FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

野党の国会運営???

予算案が衆議院を通過して、立憲民主党代表は野党全党で反対したことをアピールしていて、ガッカリした。

今日までは通過させてはいけない。

反対すればよいのではない。

予算案を変更させることが最大の野党の仕事。

通過させなければ、はじめて与党は野党の話を聞かざるを得なくなる。

そのためには、なんでもやるという姿勢と行動が必要なのだ。

日本のためには、予算案を通過させないという行動が伴わず、通過させれば賛成と同義であることを判らない野党なんて、国民生活全般の役に立たない。

国会は議論の場なのに、反対する場だとのたまう。

議論したつもりなのか?

与党は聴いていないから議論は成立していないし、その証拠に予算案は成立したわけだ。

反対しましたというジェスチャー(パフォーマンス)で評価されると考えているのは、スポンサーの方が大事で、国民や経済なんてどうでもよいからだろう。

討議の意味は、国民生活全般を改善させたり、国勢を回復させたり、何らかのプラスがある変更をするからこそで、反対しても1円にもならない。

それならば、もう野党はゼロ議席でよくて、自民党一党独裁体制で経費削減という論調に与することそのものだ。

自民党の一派閥としての立憲民主党なのだ。自民党の立憲民主派とか泉派として登録したほうが分かり易い。

ついでに泉派も解散を検討するべきかも知れない。

世界の全体主義国家と同様に日本の政治もまた腐りきっていて、まともな仕事ができないから国民は政治にイヤ気がさす。

かなりの皆様は深刻なのだが。。。

抑圧からの解放を望むウ戦争の終焉

常識的にロシア相手に戦争するというのはクレイジーだと国と軍隊の規模からは考えられる。

しかし、ウクライナ人はモスクワに支配されたくないから戦争を選ぶ。

しかし、やはりロシアを押し返すことができない。北東部しか取り返せなかった。

大国の覇権主義のたちの悪さは、自国の兵隊が30万人超死亡しても、痛いようで平気なまま水に流すだけ。

その他の物理的兵器の犠牲は痛くも痒くもない。

経済はむしろ快調で、わずかなハイテク部品に困るだけ。

大国を経済封鎖することは不可能。

世論調査ウクライナ人があまりの困難さに戦争をやめたいと態度を変えつつあることを示している。

我慢比べなら大国が絶対優位。

モスクワの恐怖政治を49%受け入れていたら、これ程の犠牲はなかった。

ゼレンスキーが逮捕されたらそれで終わりだった。

今、戦争を選んだことで、ウクライナが間接的にモスクワの恐怖政治の下にある皮肉。

西側が本腰入れて戦時体制で軍需増産体制に完全シフトするかといえば、煮え切らない。

ズルズル泥々の悲惨な戦闘と恐怖の国民生活に終わりが見えない。

よほどモスクワの恐怖政治が懲りているからこそ戦おうとしたのだろうが、もう戦力兵員に無理が明らか。

予想通りの悲惨な事態に、初期段階からウクライナ自治権でモスクワと交渉していれば、こんなに酷いことにはなっていなかったと悔やまれる。

おそらく数十名のアジテートに都合のよい政治家のために、ウクライナ人が犠牲になり続ける。

戦地のロシアウクライナの兵員たちが、それほど楽しく戦闘する間柄ではない親しい間柄であることも、ずっと私がゼレンスキーの大義名分に疑問を抱く根拠だ。

そもそもゼレンスキーはロシア語を喋っていた。

では、ロシアが何をやっても許されるのか?

では、戦争で国土国民を守れたのか?

抑圧そのものの戦時生活しかないのではないか?

逃げることすらできない。

モスクワときちんと交渉してくれと考えるのが妥当ではないか?

