ、労働時間の制限を撤廃し、食事代を切り詰めさせ、まともな衣類が買えないように中国製のユニクロ製品を蔓延させ、ネットカフェ生活や路上生活も選択肢にし、1年契約の学校教員を常識にし、窮乏生活を時代のスタンダードだという国造りが完成している。

憲法のおかげで、せっかく誰もが健康に働けるようになってきた文化が根付いた世代が増えたのだが、それは宗教と政治で許しがたいということである。

民意はまちがいなく豊かな生活を志向する。

政治と宗教は、なにがあろうと困窮生活を強いようとする。

敗戦の反省はもうどこかへ行ってしまっている。

また一億人が身の危険を感じるレベルの国になっている。

仏教の教えは、日蓮正宗の教義が間違いなく正確であるが、その教義をどこでどう間違えるのか、信徒の心得に無駄遣いをなくして金銭を提供するように文章で明記されている。

そこから進学や留学などの教育文化が贅沢扱いになる。

問題は仏教の最高峰だという説得力がほかの仏教すべてに及ぶことである。

日本社会は仏教によって統合されてきているから、どの宗派でもそういう節約してお寺に上納金をするのが常識になってきた。

給料が20万円でも50万円でも8万円で生活して、残りは差し出せという教えになるとたいていの家庭は子育てと進学がおろそかになる。虐待があたりまえになる。

富豪でなければまともな仕事、職業訓練は受けられない。

 

現代の常識では、職能を重視した成育による幸福追求の道がある。

もう宗教と関わる必要はほとんどないわけで、誰も死後の世界なんて信じない。

奨学金制度が未整備状態だが、健康な人は留学してしまえば、その留学先で奨学金を支給されることがある。

日本の宗教と政治は変わらない。生命を尊重すると主張しているれいわも共産もほぼ国防を無視している。(過日耳を疑ったが共産党が安保を重視するらしい)

必要な最低限の給料はだれも支払わない。

どれだけ頑張っても、いかに真面目に生きても、ただ借金苦とか生活苦とかしかない。

納豆や卵は贅沢品だというのが日本の常識なのである。伝統的富裕層でもそれは同じだ。

そこをよく考えて、職能の狙いを定めて20代までに実務能力をつけて幸福の土台を作ることがとても重要になる。

いくつもの宗教規範なるものを勉強して、まあなんとひどいのだろうかと思って、今の若者たちが気の毒になったから、こういう記事を書いてみた。

途上国よろしく武器のない子供相手にぶんなぐってこき使うだけの日本の年輩をあまり敬う必要はないだろう。あがりはみんな富裕層だけがもっていくシステムである。

護憲という言葉があるが、むしろ護民のために憲法を大切にしてほしい。

自分を護ることが一番であり、憲法が法律の一番であり、これを間違えるとさらに自爆の強要はエスカレートする。

みなさんに自爆を強要し続けているのは、まちがいなく日蓮正宗のまじめな人たちである。(創価学会顕正会も例外ではない)

魂の収支と自己責任を政治に転用する人たちには、まっとうな人間の扱いができない。

自腹を切れとか特攻機に乗れとか自己責任とか。

努力とかまじめとか。

日蓮の教えとは真逆、正反対になっていることも敢えて書いておきたい。

日蓮正宗(ほか仏教各派)のまじめな人たちに言わせると、キリストの愛はなにがあろうと不正である。医療は利権であり介護は不要だから不調がある国民はみんな虐殺したってかまわないくらいの感覚である。コロナで困窮者の支援なんかきちんとするわけがない。

奴隷兵士養成システムとしての法華講がその呪縛に自ら気が付くようになることを願いつつ、特異な日本社会のゆがみの根本原因、起点になっているものを発見したので、よくよく注意して意識的に考えるように日本人に知らせたい。

