FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

賛同や同意を求めない生き方

楽しくてわかりやすくて人気の高いブログを目指していないなと思う。

考えることは、皆んな違う。

しかし考えることは、皆んな同じでもある。

考える時間が少しでもあれば、広げ深めるほうがよい。

そのきっかけになったり、猛烈に反対反発されたり、それでよいと思う。

そんなものだと思う。

立場の違いを超えた建設的な思考へ。

誰しも大変な日常の中、わたしは10年前に安曇野の思索の森へ何度か立ち寄ったことを伝えたかった。

市の図書館と同じ区画の森と言っても整備されたもの。

独身の頃高校の図書館に勤めていた母は、いつ見ても時間さえあれば活字を流す習慣だったが、カルトの啓発本を鵜呑みにする知的レベル。

人間には、たくさんの経験も知識もあるけれども、考えることは真逆にもなる。

表向きは平和文化教育と言って家庭内紛争に新反動主義や見せしめやリンチが正義なのがカルトだ。

そういう中で、難しい中で、本当はどうなのか、前向き建設的とはどういう力なのか、宗教の病理がどこにあり、国の悪質性に対して何が有効で、みんなが希望を持てるか?

そのあたりがテーマの柱なのかもしれない。

どんなに大変に感じても、思索の森に生きる一時を持つ。

思索の森は今この瞬時も休むことなく活動している。

陽光や月の光に照らされ、そよぎ暴れる風を受け、暖かさも冷たさも感じながら、呼吸し養分と水分を吸い上げている。

鳥たちが歌を歌う。

そんな樹木たちと響き合う記事であればいいなと思う。

本がそばにたくさんある幸せと長く生きている樹木たちのそばで腰掛けて思索する安心感。

まな板の年輪を数えたり、ルーツの古さを辿ったり、古典の意味を探ったり、すべては思索の森に依って立つ。

目の前の一瞬一瞬を反射的に判断するレベルを維持する人間としての記事、思索の記録としての面が強い。

一つ一つの問題解決は自分の思索と認識を深めることで自然に前へ進む。

親族を含む他者は人間の課題解決にとって障害でしかない。

戦争は愛の一形態。

戦時色が濃くなりつつある中で犠牲者も増える。

兵隊さんのために我慢しなさいといういつかと同じ軍国教育の中で。