FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

低所得勤労者と貧乏人対策専門? 25年前履修した社会学など復習しつつ無差別殺人事件の土壌をみる

f:id:FujiYama:20211103193221j:plain皇室には警護がつく。政府要人にも警護がつく。いくつかの近所の総理大臣の私邸脇にはあちらもそちらも警察官の待機場所があり、24時間立番である。
もちろん防犯を目的としているのであるが、一般的には私設の警備や警備会社と契約していることが多いから特殊である。。
政治や宗教などは恨みを買いやすいから警備は欠かせない。
さて、政党で考えると困窮者に尋問していると問題が大きくなる。お困りなら支援いたしますという態度で接する。
しかし国会議員ともなるとあまり直接応対はしない。人を間にいれて、困窮者はそもそも国会議員と接することはない。
この距離感からすると、困窮者と実際に接する人たちの対応能力が生死を分けることもあるだろう。
地方議員でも困窮者に対応できない人間もいるし、それなりの対応ができる人もいる。
できないというのは、実は困窮者の困窮状態を把握できなかったという証明であり、医師の判断ミスに近い致命傷になることがある。
そこまでいく前になにか有効な手立てをするべきは一体どこのだれか?
富裕層は門を構えて塀を巡らし、低所得勤労者と貧乏人を追っ払ってほしいだけの人たちが多い。
犯罪や迷惑行為などに至るのは、第一に宗教と家庭教育が原因だ。
第二に相談する機会と窓口につながるかどうか。第三にコミュニティに所属できるか。
こういうところで追っ払っていたのでは、犯罪迷惑行為を助長しているのと同じ。
つまり家庭や宗教でもっとも排除傾向が明確な一群としての有資格者こそが、困窮者を追っ払ってきた犯罪助長者たちである。
追っ払っても行先なんて知らない人たちは相談先を紹介しない。ハローワークへ行けばよいとか自立支援センターくらいしか浮かばない。
その流れからは、誰も相手にしない厄介者であり、社会の落伍者であるから、世界中で犯罪や迷惑行為が溢れ返る。
追放された側からすればもうどこにも所属できないので、自殺か殺人か犯罪でもやらなければ仕方がない。やむを得ない選択なのである。
そもそも追っ払っていなければ、そんな選択肢はありえない。
また、寺院で我信心強情なりと言っている一部の人たちは、むしろ追っ払ってこそ信心だと確信している。別のタイプは丁寧に排除することが信心だと思っている。
そしてその上で自民党公明党立憲民主党の票が落ちていても、それぞれ個人の問題は知らず、そんな人間は迷惑厄介だと明言する。
無視され追放された無数の困窮者たちが、はたして投票すると思えるのだろうか?
自称信心強情の神経を疑う。

公益事業では各種利用料料金の減免制度が義務付けられている。
生活困窮者、障がい者料金免除がない路線をいくつかあげてみる。
東京メトロ千代田線丸ノ内線日比谷線
小田急電鉄小田原線
京王線(京王電鉄)
メトロは地下手サリン事件、あとは最近の死傷事件。
偶然か必然か。
新自由主義の空気感は殺人も自由であり、障がい者や困窮者に配慮する空気のなかでは比較的起こりにくい事件なのではないかと思える。
寺院で困窮者や障がい者を罵ったり陰口を言うということは、どういうことなのか、社会的な意味合いを今一度考えてみるべきである。
学校や職場のいじめも深刻だが、宗教や親族は人間最後の砦であり、最期の場所である。
増上慢には多くのタイプがあるが、死場所や一息つく場所から人間を追放することが、もっとも悪質な破仏法である。宗教をやる人間が私刑を率先して行い、実質の死刑判決を公益として執行するのは、天皇にも赦されていない極悪の振る舞いである。
日蓮宗と同列の法事稼業の葬式仏教をやっても、なんら興門派にはならない。

