組織票がない政党が個人個人の支援で議員を次々と当選させている。
代表は確かに変人にも見えるし、学歴もないのだが、とてもよく政治を勉強して政治の急所とメカニズムをよく知っている。
もちろん人間形成はひとりひとり異なるから、苦手なところや、言語能力の細かい不備があって、あげあしをとろうとすれば、できなくはないだろう。
しかし、それを越えるだけの政策上の総合力があることが、徐々に有権者に浸透してきている。
古来、日本人は個を犠牲に自己責任地獄で救われない人が多く、さらに悲惨な市民は増えている。
備えあれば憂いなしで、個人個人の基本的人権、生存権を担保する政党を拡大させる市民個人個人の行為が日に日に重要性を増している。
ガチガチのキリスト教社民党ではない「ゆるくつながる」れいわの存在感は地方議員39名ではまだまだだ。
しかし、候補者を立てればかなりの率と得票が得られることが実際にやってみてわかったのだから、それは次の選挙はさらなる飛躍躍進が約束されたようなもので、一般の個人個人が少しずつ確かに蒙を啓かれつつあることは、暗澹たる日本の未来にとって希望となる。
既成大規模政党は日本人個人個人のことはほとんど無視している。
行政が個人個人を無視して不都合が頻発しているにもかかわらず、である。
たかり恐喝徴税のための巨大政党であり、政治風土がヤクザと子分なのである。
やはりひとりひとりが努力でき活躍する社会国家にしていけるように、日本の政治には良い刺激が必要だ。
悪い組織的圧力だけの半ば野蛮とも言える政治文化が横行し、まっとうな主張は変わり種だ非常識だ排除しろという不公正だけでは、人間というのは納得しない生き物だ。
ひたすら前に前に進み続けるれいわであってほしい。
わたし個人の宗教活動や政治活動は、多くの制約の中でほぼ不可能だが、学ぶことや投票することが時には可能な場合もある。
どの政党でも、どんな仕事でも、おそらく人間としての誠実さほど大切なものはないと思うからこそ、日本人はひとりひとり学ぶべきだと思う。
どんな生命もみんな尊い。
その実現のためにこそ動くことができる政治家集団であれば、それなりに将来性が出てくると信じて、たゆまぬ協議と連帯で皆さんと共に向上していっていただきたい。
インチキはメッキですぐ剥げる。
コマーシャリズムのメッキごときに時代政局的感染症もどきに大政党になってもやがて腐臭をまき散らすだけだ。
健やかで良い政治運動の中でしっかり鍛え上げて発展していってほしい。
リラックスタイムも大切にしながら。