そんな言葉はじめて聞く。
これは平たく言えば、自分は傷付いたから相手を攻撃してもよいという考え方で、犯罪や嫌がらせなどの被害者ならある程度理解もできるが、実際はその人がそう感じたからという個別性まで含めた被害者意識剥き出しの不当な致傷を厭わない攻撃を容認している。
また、人の急所を意図的につつき回してダメージを与えるのを楽しんで、いやそれはその人の主観的個人的な印象の問題だから私の言動はなんら問題ないとするために使われることもある。
そういう見方が両者から公平に慎重に検討された上で、案件ごとに理解すべき言葉であり、概念である。
しかしながら一般、精神医療ともに、表面上は理解を示しながら、経営者や資産家に甘い判断が多発しているようだ。
犯罪や嫌がらせは経営者側ならほとんど見逃される司法や経営判断がなされており、個人的な犯罪はもちろん見逃されず、悪事は経営者になればやりたい放題。
中国なら共産党幹部関係者もやりたい放題だが、日米では経営を理由になんでもあり。
ユダヤ財閥キリスト関連には媚びに媚びる。
一人一人の人間をきちんとみない。
公平さなど政治まみれ宗教まみれの日本人には理解できない。
不誠実に不正不当な事案が無数に発生し続けている。
まっとうではない。
そういう宗教や政治は与党政府が悪いのだと思われがちで、しかし立民維新もまた同類項。
卑近な譬えだが、クロゴキブリかアカチャバネゴキブリか、どちらを選択するか?
北九州市市長選挙では、そのゴキブリ連合軍が余裕で勝利するかと危ぶんだが、北九州市民は実に賢明に投票したことになる。
明石市民も素晴らしい良識をお持ちの方々が多くて感銘を受けることしきりであるが、北九州の小倉も兵庫の明石も小笠原氏有縁、仁という漢字と人間性の上での礼と連想するものがある。
それほど裕福でなくても、人間が前向きに生きられるように、率直な民意というのは、既成政党などではあり得ない。
ましてや商売の利権や暴力などではない。
何よりもまず人に、一人一人に敬意が払えるかどうか、具体的な社会保障・社会インフラをまともに支給支払いすることが最優先なことは間違いない。
経済の基礎ユニットである命あっての物種からの経済外交力。
政治や宗教のために人が死ぬようなことだけは断じてあってはならない。
マイクロアグレッションとか、人権がとか、宗教だとか、おかしな連中が徒党を組んでいるが、反撃すべき時には、断行、投票すればよい。