ずいぶんと日蓮正宗の寺院では障がい者や貧乏人の悪口を聞かされたなあ。
めちゃくちゃな信心だから、障がい者や貧乏人はそのつもりで証拠でもとって法論すべきだろう。
あまりに日蓮系の各派がデタラメなので日蓮の言葉を幾度も再確認したくらいである。
いやはや大聖人とか聖人とかおだてあげられて、さぞかしご立腹であろう。
ただの商売として題目を使い、依存性薬物として本尊を販売する各派の醜態には目を覆わんばかりである。
日蓮系各派はみな地獄に落ちること間違いなし。
真に正しい日蓮が弟子旦那というものがあれば人類の希望たりえる高次元の珠玉であるものを、まったく逆の振る舞いばかりを見ていると、どうやら日蓮大商人さまなのかユダヤ商法の流布だけが進展している有り様が現の証拠ということである。

銃乱射事件もみんな教会に呼ばれなかった人たちが起こし、自殺や破滅はホームパーティーから外された人たちが至る。
世界中で伝統宗教こそが犯罪の根源になっている。
信心がないのは犯罪を犯した人たちではない。
明らかに排除した人たちである。
公然の事実を開き直っているだけの居直り強盗としての神官僧侶たちである。
キリストと日蓮は全部予言している。

「螢火が日月を笑う」とどうなるか

f:id:FujiYama:20211103132230j:plainもともとは日蓮が悟りのレベルや大小を説いた言葉だった。
生家の都合で神道カトリックプロテスタント浄土真宗日蓮正宗系の悟りとやらを経験してみると、確かに一番明るいのは日蓮正宗系である。
日蓮系をいくつも対話して経験して比較するとなるほど日蓮正宗大石寺が一番明るい。
しかし日蓮正宗にはそのもともとの言葉とは違う面があった。
明るい分だけ経費が高いという、まるで電気代みたいな比例関係である。
悟りが高い分、明るさが大きく、広く深く俯瞰できるから、それはたしかに生活費を最小化して費用を捻出することはできる。
しかし悟りが高いのが万人のためにはならず、貧乏人の足切りに転じた。
衆院選立憲民主党共産党議席を減らしたが、共産党赤旗を購読させるからそれもまた足切りになる。
経済規模で見ると、大日本帝国の天照時代には日蓮正宗の勤行要典の広宣流布祈念に天皇の文字があり、日月や天照を混同あるいは錯誤していたことがわかる。
天照や日蓮正宗の経済規模は螢火かそれよりは少しよいロウソクくらいであり、鬼畜米英というのは日月、大日天や大月天を扱き下ろしたのであり、戸田城聖は米英連合軍を梵天に位置付けた。
貧乏人を螢火といって扱き下ろし、天照を大日天よりもはるかに偉大な佛の悟りといって貧乏人をムチ打ち、寺院に来ないようにと仏罰を祈念している人たちは、日蓮正宗の僧侶信徒と神道信者たちである。
それがより集まっただけの国会の三党が仕切る政治は広く国民の信任を受けているわけではない。
ゆがんで群れている極東の山賊と海賊たち。
あわれな民は今月今年来年の予定に困難をかかえても、天罰の仏罰のと言って嘲られている。
ウーバーイーツで働いても先がないだろうなと思っていたら、案の定NPOの施しを受けている人を見かけた。あんな無理な働き方で生計がたつわけがない。
問題は、キリスト教文明でこぼれ落ちる人たちが国内で数千万人規模で存在しているにもかかわらず、希望の光になる日蓮正宗の悟りが高額で販売されていることだ。
電車の死傷事件も希望がなくなったから。
そんな人間関係だけでは、いつでも誰でも殺人犯になるだろう。
この記事のお題だが、辞意を表明した立憲民主党の枝野代表が繰り返し日本共産党を攻撃していたことを思い出したので、まさにこれだと思った。
政治的に螢火でしかない立憲民主党が政治を掘り下げている歴史ある政党を排除しても、公明党ごときに浅いと揶揄されるだけなのである。
まさに踏んだり蹴ったりを先導した枝野氏の過失は重大である。
きちんと先達を敬う程度の儀礼はなければ、共闘以前に人間として恥ずかしいと思った。
本当は立憲民主党がまともになればと期待していた人たちは、ほとんど絶望している。
組織票でふんぞり返ることが目的の政治は、自民党公明党だけでも要らない。
宮さん気取りの御僧侶というのが、まさに守銭奴の要らない人種であり、日本国民の総意として無視、お断りする選挙がしばらく続くのであろう。
政治はそもそも育成と養生を欠いては不可能である。ただの商売で供養を貪るだけでは、弟子旦那はまともに留学もできないし、たいして働けないだろう。きちんと勤めても職場で貧乏くじを引かされるだけである。
消費税廃止とか消費税反対とか明言できない人間は、そもそも貧乏人を足切りして平然としている。児童福祉法児童虐待防止法なんてまるで理解できない人間である。
そんな悲惨な貧乏くじの立憲民主党公明党に魅力があるとは言い難い。
自ら不幸を求めていく人もいるまい。
高給を担保された一部の獄卒が熱心に支援活動をするのみである。
私利私欲と保身で、身内には湯水のように金を使い、苦学生たち低所得者たちを侮蔑して厄介者扱いしている。
構成員や支援者を馬鹿にしきっているのである。
日蓮大聖人様の慈光がその真実をくっきり照らしてくださっている。
日蓮正宗という教義と本尊だけの宗教は、信徒を地獄に落として不信心者めとせせらわらう邪悪な宗派のひとつである。
貧乏人の生活実感からすれば金光教と同じ教えである。数万円で生活させて浮いたらみんな御供養に支払えというやり口である。
名前に日蓮とあり、遺跡は残っているのだが。