もうそろそろNO MORE WAR の世論が克明に浮き上がり、正義の解放抵抗戦争が実際上不可能になりつつある。

ロシアは日本のように徹底的に反戦世論を潰す。

つまり、ウクライナ人世論がこの戦争を終わらせる唯一の力になる。

さもなくばモスクワの恐怖政治下の戦時ウクライナでただただ苦しむしかないし、その苦しみは増大し続ける。

仮に西側が総力をあげてロシア連邦を解体させるために軍事支援を重ねても、もう前線で戦闘する兵員がいないのだ。

武器弾薬に資金を並べてもどうにもならない。

ウクライナ人民が少しの順調さに酒が回っていたことに気が付けば、地に足のついた選択肢が浮かび上がる。

確かにウクライナは順調だった。

NATO入りしようとしなければ、かなりの繁栄が約束されていた。

ロシア軍人兵員もそれほど大量死しなくてよかったのだ。

読み違えを追求する時期にまではまだ至らないが、やがて本当に前線が崩壊して最悪のモスクワ施政下に置かれる時が来るのではないかと、第二次世界大戦直後の米軍と日本を連想してしまう。

そこまで引っ張ると、私の胃に穴があくだろう。

今でも胸が痛くて仕方ないというのに。

ロ中北日が大差ないことをわからなかったからこその読み違えは、故意に見過ごしたとすら言われかねない。

 

と、ここまで書いた数時間後、フランスのマクロンさんが欧米部隊を派遣する可能性について発言をしたことが報じられた。

私とマクロンさんの状況判断はかなり近いのではないかと少し嬉しくなったことは確かだが、それほど不謹慎に手放しで喜べるような状況でないことは確かだ。

株価は水増しされて 素人でもわかる経済

過去最高の株価を続々更新。

景気がよくて大勝ち好調な日本経済などというよほどのアホはまさか誰もいないだろう。

金融緩和が行き過ぎて、年金目減り、実質賃金低下、円安、物価高などでさすがに変だと気が付く。

株価が高くなっているのではなく、相対的に額面が大きくなっているだけ。

この危機的な日本円の価値低下をなんとかして緩和するべきだ。

平均株価最高値更新のたびに身の毛がよだつ。

また今日も自殺、虐待、夜逃げ、外資暗躍、倒産、不渡、その他諸々の不幸と悲劇。

京都市長某氏が退任で幸せだったなどと発言していたが、責任ある立場で莫大な債務を残して市民感覚を踏みにじるようなことをよく仰るものだと呆れた。

自治体でも、国家単位でも、一族や個人の成功とはなんなのかという価値観がもう少し問われてもよい。

さすがに日銀総裁もインフレという一面を認めるに至った。

コロナ以降なのでようやくラグがまる3年という絶望的鈍感な指数に偏向していることがわかる。

経済と財政金融と市民消費者のラグがない日本人がもう少し責任ある立場で活躍して欲しいが日本人経済学者に資質の高い方が少なすぎる。

私利私欲の政治資金問題など絶望的レベル。

みんなで良くなろうというノーマルな英才を選ばなければ、みんなで破滅するのが日本。

円を強くすれば強くなる。

円を弱くする官僚にまかせる政治家を選べば円は弱くなる。

シンプルそのものだ。

さりとて当然ながら、悪質な庶民肌の反日に踊らされない資質も必要だ。

 

 

