石炭で栄えた街は栄枯盛衰がはっきりしていて、どこもほとんど痛ましいような気がする。北海道、九州、イギリスなどではまったくそう見える。
一方で、人倫で栄えた街は今どうなっているか?
そんな街があろうか?
あるのである。
教会の数や規模は人口とともに減少しているが、まったく寂れてはいない。
かつては数千人からの精神障害者を各家庭で受け入れた小さな街がいくつかヨーロッパに存在している。かつては神父さんが個別に指示していたそうだ。
日本で有名なのはドイツのベーテル(合併してできた商業都市ビーレフェルトの一部)であろう。
日本には人倫がないので、安易な同情で虐待虐殺するのがオチであり、そんな街はない。
日本の神社もキリスト教の教会もシュラインと訳すことができるのは同じようだが、天地雲泥の違いだ。
石炭ではなく、人間力で栄えた街はそもそも規模ではそれほど大きくならなかったが、縮小幅も小さくて相変わらずにぎわい人倫を保ち続けている。
人間より産業や資本を優先した結果の反動としてマフィアの下請けか悲惨な身売りを主産業にしなければならないのも因果応報である。
どこでも産業を軽んじることはないが、前提の人間力を育てていなければしっぺ返しがやがて七代後までにやってくるのだ。
少なくとも日本(アジア)の宗教は悪い宗教だ。
真面目に努力しようとすると、辛抱させて巻き上げられ、最後は人倫か命を盗られる。