がんばるという自己陶酔から醒めよう

f:id:FujiYama:20211102230256j:plain努力とか精進とかを大切にするのは当たり前で、もしやめてしまえばだいたい間違いなく破滅である。
無駄な努力とか精進の方向とか、問題は別のところにある。
思い入れとか実績とかがあれば、なおさらその問題には気が付かない。
毎日ランニングとか毎日筋トレとかなんにもならないのではなく、やるべきことが見えなくなるがんばりというのは、とても重大な間違い。
頑張れるのはとりあえず幸せだが、大きな見落としをしながら頑張って結果は幸せから遠ざかる。
ふと、自分の姿や人生設計を見直すことが大切だ。

投票率と議席過半数の関係 2021

f:id:FujiYama:20211101182746j:plainまた投票率は伸び悩み。
また自民党が偏頗な議席過半数

無難に口先を合わせておけば、まあなんとかごまかせる。
一応は常識的な政策は打ってきているから補正修正しながらごまかしごまかし。

まさに無難にやるのが政治。
議員官僚の保身だけの無難だけでもなくて、皆さんが無難にいくように、頑張れるようにという制度的な担保は、しかしながら弱い。
国際協調もそこのところを強化すべきところを怠慢が見え見えの数学が出ている。支給型奨学金生活保護捕捉率、自殺率、実質賃金推移、出生率などなど。

今は威圧とか威嚇とか言う戦国時代の戦法で、いまだに投票なんて偉そうなことするんじゃないよ、余計なことしやがったら痛い目見るよという日本の空気感は、まだまだ変わりそうにない。

れいわが躍進して、弱者や不運な人たちがじわりじわり結束を進めている。
皆さんの生活を締め上げてシラをきろうという自民党三党合意の国会に対する狼煙である。
共産党の政治ショーも限界を露呈しているかられいわ議員団にもぜひ頑張っていただきたい。

