FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

移民の犯罪や生活保護率のファクトチェックはウソ

よく移民攻撃に犯罪が増えるから困るとか生活保護率が高いから日本人の富剥奪だという論調で主張され、そのときには必ずファクトチェックが入って、それほど移民の犯罪率は高くなく、生活保護率も平均的だという否定がなされる。
移民受け入れを積極的に推進するためのファクトチェックである。
実際には、犯罪の被害届がなされない収容所内のトラブルや被害が多発している。収容所外でのトラブルや犯罪も移民の場合は差別的取扱いがあたりまえで、しばしばスルーされる。
それは警察活動の中で、慣例的にそうすることが多く、犯罪が犯罪として取扱われないことがしばしば起きる。
それは一般行政相談止まりになっていることが多い。
それを犯罪率で比較すると、実際の被害とのギャップが大きい。
つまり統計で比較することは、事実確認として不十分である。
つまり事実と乖離した統計であることを明記するべきだ。
生活保護受給率について、人口比で見るが、人口比と=になっているのは適正な範囲なのかという疑問に答えていない。
日本人と同じ率で生活保護を受給しているという事実は、事実日本政府は外国人移民を支給上それほど明瞭に差別していないことを示している。
しかし、むしろ外国人移民に人口比よりも低い率で生活保護を支給するべきだという政治的意見、健全な差別意識に反する事実であるという指摘に回答できない。日本人の生活保護補足率はわずか23%前後であり、その状況で外国人人口比そのまま受給しているのは強い憤りを覚える国民感情そのものであろう。
つまり事実移民の犯罪は多いし、外国人の生活保護受給率は高すぎるというほうが、正しいのである。
物事の性質や見方の問題であって、ファクトチェックの意図に悪意があれば、それは正しいファクトチェックとは言えない。
生活保護については、平均所得と生活保護受給額が移民の出身国の収入からは著しく高額であり、あまりにも充実した医療サービスを容易に受給できることに対する不満や指摘である。
そのあたりを無視して、いくら統計をひいても、まったく説得力がない。
真実を隠したままで、政治家やマスコミや宗教がきれいごとを主張していることに、多くの善良な人間は辟易している。
いくら愛情深く慈悲深い人間であっても、先住民や文化的知的な人間を攻撃する姿や事実を見た時、誰もが移民に失望して理解を失うことになる。
そういうところを無視したまま、受入れを強制的に義務化するのは、なぜか?
その受入れの根拠がほとんどの人に理解できなくなってしまう。
受入れ側が移民に対する免疫をつくることも大事だが、現地社会の流れに沿った自由へ誘導する統合制度を拡充していくことも大事だ。
反社や犯罪を常識だと思っている移民集団もある。
助けるべきかどうかという判断でそのあたりを見過ごしていると社会は深い闇に包まれ常に犯罪被害の心配ばかりしなければならない。
どの国がその流民を助けるべきか、という問題は、文化的融合がはかれるかどうかに依存しており、経済や福祉だけを要求するだけならば、他の国へ行ってくれというのが現地人と当事者のためである。
要はただの強盗なら不要なわけで、本当にその土地の文化を尊敬できるかどうか、適性があるか敵性集団になるかをきちんと見極めることが重要だ。
そこを無視して、移民受入れは人道性とか経済性とか言う浅はかな政治意見は、結局受け容れられない。
道理である。