FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

露出を嫌う女優(女優志願者)も

勿論ただのエロはブログで禁止なので、職業や性差の話として解釈していただきたい。

ユーロニュースでディープヌードを取り上げていて、無断でヌードの顔に自分の顔を使用されたとか、どの範囲かわからないが9割程度のヌードが女性のものだとか、恥ずかしいのは女性か男性かという問いを見出しにしていた。

日本では女優(志願者も)がなぜ胸を出さなければならないのかと訴える。

ヨーロッパは一面どちらとも恥ずかしいのだと認めているからマシだ。

SNSに投稿する時に、再生回数の違いに胸の露出や脚の露出などとの相関関係は素人目にも明らかで、正直に世の中世界中のおっぱい好きには感嘆すらする。

きつく言えば呆れ返る。

その中で、胸の露出を強要されたという女優にも呆れ返る。

胸を含めた魅力に客が消費行動を起こすのは、自然なことだ。

逆に言えば全体としての魅力があれば、胸をアピールしなくてもよい。

企画、脚本の側の都合があってニーズがあって、それに応じるか否かは自由であってほしいが、事務所に所属する時点で確認しておくべきだろう。

胸をひた隠しにする売り方で売れる人がまったくいないわけではないから、そもそも小ぶりの魅力もあり、抗議行動の趣旨がさっぱり理解できない。

世の一般男性が女性の胸を好むのは、既知のことで、女優は動画であれ舞台の設定に合わせて職務を遂行すればよいだけだ。

自分のオリジナルファッションスタイルを売り込みたいならば、それは別枠だ。

欧米の女性たちは、それほどノーブラですら珍しくない。魅力を最大化する女性達が魅力的で目を引くのも一般的だ。少し昔のNHK教育フランス語講座を見ていても、はっきりわかる。

しかしまだよくわからない段階の人や、不幸に見舞われた人は、かなりの苦痛を感じるものでもある。

業界の人たちと契約書を作成する弁護士は、不幸な人や障害者に配慮した丁寧な文言と説明に心掛けて欲しい。

他の業界業種と同様、女優志願者の中には、業界を知らない人達も含まれている。

説明が不十分で、最初から女優を選択するのが間違いの人すらいるかもしれない。

日本の労働を外国人で補えるか?

ちなみに総合大学で労働経済学を専攻していた。そこで取り上げる労働市場では、外国人の参入についてはまったく無視してよいという前提であった。日本語も日本文化もすでにほとんど理解習得した日本人の職場でのスキルアップが主な研究対象だった。

その事自体が、教員とその師匠が偏頗なことを意味するかといえば、時代的にそうでもなかったように思うし、私は西洋人文化を大切にしてきたから、別けて考えていた。

今、三十年近く経って労働者が減るだけでなく、質も危うい状況になってきて、外国人労働者を擁護して認める方向になって久しい。賃金が上がらないから、低賃金外国人労働者を入れるなという意見がかなり多い。