政局はやはり健全な自由によってしか改善されない。どこそこの路地裏で少年少女を痛め付けながら政治の議論なんて綺麗事だし、投票とか政治とかとまともに向き合う心のゆとりがない人たちがたくさんいる。
投票率は意図的に抑制されており、与党の思惑通りに事は運んだ。
議席過半数は国民の過半数の信託ではない。
言うまでもなく真実日本の政治は邪悪なものである。

これからの日本と世界を考えると、意気地のない45%ほどの国籍保有者にカツを入れたい気持ちもある。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経

皆さんに投票に行けるだけの人間になり、またそういう人間になってほしい。
最低限、きちんと考えて行動できる大人に。
闇をこそこそしていると害虫と間違えられるから、自分のために私利私欲で構わないから投票に皆さんが行っていただきたい。

来年の参議院選挙に向けて、ヤマト民族、現代の日本国籍保有者に、奮起を促したい。
エセか根性なしかアヘアヘか知らないが、世界に顔向けできない人間にはなっちゃあいけない。

70代まで現役ってちょうどいい

f:id:FujiYama:20211031100050j:plain
今の時代は、若い人たちがみんな自由で幸福で非常に豊かな印象がある一方で、美醜から言っても高齢者は厄介な問題にされがちである。
キリストさんが英雄伝説として若死しているから、世界の文明もその影響をもろに受けている。
みんな30代くらいまでに華々しく散ってくれたら後始末がいらない。
司法解剖や医学解剖や葬儀もなにかと遺体は若いほうがよい。

で、30代なんて人生これから始まったばかりじゃないかという実情を踏まえて、キリストさんたちが誘導するマスコミ科学万能の幻想を冷ややかに眺める必要性を認めざるをえない。
超激務でいつ死ぬかという人生ハードタイプで60代前半までの日蓮はそこまで参考になるかどうか微妙だが、釈迦は70代まで現役。
人生設計もなにかとアジア版は優秀である。
80代になるとさすがに心臓も弱ると親戚が言っていたが、それは個人差をこえてだいたいそんなものらしいから、70代現役を目安に考えて年金制度も考えるとよいだろう。

さりとて国会への苦言として年金額は引き上げの方向に戻すのが健全だ。

実際に自分も加齢しながら考えているが、精神が衰えるのが一番致命的である。
日蓮正宗信徒だからそこのところを一番基準にする。
心の鮮度維持こそ現役期間を最長にする特効薬だから。
腐った大人がどうのと十代の時は思っていたが、最近子どもや若いものでも一人前に腐った人間がそうとういることが痛々しい。最近あまり聞かない腐女子とか。
気の毒だが信心しないと貧乏人を殺すばかりの弱い気取った富裕層になるしかない。
末法というのは、そういう自分の人生と他人の生命を軽んじるめちゃくちゃな時代なのである。

純度最強の空気感

f:id:FujiYama:20211030215222j:plain気を喰らうのが人間の意欲になっている。
なんの気を喰らうかによって、ずいぶん幸福感や満足感の種類や趣は変わってくる。
ガット弦とよい弦楽器から出てくる気は素晴らしい。音だけならナイロン弦でも素晴らしい音は出せるが気が違うのだ。
唱題という日蓮宗系も気を喰らうが、どれも同じではない。
十次元の世界というのが数学と物理で理論的に証明できたとか。
目に見えない法界をわれわれは多少なり感じ取って古来文学や宗教の表現で多様に感性を磨き共有している。
気を選ぶことで幸福や満足を高めることができるのは間違いない。
十界互具一念三千という天台、伝教、日蓮の系譜が示しているものは、佛の精を喰らえば誰でも摩訶不思議なレベルで幸福と満足を獲られるというところである。
優しい気、 力強い気、 栄光の気、陰鬱な気など多様な気を学び、般若心経で佛の悟りをわかるだけでは、幸福なんてみんな人が持って行ってしまう。
日蓮が唱えた題目から直系の僧侶集団が代々伝えている響きの系譜を体験して、ああこれが佛の精気だと解ったので、法界の極上を毎日呼吸して美味しいなとご満悦な日蓮正宗信徒である。
その気で音楽を楽しむと、なんだか青春の甘酸っぱい年代の新鮮さを感じるからまた一層幸福を感じる。
確かに老化しているなあと同時に感じながら。

