最初のうちは、引き下げやむなし程度の裁判官も多くて敗訴率がかなり高かった地裁判決が、コロナ以降の異常な物価高の中で、次第に変化してきている。
さすがに減額は過酷なのでそうなる。
むしろ増額しても足りないような少ない支給額。
生活保護バッシングできるほど、日本の就労環境、賃金、福利厚生は整っておらず、むしろ近年はさらに悪化している。
客観的データ、客観的判断基準などが揃っていれば、いくらなんでも生活保護基準額が低過ぎることは誰が見ても明らかだ。
自己努力でもどうにもならないほどの物価高。
ステルス値上げと合わせると、統計よりさらに物価高。耐久消費財の耐用年数なども悪化しているから、あらゆる面で、国民生活は窮乏している。
生活保護受給者を狙った数多の福祉事務所の不正、朝倉病院事件や近年の滝山病院虐待虐殺?事件まで報じられて、そういうムゴイ生活保護制度の支給額まで減らすのはやり過ぎだと総合的に判断する裁判官がゼロではない。
裁判そのものは、争点は勿論支給額基準額の決定過程の問題なのだが、生活保護制度全体を俯瞰して、勤労世帯を含めた国民生活の向上をはかるのが国の責務。
生活保護支給額を下げて給与水準低下を狙ったアベノミクスの尻ぬぐいか?
みんなで生活保護制度を攻撃した結果として、日本人の生活レベルは下がった。
その因果関係を認めない無責任でアホな大卒とわからない中卒高卒のレベルの低さ。
私がもし弁護士を束ねる立場だったら、全国訴訟の争点、訴えの趣旨は違うものにしたと思う。
企業内部留保の蓄積に過剰があり、それらを給与と中小企業に還元した場合の給与水準を試算して整合するところの健康で文化的な最低限度の生活水準を計算しろと。
専門家の科学的知見すら不十分不完全であり、遠い過去の判断である。
すでに取り消しではまったく実質的引き下げの追認にしかならないことは明らかだ。
支援弁護士すら、腰が引けて遠慮している生活保護問題。
日本人は弁護士ですら人権擁護の感性が乏しい。
守りでは勝てない。
攻めてこそようやく人命は護れる。
ただ敗けるのではなく人命が損なわれるのだ。
改憲は必要ないが、護憲が及び腰では話にならない。