人類からみて日本人なんていくら大量死しても痛くも痒くもない。

日本人が気が付いて日本人が変えていかなければならない。

馬鹿な日本人はえさに食いつくから、長期的な改善をまったく見ていない。

根本がわからないからいつまでも目の前のえさに食いつくだけしかできない。

お金が浮いたときになにをするか、どこに使うかを見れば、その人の本性がよくわかる。

大石寺の大御本尊を拝んで功徳を感じたとき、つまりパワーアップした時、信徒を育成するよりもまず先に貧困層を追い払って生活を追い詰めていくひとたちを見れば、法華講の本性がよくわかる。きちんとした弟子ならば貧困層に施しながら修行をさせる育成の基本形を外さないから、法華講の規則等に公益事業としての規定を定めて明示しているはずなのだが、そういう具体的で公正な規則は見渡しても存在しておらず、悪平等な一律負担金だけは心得と称して明文規定し、さらに貧困層に対する締め付けを強化しつづけている現状は残虐非道な絶対君主制の側面の残遺文化として糾弾されるべきところである。

現代の常識にはそぐわず、約30年前に一挙に1600万人が日蓮正宗から離脱し、さらに離脱する僧侶もいたりするが、経済的には所得分配率からくる負担割合の傾斜がきついので、富裕層中間層にしかまともに修行できない制度になっていることがわかる。どうやらガチの極道システムとあまり変わらないので、広く一般大衆ができないようになっており、広宣流布という言葉はあるが、弱肉強食と虐殺の伝統的日本文化を公然と吹聴してしらふの現代人からドン引きされているに過ぎない。

幸福を基準にすればノーマルな宗教や政治になるが、不幸を基準にしていることが日本人の不幸を決定付けている。

何を言ってもみんな死ぬんだからみんな同じだと答える人たちには、政治は向いていない。死神に政治をやらせるとまた犬死の国民が増える。

みんな生きて幸福になろうとする前提で政治(予算)を組み立てる人たちにこそ、政治家の資質、官僚の資質があるのであるが、そういうノーマルな人が日本人にはまずいないのである。

あ、そうそう。

近世以降で、そのノーマルなお方が日蓮大聖人様と直弟子の日興上人でいらした。

市中にちらほらその心を言動としてとれる人もまったくいないこともない。

しかし内閣総理大臣衆院議長に対して諌暁できるほどの大物はもういない。

ふざけたような山本太郎の人望ではまだまだ笑い話にされている。

日本人が頑張って手に入れたあらゆるモノもカネも腕もなにもかも安く叩かれる政治と宗教の時代に疑義を持って先進国として恥ずかしくない国に変えていくべきだ。

日本人が幸福になることが一番だから。

和声には次の和声の適切な選択肢が決まっている。和のわからない私利私欲のエリートたちが日本人をニワトリのように絞め殺している。

マスコミの傾向と平衡感覚

f:id:FujiYama:20211114102028j:plain維新が議席を回復急伸した。
かつての民主党と同じ構図がある。
マスコミが後押しして人気者として取扱い、維新は不満を突いて不安を煽るやりかた。
財政破綻するというデマをとばし、財政学や経済政策学などのマクロ経済をまったく理解していないし、視聴者や購読者は真に受けている。
生活保護の支給額が多いと追求し、低所得者うしの足の引張り合いを煽る。
カジノ事業では我田引水の私利私欲を露呈しているが、さも税収が大きいように宣伝して、マイナス面と経費の大きさを隠す。税金を投入する事業として内需をまともに回復させるまでの今しばらくは不適切な事業。
都構想はれいわの大石さんが奮闘して本当のことを周知する努力でなんとか否決されたが、もともと行政効率をあげて経費削減ができるという説明が真っ赤なウソだった。
21年の衆議院選挙の公約では解雇のハードルをさげるとし、ますます雇用は不安定になるという。
旧民主党系がやってきた財閥と労働貴族のための政治を維新が進めようと画策している。
政治勢力を使って日本人を奴隷化し、税金を使ってやりたい放題し、税率や支給金を我田引水できるように立憲民主(旧民主党)を使ってきたが、目論見が外れて政策的に改善してきたため、マスコミはもう民主は使えないと判断した。
ちょうど維新なら使えるとマスコミはよい駒としてもてはやす。
政治は公共のものであり、誰かのものではないので、われわれはマスコミのミスリードコマーシャリズムに流されない賢い目線を持たなければならない。
政治は純粋な商売と庶民の不満を解消するための宗教として使われると、大量殺戮の歴史が示すとおりの失敗と禍根が生ずる。
SNSやニュース動画の書き込みには、科学的思考や教養のないものが多い。
テレビやマスコミ記事はそういうレベルの人たちをミスリードする明確な意図を持っており、そこでチヤホヤされているもの、取り扱っている意見らしきものは、ずばり国民に対する殺意であることに気が付くべきだと思う。
私はテレビは観ないし、マスコミの記事も無責任な誤誘導を指摘する素材としてしか読まない。
総合大学で学んだ基礎というのは、なんのことのない平衡感覚であり、世界の常識と良識との摺合せである。
同じ学卒とは思えない非常識な日本人たちとは馴染まないが、個人の自由である。
堅実な政治家かちゃらんぽらんな政治家かをきちんと見分ける目をもって、日本をよりよい国にしていきたい。
マスコミが取り扱っているのは九分九厘ちゃらんぽらんのほうだ。
そもそも弁護士とか専門家とかロクな奴はいない。
意外だったが民主党政権のあと維新が出てから理解したことで、関西人は政治レベルではあまり賢いとは言い難い。まさに意外にも歴史的な知恵の蓄積がない人たち、教養がない人たちがかなり多い。