現世無間地獄がなぜ実現しているか

f:id:FujiYama:20211030213132j:plainエリートと努力について考えてみた。
いろんなエリートがいて、医療エリート、国家エリート、学術エリート、宗教エリートなどがあるが、
日本の場合、なんでもよいから働けと言って、無理して病気になってもぼろぼろになっても誰も知らないという特徴がある。
休養、養生、治療、道具、器具、研修、教育は不足不十分なままであるが、それは自己責任だという。
戦後食糧事情がよくなり、体格がよくなって基礎体力は向上しているから、戦前や戦中よりは生産性は向上した。
しかし社会教育として過労が当たり前だとしてきている現状にはあたりまえに疑問が湧く。
公益にたずさわる人たちや公的機関への納入業者たちが、偽装データ、データ改ざん、我田引水、私利私欲にまい進しているのが一面真実の正体であることを真正面から受け止めるべきだ。
われわれ国民は公益を謳っているものが公益に資していない事実を認識、理解しなければならない。
貧困と病理の固定化が進み、階級世界観による身分階級が明確になってくると、紀元前のインドの法華経に出てくる貧窮下賎を譬えにした民の判断能力の低さは自明であり、努力や科学による幸福追求がまったく考えられないことになる。
財閥とエリートというのは古代インドでは長者と一切声聞という表現で出現するが、その構図はあまり変わらない。
人類の希望となるべく出現した釈迦やキリストのはずだったが、支配層のための仏教とユダヤキリスト教になり果ててしまった。
宗教がそういうものになってしまうと、一般的に身を守る術はあるのだろうか?個人としてできることがあるのだろうか?
イスラムやヒンズーのように貧困層ばかりが原理的に危険な自爆ばかりするのは参考にならないが、王族出身の釈迦と漁師の子供の出家だった日蓮の視点の差異はたいへん参考になる。釈迦は王族だから支配層から下賤を見て救うという形だが、漁師の子供が教養を身に着けて立ち上がる勇気、魂こそ富裕層とエリートの供物になっているあわれな世界人類の力になる。ちょうどインドは大国であり日本は属国クラスである。
心ある人には知恵をあたえ、心すさんだ人には題目を唱えさせる人類の根本的問題解決方法は、ただ一つしかない。

理性や資産がある人は六波羅蜜の布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の6つを修行をやらなければならないと気が付いているが、実際にはやってられないしありえない。もはや人類は自己を信頼したり努力を確実にできるなどと思いあがってはいけない。
もし人間がそんな立派な人間なら、もともと殺戮も殺人も詐欺も起きないし、取り締まりも完全なはずである。
現実の人間はいい加減ででたらめで信用に値しない。医者の不養生に、医者が殺人し、弁護士が詐欺をはたらき、、、馬鹿にはキリがない。釈迦仏教には効果がない。
他人が病み死亡することにまったく無頓着な神々はさらに言うまでもない。
宗教を知らないまま、間違ったまま、なんとなく科学的知識の断片ばかり追い回すその姿は、どう見ても無間地獄である。
私は現代的にスマホ地獄、ネット地獄と呼んでいる。
ユダヤの神もキリスト宣教師も天照もどきも、しめしめ下界の動物はうまく騙しおおせているとほくそ笑んでいるのだ。
なにしろ天才エリートたちを酷使できるのだから、一般人は奴隷でも好待遇である。
奴隷でもネコだましと炭酸飲料くらいで機嫌がとれるから暴動の危険もないし。

日本人は完全に舐められている。