FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

バイオリンの初歩技術が面白い

昨年、新しく出逢えた新作の秀作、透き通った美女と絶賛するバイオリンが我が家に来てから、新しい彼女となれそめの日々を過ごしてきた。
バイオリンは微妙に寸法が違うから、まず寸法に慣れる必要がある。
それから透き通っている音、精度が高いので神経質なくらい敏感に反応するから、やはりお互いにまだ慣れていない。
美しい音で緊張感が高いままで、楽器を漫然と弾くことがめっきりなくなった。
練習の内容がスッキリ分かりやすくなった。
包丁とプラスチックのおもちゃのナイフくらい違う。

クロイツェル教本の中頃までやってきて、トリルの練習に苦戦していたが、シュラディークを習うと効果があった。
記事を書いて2ヶ月くらいだが、その間にさらに進歩しているのでとても楽しい。
あるアメリカのプロオケ奏者のお手本を参考にしているので、速度の目安はそのお手本による。
ゆっくりしか弾けなかったものを、もうあと一歩のところまで来た。
2ヶ月前にはとてもそんな想像もできないレベルの違いがあったのに、ほぼ弾ける。
その違いはシュラディークの基礎の違いそのもので、その間本当にクロイツェル教本の練習はしていない。
シュラディークの基礎を改善した幅だけクロイツェルの出来が良くなる。
そしてまだシュラディークは改善(熟練)の余地があるというのに、クロイツェルはほぼ弾ける。
プロと同じ速度と精度でほぼ弾ける。
つまりシュラディークを完成させることが近道なのだ。
もちろん音階は重要で、同時にマメに取り組むべきだが、なかなか骨なのであまり進歩した感じもしないし、悠長は良くないが、ある程度時間は必要だ。
5番までは2ヶ月単位でも変化はすぐに出るが、以降骨なのだ。
二十歳ごろ基礎を崩したので、小指の音程に苦しむ。
オクターブがとれなくなった苦痛はとんでもなく、なにも考えずにピッタリとれていた少年期が懐かしい。
まさに初歩技術を一からやり直している。
指を指板に当てる角度が全部新しく覚えるもので、指先の感覚の違いに戸惑いながら、生まれ変わるような、どこかの惑星に来ているような不思議な新鮮さも感じる。
もう中年なのに、こんな青春を実現するとは、やはり覚えは悪く鈍っているような気もする。
でも昔、オクターブが綺麗に出来ていたのも、準備に8年くらいかかっているのだ。
さすがに8年は悠長で今度は短縮して出来るようになるとは思うが、しばらく必要だ。
重症なのは微妙なズレに長年の間慣れてしまったことで、ピッタリの重音音程をスタンダードに脳味噌のプログラムを日々書き換えていく。
チューニングも自然とAを微妙に高くとる習性がついていて、これを修正するのは一苦労。
五度は比較的とれるものの、微妙な日もある。
弦楽のハーモニーが一番音程を覚えるために効果がある。
右手のほうも課題があり、縦横無尽に弓を使いこなせる技術を見据えてマメに取り組むものの、目標が高いために苦しむのは、面白いことと同じ。
先日、サントリーホールチャイコフスキー交響曲第4番を聴きながら、奥さんに苦労したチャイコフスキーの懊悩と人生の豊かな感動というのが、なんだかとても心境として近いような気がした。
苦労して苦悩出来る幸福の味わいというものもある。
悲壮感や第6番悲愴に破滅という場合も世の中にはありふれているが、4番5番にはちゃんとエクスタシーがある。