スズキメソッド(バイオリン向け)の使い方

f:id:FujiYama:20211109195937j:plain日本人にはスズキメソッドを信奉して失敗する人が多いが、おそらく海外でも似たような事例が多いだろうと思う。
なぜ失敗するかと言えば、愛がなんとか言って楽器が演奏できるようになるという幻想を抱かせる宗教的要素と詐欺的要素を孕んでいるからである。
スズキなんてバイオリンで言えば百分の一程度からよくて百分の五程度のほんの入り口、チュートリアル
ボーイング(運弓)のとりかかりに向いているまさに初心者向けメソッド。
左手には大きな難があり、あり得ないフィンガリング(運指)をそこかしこに指示している。
つまり一生懸命やるとガタガタの下手になるメソッドである。
子どもが歩行をおぼえてヨチヨチ歩きをする段階である。
まじめに信じてやるより通過儀礼的に流すメソッド。
なぜスズキの評価が高いのか実は意味不明。
生演奏より録音を重視しがちになるし、変なフォームの人が多いし、結局高額な楽器販売が目的だろうと言われている。(詐欺的商品多数アリ)
もう20年以上まえに有名な映画でミュージックオブハートというのがあって、ニューヨークの貧民街の劣悪な環境で少年がスズキメソッドで自信と誇りを身に付けて成長していくという美談なのだが、ただ痛々しいだけの政治教育である。
かじる程度で自信と誇りが身に付く人はもともと健康なので別にスズキが優れているというわけではなく、大半は落ちこぼれグレていく。
スズキメソッドが貧乏人をカモにして政治的に貧乏人を黙らせることで成功してきたところが、私はむしろ欠点であり、失敗だと思う。
バイオリンに間口を広げるなら、きちんとした奨学金制度が必要になるが、あまりに限定的支給である。
特に日本では難しい。
政府給付留学生制度と同じで富裕層に支給するばかりである。
日本の社会文化的に不幸な人たちが増えただけ。
通過してどんどん進行した人たちだけが幸福になっている。
本来的位置は幼児向けなので、きちんと2年くらいやったらあとは教室と段階と教本は完全に別にしなければ、ほとんど変な宗教詐欺に終わることが多いから、適切に活用するように注意喚起したい。

付記。伝統音楽を低所得層に全部自費でやらせるなんて日本は狂気の世界である。
それとあわせて今年米寿を迎えられた豊田翁の深い造詣が死んだままになるのは実にもったいない。(何年か前に一度だけでもヴィルトゥオーソの指揮を鑑賞できた機会に感謝している)
人は多少は苦労しなければいけないし、生活費を含む奨学金制度や「行い」は必要だ。鈴木のような度量のある指導者はもう出ないだろう。
人間性や愛をもっても、集金するほうがメインになってしまえば、音楽はそれでおしまいだ。国も悪いがスズキ関係も悪い。
崇高な音楽と魂を高級レストランと同じように使えば、神仏の怒りを受けるよりほかない。