しかし、どちらも議論の核心ではない。

丁寧に産業分野別に、技能別に分類して比較するべきだし、欧米では仕事を取り合うことはあっても賃金は上がり続ける。

つまり国全体としては成長して賃金が上がる。

一方で日本は外国人労働者の話題を賃金低下圧力や治安悪化のネガティブな方向に使う。

慎重に労働者として受け入れるならば、それらの心配は必要ない。

ただこの慎重にということに、本気で取組む官僚や議員、利益団体がないだけである。

政府主導では、うまくいかないし、そもそも緊縮財政が広く労働者を締め上げるもので少子化して労働者不足になっている。

スキルアップは第1段階までに約7年前後を要する話であり、短期雇用でまともなスキルアップなど期待してはならない。

その意味からも、そもそも日本人労働者の労働条件に問題が多すぎるし、ましてや外国人なんてとなるのも政府が仕組んだ排外主義の毒の罠。

政府に従順であってよいのは、議会がクリアに審査して修正し続けるからこそであり、結局日本人が盲従する限りは、いじめ、国内DVが横行するだけだ。

いじめの対象に国籍を問わないから日本人が平等であるという詭弁がまかり通る。

近隣友好国からの難民支援くらいはまともにしなければ、いくら主権国家でも不正な国家運営として糾弾されても致し方ない。

ウクライナからの難民を比較的支援している近年はわずかなりには評価できるのだが、政治家があからさまに外国人叩きをやるようでは、日本国民は世界で馬鹿にされる。

ぜひみなさんが意識を高めていただきたい。

歴史的には薬害そのものでは?専門家の見方

YouTube名古屋市立大薬学部教授医師粂和彦氏の紹介をしている。神経薬理学分野で様々な薬害に詳しいそうだ。

以前の私の推測と警鐘の2記事と結果的に近い最近の報道もある。以前は京都大学名誉教授の福島氏の発言を一部引用した。

2023-05-06

コロナワクチンの致死率データが隠蔽された理由

2021-06-21コロナワクチン 政治のご都合と私たちの命

残念な的中がまた重なる。

自分の経験からも、これからも薬害には注意したい。

今、改めて考えてみる。

概要、医師は薬の効果にばかり目がいく。薬剤師は副作用に目がいく。

その傾向から、おかしいな!と思ったら迷わず薬剤師に相談するべきだ。

ある程度ノーマルな薬剤師ならば、医師に副作用疑いの具体的説明をしてくれるものだ。

診療科を問わず医師に絶対服従する危険な薬剤師看護師などもかなりいるから、そこをどう見極めるかという患者サイドのスキルがいる。

そもそも利益に絶対服従する危険な薬剤師たちが開発した薬が問題だ。

それを認可する厚労省の製薬利権に甘い議会でもあり、国民教育をそもそも間違えているのだ。

そのあたりの簡単な構図を認識して賢明に判断していただきたい。

大抵は絶対服従こそ愚の骨頂である。

拙記事の記述と教皇の言葉がどこかで重なり合い

ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇様は、9日に公開されたスイスメディアのインタビューで「最も強いのは国民のことを考え白旗をあげる勇気を持って交渉する人だ。負けたと分かったときや物事がうまくいかないとき、交渉する勇気が必要だ」と述べたそうだ。

私はそれを読んだ時に自分がこの間書いたブログを思い出した。

2024-02-28

抑圧からの解放を望むウ戦争の終焉

という題で、教皇様と重複するところを感じて、とても心豊かになった。

愛と慈悲からの深い智慧に耳を貸さない意固地さは、無数の苦しみや不幸を増やす。

ウクライナの指導者たちは、心を鎮めて深く考えるべきだ。

白旗イコール降伏などという単細胞思考で反発するのは、ほとんど幼児性であり、そのために犠牲になっている国民の心を思わないというのは、本当にどうかしている。

率直に私はそう感じる。

国会でのれいわはエグいか?打ち上げ花火にトマホークを!

先日の国会での山本太郎代表の岸田総理への質問を観たところ、ストレートな分かり易い質問であると同時に「やまもとたろうのそこまで言って委員会」と笑えないものを感じた。

笑えないのは良い意味ではあるが。

政治は文化であり、技術であり、大多数の幸福のためである。

悪い意味では、被災者や弱い少数派のことなど無視して見殺しにするための合議、寄り合いである。

日本文化はエグい伝統をまだ保存している。

そこを突きまくる一本槍の山本代表。

総理はスポンサーと議席数を背景に大上段に小政党の変わり者めと言わんばかりに威圧的である。

そう、エグいのは、議会、寄り合いを含めた日本の文化なのである。

日本の伝統的政治は個人の幸福よりも派閥の繁栄で徹しているから、個人の意志はまったく考慮しなくてもよい。

政治で個人の基本的人権を潰すことに専念する。

救済法や予算策を申し訳程度にして責任逃れ。

それでいて、公家系と上位富裕層の基本的人権は律儀に認める。

幸福追求権を一部だけに認めるのは良くない。

全国民が勝手好き放題になるのは一部は困るものの、無秩序とか治安悪化とかいう心配は取越苦労か杞憂だろう。

幸福なんて程度が低い幸福が蔓延していて、ライバルの急増を怖れる富裕層特権階級の小心さには呆れる。

官僚や商社が幸福な職業だという偏った価値観で政治文化をセコセコこせこせさせて、国民が不幸でも我関せず。

無神経なコミュニティが国民を馬鹿にして見下す。

たしかに民衆は無価値な幸福に酔いしれる無価値な生き物だ。

生き物を選別して殺戮しても構わないという価値観から日本の政治文化もナチズムも成り立っている。

それはイカンと明言追及するのが国会ではれいわくらいしかいないということに何も感じない日本人こそエグい河童衆である。

共産党すらパフォーマンス政党に成り下がったし、もはや悪事にブレーキが効かない国家地域に成り果てて、あとは有事紛争を花火大会の感じで楽しむようにと国民教育に余念のないマスコミには期待できないどころの騒ぎではない。

