(中年がハムと海老をつまむ)
題の言葉は前京都大総長の言葉だそうだ。
競わせるのは誰か?
競うのは誰か?
国公立大学の定員や予算を増やせば、競わなくてよい。
やはり競わせている。
しかし競うのは果たして悪いことかと言えば、完全に否定すべきではない。
むしろ高校時代を充実させるから良いかも知れないと思う人達もいるだろう。
さらには、安定雇用の公務員を増やすとそれほど競わなくて良い。
おそらく競わせる程度が過剰なのだ。
とはいえ、老婆心から言えば、結局は個人の問題とか心の問題であって、選択するのは本人だ。
そういう高校を選んだ人には不満はないだろうし、強制されたり選択肢がなかったりした人は、家を出るという選択肢がある。
それもできなければ、よく考えるというのも立派な選択肢だ。
考える場合には、信頼できるアドバイザーが大きく決定に影響するから、慎重にアドバイザーは選ばねばならない。
海外目指し競わせるという命題も含めて良い。
何も国内だけの学問は本来限定的なもので(国学とか国文学とかの)、高校で多少なりとも海外で生きるために準備しておくつもりで競ってもよいのだ。
何か興味のある海外の文化とか言語とか、歌とか映画とか、案外大切なものだ。
日本の難関大を目指すだけなら、出世や名誉に偏るから、もう少し視野を広く持って学力を競いつつ、人間力を意識しておくのもよいだろう。
人間力とは、世界の歴史文化と意思疎通できる能力とも言えるから、そういう意味で苦労は買ってでもすればよい。
日本の官僚を目指すような可哀想な人達は、苦労なんてしても無駄だと考えるから、総長も官僚みたいなもので、あまり良い助言はできないのだ。
人生を楽しむためには、官僚系では絶対に不可能である。
ニホンザル系の楽しみならば、官僚にならなくてもアホでもできる。
よほど特殊な芸術でも英語や第二外国語は必要だし、スポーツ選手なら数学的センスも必要で、交流するなら膨大な知識が要る。
競うのは実に無難に力をつけるためなので、むしろ推奨される。
学費の問題も考えて、海外へはやく移住するほうが幸福な家庭もかなりあるだろう。
日本にしがみつく優位性なんて富裕層がメインなのだから。
苦労は若いうちにしておくべし。