FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

生活保護バッシング いつまでやるのか? 自殺者を増やしたいのか?

 あるニュース記事が目に入ってきて、またかと思ってうんざりしたので、日本人のモラルとはいったいなんだろうと考えて記事にしてみることにした。

 あるニュースとは、親族に連絡をとろうとしない生活保護受給者は問題であるというものである。危急の際には生活保護を受給することは違法ではないが、その後事態が落ち着いたら親族の扶養を受けるように努力してほしいという第三者の意見を代弁したつもりらしい。

 これは実に生活保護バッシングそのものである。現在ではなく、そもそも危急の際に支援しなかった親族が急に、では現在になって扶養いたしますと言い出すという甘い期待のもとに善良ぶって主張する意見なのである。

 実際には親族であっても何ら交際のない数十年も会わないような者を他人であるとして扶養しないと宣言している受給者の親族はいくらでも存在している。いや扶養できないと言ったほうが正しい。扶養するからには、幾度となく面会面談しなければならないが、あかの他人が面談して意思疎通をはかるのは大変な手間である。沖縄と北海道であれば旅費もかかるし必要なだけ面談をすることが不可能である健康状態というものもある。

 現在において生活保護受給者が親族と連絡をとろうとしない理由は、おそらく危急の際に支援しないと宣言されたからであろう。危急の際に支援しない人たちが急に支援を開始するなどありえない。連絡をとろうとしないのではなく、連絡がとれない、あるいは連絡をとっても無駄なのである。手間がかかるだけである。そういった場合は、ただ懐かしいからという理由だけで連絡をとっても迷惑がられるだけであろう。

 そういうモラルがない日本人が日本人であって、日本人にはモラルがないということが別の視点でもわかる。富裕層は決して生活保護受給者と親族になろうとしないということである。富裕層は富裕層と縁組して、就労者は就労者で縁組しようとするのが一般的であるから、これは生活保護受給者を放置しているモラルのない不作為行為なのである。結局扶養義務などというのは法律上の便宜的な取決めであって、きちんと意思疎通ができる親族間ならそもそも最初から援助して生活保護は必要ありませんよということなのである。

 なぜ就労者や富裕層が法的根拠もなく生活保護受給者と縁組しなければならないのかという根拠は、日本国憲法の各条文の基本的人権の定めが守られないからである。生活保護受給者に対する差別は一般の人がする差別より公務員による差別のほうが深刻なものが多い。犯罪の被害に遭ったり、何らかの申請をしようとしたりするときに、役所や弁護士がまったく邪険にあしらうということが一般的であり、なにかあっても救済措置がとられにくい現状がある。公務員絡みの社会問題の巣窟なのである。

 つまり大多数の場合において、あかの他人が生活保護受給者と縁組してやる以外には生活保護受給者は減らせないという事実を同じ日本人として認識してやらなければならない。そしてそれこそが日本国憲法の実現なのである。生活保護しかないように誰も援助も支援もしないで迷惑がっていれば、生活保護受給者は増加の一途を辿るのみである。迷惑がって生活保護に追い込んでいるのは、扶養しようとしない親族だけではない。あなたなのだ。

 私には現に扶養能力がないから生活保護受給者と縁組しようとは考えていないが、もし扶養能力ができたら、きちんと考えて生活保護受給者を一人減らして、その人が幸福になるように憲法を実現する一助になりたいと考えている。

 いやそれでも親族が面倒をみるべきだという意見があるが、意思疎通ができない親族間というのはいくらでもあって行政機関による事実確認が無数に存在していることを第三者が明確に認識しなければならない。なんとかしようとして縁戚が仲裁に入ったり弁護士を介入させたりしても無駄なのである。なにしろ行政が介入して連絡、意志確認をとろうとしてできなかったのであるから、他がいくら努力して策を練っても時間と費用の無駄である。

 この事実をまず認識して、生活保護受給者がいかに自立していけるか、そのために他人としてできる支援、援助にはどういったものがあるのか、個人個人の環境や事情や教育的背景などに十分な配慮をしながらの、地道な取り組みが求められている。縁組というのはもっともわかりやすい生活保護辞退の方途として例示させていただいた。

 政治家がまったく役に立っていないのは、以上のようなモラルのない日本人が大勢だから当然である。迷惑がっているだけの代表者が受給者を迷惑がっていたからといって受給者の事態は打開できるはずがない。よく受給者の事情を聞き取ったり把握する努力を積み重ねて、なにがもっとも本人の努力を引き出しやすいか熟慮しなければならないことは、一般の他人同士でも同じことであるから、結局日本人に根付いている生活保護差別や生活保護バッシングというものを改善するほうが先決であろう。

 なんじゃかんじゃ言ってもこの問題は縁組最強説がどうしても消えない。日本人は貧困を過剰に恐れて、今、先進国でもっとも貧困が拡大している皮肉な状況にあることは、一応確認しておかねばならない。貧困は嫌だからと言って差別しているから、どんどん給与水準が落ち込んで物価だけは上昇するという政治経済システムになっているが、まさに日本人がドツボ民族から脱出できないで生活保護の受給者を増やそうとしているのである。

 はたらけどはたらけど、、、、。この歌は日本人が自分たちの意志で選んでいる不幸なのである。誰も悪くない。みんなで不幸になる民族性なのである。

 生活保護は迷惑だからと交際を避け続けても、生活保護受給者はひたすら増えるしかない。額を減らしてやってもそんなことで医療費や受給者数はまったく減らない。公務員も就労者もまた日本国憲法の実現のために不断の努力を求められているのである。問題は生活保護制度や受給者にあるのではなく、日本人全体の問題なのであり、個別の事情に口を出すからにはきちんと墓まで考えてから口出しをしなければ無責任である。バッシングは憲法の法の精神からは考えられないたんなる悪質な個人攻撃にすぎない。そもそも一定の(3割くらいの)日本人には日本国憲法の精神がどの程度理解できているのかはなはだ疑問であるが、まず理解しようとする受容の心すら持てない負け犬民族がなにを言っても無駄なのである。ポツダム宣言というのは無条件降伏であったことを完全に忘れているのだろう。

 一方では歴史上の身分差別には問題があったようなことを学校で教えておきながら、生活保護の身分の人を差別しても公然と正当であると言い放つ政府要員や公務員というのは、実に自己矛盾そのものの姿をさらしており、公務員の自語相違である。日本人のモラルのレベルはエリートですらその程度だから、まず主権者たる国民のレベルで賢明にならなければならない。報道もいったいいつまで人権感覚のないそんなネタで字数をかせごうとするのかな、とあほらしくも不愉快な記事だった。