そろそろ学校給食に芋粥でも出さねば。

 

ザリガニ カブトエビ すずめ ひと昔前は

写真は東京銀座のコンサートの帰りに撮影したビル群で、街中ではすずめを見かけることがある。

まだ私が小学校に入ったばかりの頃だったか道の脇、パン屋さんの隣の小さな店舗の軒下にすずめがうずくまっていた。飛べないらしかった。そのままにしておくのは可哀想なので、掌にのせて大事に家まで連れて帰り、どうしたら回復するかと実母にたずねたが要領を得ない。

間もなくすずめは死んでしまった。

狭い庭に埋めてあげた。

今はアメリカザリガニをとったら返せないらしいが、まだ昭和の後半で、たしかにアメリカザリガニは大きくて見映えもするがそれほど多くもなく、まさか法律が必要になるとは驚きだ。しかも効果がどの程度あるのかまったくわからないような。

日本のザリガニは、パッとしない地味なものだから、臭い用水路や足もとが危険な川に入るほどの価値があるのかどうかとても疑問なのに、よくわざわざ面白がって入った。とったザリガニを家に持ち帰り、エサの煮干しを与えていたが、水を換えるのをいつもおろそかにして、数日程度で命が尽きてしまう。子供ながらなんとものぐさなと思う。いつも通路程度の庭に埋めてあげたが、飼い方によっては寿命がずいぶん違っただろうと今でも申し訳なく思っている。

人口は100万人以上いるというのに、家から小学校の向こう側のエリアにはまだまだ田んぼが残っていた。小学校からこちら側にはほとんど住宅しかない。

古いお寺の敷地の池と県道沿いのため池はどちらも底なし沼と呼ばれて恐れられた。

田にはカブトエビが沢山いて、つかまえる難易度がザリガニよりはるかに低いのでザリガニがとれなこった日に何度か持ち帰ったことがある。

しかしザリガニより弱くて翌朝にはもう生きていなかった。なんと儚い命かと哀しくなるが、また埋めるしか能が無い。

飼えもしないものを持ち帰らないようになるまでは早い。

命が尽きてしまうのを目の前で見続けるほどの勇気がないからだ。

アメリカザリガニが増えすぎたら加熱して食用にすればよいが、食用となると別の感覚で罪悪感や哀しみはなくなるから不思議なものだ。

実際に食べなかったが、法律ができたらしいので、バスもそうだろうが、調理方法を普及させて食べるのが1番対策としてよいような気がする。

要するに増えすぎるエビと魚である。

素朴に美味しく食べる方法はないのかと思う。

まだまだ日本は豊かなのか、東南アジアの養殖エビばかり食べる結構な身分である。

日本人の一部は戦中戦後はザリガニを食用にしたので、今こそまたその文化を甦えらせるのに良い時期なのかもしれない。

街中で商品パックとして並ぶか、レストランや食堂のメニューにあれば、モノ好きが堪能するかも知れないし、案外普及するような気もする。

国産なのだが。。。

野党の国会運営???

予算案が衆議院を通過して、立憲民主党代表は野党全党で反対したことをアピールしていて、ガッカリした。

今日までは通過させてはいけない。

反対すればよいのではない。

予算案を変更させることが最大の野党の仕事。

通過させなければ、はじめて与党は野党の話を聞かざるを得なくなる。

そのためには、なんでもやるという姿勢と行動が必要なのだ。

日本のためには、予算案を通過させないという行動が伴わず、通過させれば賛成と同義であることを判らない野党なんて、国民生活全般の役に立たない。

国会は議論の場なのに、反対する場だとのたまう。

議論したつもりなのか?

与党は聴いていないから議論は成立していないし、その証拠に予算案は成立したわけだ。

反対しましたというジェスチャー(パフォーマンス)で評価されると考えているのは、スポンサーの方が大事で、国民や経済なんてどうでもよいからだろう。

討議の意味は、国民生活全般を改善させたり、国勢を回復させたり、何らかのプラスがある変更をするからこそで、反対しても1円にもならない。

それならば、もう野党はゼロ議席でよくて、自民党一党独裁体制で経費削減という論調に与することそのものだ。

自民党の一派閥としての立憲民主党なのだ。自民党の立憲民主派とか泉派として登録したほうが分かり易い。

ついでに泉派も解散を検討するべきかも知れない。

世界の全体主義国家と同様に日本の政治もまた腐りきっていて、まともな仕事ができないから国民は政治にイヤ気がさす。

かなりの皆様は深刻なのだが。。。