ロシアも日本も全体主義官僚国家 それでも日本人気のワケ

なんとも自由平等なんてウソでしかない。

ボヤきではなく、実際に選択肢が限定されて公正な選挙は期待できない。

日本では資金繰りやバッシングで対立候補を落とす。

れいわは大手(資金組織力)を別にするとトップの成績で刮目すべきウケ狙い。

国会運営の実際、自公民維連立政権の実態は官僚主義の一党一派独裁国家

良いことで国を統一するのなら賛成するが、悪いことで挙国一致内閣。

建前すらまもれない。

社会正義がなくて衰退するのは因果応報。

弱い者イジメが日本人の正義。

アブク銭の経済はスカスカで9割はカネで苦しむ。

成功者は人権状況の恥を隠すことに専念。

ロシアのように公開処刑を開き直るというかしらを切るというか、その路線は中国以下のレベルである。

日本人はほとんど気が付いていないが、日本の魅力がその程度範囲のものとして見下しているから、欧州人は日本人に友好的なだけなのである。

自衛隊も日本人も都合のよい盾として満面の笑みの友好国。

それくらいしかできない国民性。

これからは幾らにもならない衰退少子化時代。

自業自得でインバウンド客のおあしに媚びる信念を披露。

悲惨すぎる魅力。

プライドがないとしか思えない。

MARQUISE(Made in USA)はカーボンバイオリン弓の中ではやわらかいが欠点も

いくつかのCoda社の弓を弾いてみて、音や弓身が硬い印象のものがあり、その印象は各人各様だ。

しかしそれは売らんがための印象操作の場合もあるから要注意。

その中で、ハイグレードモデルのMARQUISEで音の硬さは感じない。硬い音も空気感の音も腕次第だ。

ある程度の専門家の意見では、硬いと自然にバウンドする位置が弓先寄りになるそうで、もうひとつは弓の持ち方であて方が変わればバウンドする位置が変わる。

そのうえで、フランス式の持ち方だと私のMARQUISEは中央寄り弓元側でバウンドし易い。ドイツ式では数センチは弓元に近かった。

つまり、木の弓で言えばかなり硬い部類で、それでもまだ木の範疇とかぶるのでよい方だ。

MARQUISEやカーボンの欠点がよくわかるのは、移弦の時にわかる。

カーボンはぎこちない角張った移弦になりがちだ。これも私はドイツ式でははるかに難しく感じ、フランス式だとマシだが、木の弓にはそこが唯一敵わない。

カーボンは低音から高音まで、まんべんなくよく響くと宣伝している奏者がいて、ハイグレードではそれはその通りだと思う。伸ばす音も跳ねる音も響くし、かなり良い木の新作の音と錯覚する。

しかしどうしても、移弦だけはMARQUISEですらわずかに違和感があるので、弓身のねじれ具合をわずかに変化させることで、もう一歩のところをさらに馴染みやすくできるだろう。

これは専門家が支障なく使用しているから私は当面技術力を磨くよりないが、社の研究開発でやったら更なる進化ではない完全な完成品を作ることができる点である。フェルナンブーコのような繊維の編み方の製造コストの問題がでてくることと、世界中の弓メーカーが青ざめることが想定される。

欠点とはいえ素人やアマチュアには微妙なのでほぼわからず、一般論としては、今でも十分すぎる性能であることに変わりはない。

日本GDP4位の健闘はどこまで続くか?アドバンテージは?

シンプルに労働人口×生産性で概算してGDPの値を予測すると、今後人口が半減して生産性は現在30位、今までは人口と労働時間で2位3位を無理して維持してきたが、アベノミクスで完全に方向性が変わる。

人口削減と生産性停滞、就労環境改善の名目で実際は雇用育成費用を削減して株価だけのための労働力コストにした。

アベノミクスは大枠改善されることはない。

官僚主導だから改善を主張すると党国会でもマスコミでも冷遇され排除されるロシア中国式の全体主義国家であり、一定の国民までもが官僚主義では改善を期待しているとは到底見えない。

すでに一般大衆の生活は厳しくなり、危険な状況が深まるが、官僚主導とは神道骨格であり、生産性は改善しない。

むしろ悪化していく。

官僚と国会で日本を繁栄させれば、大国の次点、4位から10位に逗まることができただろうが、10年ともたないのではないか。

リニア開通の頃までに一桁なら良いのではないか?

