体感温度2℃。マクドナルドでホットクラシックコーヒーを飲みながら。
中学生のころ、ラボの先輩から、クラシックは繰り返しが多くて面白くないと言われたことがある。
なるほどなと思いつつ、歌謡曲も3番まで歌詞があったりするなとも思った。
おそらく曲が長くて、じっと聴いているのが苦痛なのだ。
先輩は中3だったと思う。
微妙なお年頃なので、なんとも言えない。
しかし本当にもったいないのは、コンサートに脚が向かないままインターナショナル人材になってしまうことだ。
私がクラシックを本当に楽しいと思うのは、退屈げな、単調な繰り返しの、或いは地味な脇役的フレーズ、調子が外れているのかと思うような、沈鬱な、出ている音とは別の無音のフレーズを浮かばせる時、そんなバリエーション豊富な作曲家の表現力や表現手法を知覚しながら聴くことである。
そこには、なにか意図がある。
素晴らしい世界への、なにかどうしても必要な苦痛悲しみ、影や時期やなにかがある。
喜怒哀楽もなにもかも、心は鎮まらざるをえない。
顧みたり、謙虚になったり、冷静になる効果と、すべてが調った完全無比な完璧な美しさへの階段をみんなで昇る。
現代。天国はエレベーターやヘリコプターでも行けるかも知れない。エベレストもチョモランマも美しい映像で安全に鑑賞できる。
それでも人はホールで長い名曲を心から堪能しながら、人生を歩み続ける。