FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

忌わしい学歴社会・学歴主義の利便性も Fランクの学歴主義万歳

学歴主義の親に苦しめられる人達が多いから、その若者に寄り添うように忍び寄る悪魔の手。

そんなものは、親の主義ではなく、世界中に分布する社会の判断基準のひとつであって、学歴社会は日本の一部だけではない。

私は17歳の頃からまったく勉強らしきを放棄してFランなる大学へ入り、しかもそのFを中退しかかったほど、意欲がなかった。

しかしそれでも、無駄なようで無駄ではない大学文化を経験することが、自己のパーソナリティを形作ったのだとわかるので、学歴主義は正しいと思う。

大学や学部の特性を広く学ぶだけでも、有意義だ。

ランクの高い大学ならば、さらに効率的に有意義に学べる。

地球は回り、世界はそこに広がっている。

その機会はせいぜい20代までにあったほうが様々に望ましい。親の援助をあてにせざるを得ない奨学金事情もある。

さらには海外で支給奨学金を獲得するとパーソナリティはより充実する。

勿論、本人の希望を尊重して大学を軽視する家庭もあってよい。

肉体労働、単純作業、奴隷を希望する人達にそれを禁止するのは馬鹿げた試みだ。

感謝されるのは同じだが、高卒などと馬鹿にされることも厭わない高潔な人格者なのだから、それもまた人生だ。

肝心なのは、パーソナリティ形成と幸福追求の基礎を若い時に努力してでも身に付けるかどうか。

卑近だがクレジットカードの上限設定のようなもので、人生観に近い。

名誉階層を恨むだけの社会主義運動ならば、学歴主義を攻撃して、若者を取り込もうとする。

しかし、若者はその時、自動的に上限設定をかなり低くされてしまい、半奴隷か奴隷階級を決定されてしまう。

むしろ学歴主義で正しいほど社会は学歴社会だから、社会に出る時に基礎体力が絶対に必要だからと教育するべきだ。

総合的な人間教育を前提にする必要はあるものの、学歴主義の有意性を正しく理解しておくとよい。

学歴が要らないというのは、戦場でライフルと防弾チョッキが要らないというのと同じだ。

幸運を祈る。