その後は30位以下へまっしぐらに転落する。

対中対露防衛戦争は武器弾薬だけではできない。

IT技術も造船工業技術力も、自衛隊も、一次産業もすべてが崩壊期へ突入する予測が可能な統計データばかりが揃いも揃っている。

危機感なき私利私欲の官僚と政治家たちに殺される哀れな大衆の未来に心が痛む。

ゴーストタウンは地方の過疎問題ではなく、ゴーストカントリーになっていく。骨粗鬆症の国家。

米中の植民地化を平和的な繁栄だという幻想を見せて、実際滅亡する経済大国の人民たち。

もはや日本文化はない。

真言亡国。

カネだけに走って私利私欲で国益無視、公益の意味すらわからない官僚政治家。

愛は宗教や優しさではない。

生存と繁栄の基礎である。

基礎がない日本人の集団自殺が人口削減、生産性停滞、経済規模衰退、文化レベルの貧困化、国際競争力低下などになる。

歌舞伎もクラシック音楽も、大衆とは無縁でしかなく、日本の文化レベルではない。

日本の富裕層の文化でしかない。

大衆は病み死に絶える就労環境の途上国へと破滅の坂を転がり落ちる中で、GDPなどというものは当然減少する。

大量死を少子化で誤魔化すのも定番だけに、無責任なマスコミや宗教は信用してはならない。

私利私欲にへつらう悪しき個人主義こそ真言亡国の姿だ。

神道真言の歴史的癒着に触れる人も、あまりに少ない。

一族さえ繁栄すれば、日本人大衆皆殺しでよい。

見る人が見ればそんな本音を隠しおおせているとは思えないが、大衆は馬鹿だから簡単なのである。

立憲民主党でも、維新でも、どこが政権をとっても同じ真言亡国の官僚主義である。

たとえ成功しても日本人に幸福はない。

引下げの取消しを求める?生活保護訴訟そもそも争点そこか?護憲派のインチキ性

最初のうちは、引き下げやむなし程度の裁判官も多くて敗訴率がかなり高かった地裁判決が、コロナ以降の異常な物価高の中で、次第に変化してきている。

さすがに減額は過酷なのでそうなる。

むしろ増額しても足りないような少ない支給額。

生活保護バッシングできるほど、日本の就労環境、賃金、福利厚生は整っておらず、むしろ近年はさらに悪化している。

客観的データ、客観的判断基準などが揃っていれば、いくらなんでも生活保護基準額が低過ぎることは誰が見ても明らかだ。

自己努力でもどうにもならないほどの物価高。

ステルス値上げと合わせると、統計よりさらに物価高。耐久消費財の耐用年数なども悪化しているから、あらゆる面で、国民生活は窮乏している。

生活保護受給者を狙った数多の福祉事務所の不正、朝倉病院事件や近年の滝山病院虐待虐殺?事件まで報じられて、そういうムゴイ生活保護制度の支給額まで減らすのはやり過ぎだと総合的に判断する裁判官がゼロではない。

裁判そのものは、争点は勿論支給額基準額の決定過程の問題なのだが、生活保護制度全体を俯瞰して、勤労世帯を含めた国民生活の向上をはかるのが国の責務。

生活保護支給額を下げて給与水準低下を狙ったアベノミクスの尻ぬぐいか?

みんなで生活保護制度を攻撃した結果として、日本人の生活レベルは下がった。

その因果関係を認めない無責任でアホな大卒とわからない中卒高卒のレベルの低さ。

私がもし弁護士を束ねる立場だったら、全国訴訟の争点、訴えの趣旨は違うものにしたと思う。

企業内部留保の蓄積に過剰があり、それらを給与と中小企業に還元した場合の給与水準を試算して整合するところの健康で文化的な最低限度の生活水準を計算しろと。

専門家の科学的知見すら不十分不完全であり、遠い過去の判断である。

すでに取り消しではまったく実質的引き下げの追認にしかならないことは明らかだ。

支援弁護士すら、腰が引けて遠慮している生活保護問題。

日本人は弁護士ですら人権擁護の感性が乏しい。

守りでは勝てない。

攻めてこそようやく人命は護れる。

ただ敗けるのではなく人命が損なわれるのだ。

改憲は必要ないが、護憲が及び腰では話にならない。