和歌山の爆発騒ぎて、またマスコミや政府関係が警護の責任、警護の問題を言い出した。
くだらない。
安倍晋三銃撃も警護の問題ではなかった。
明らかに政治宗教的な失策である。
政府には統治能力がないのである。
言論封殺の結果だ。
選挙制度改革で国会は議論しなくなった。
議論しようとすると野次妨害。
議論しないで強行採決するのは、確信犯。
高等裁判所も過日、世相が誰しも大変だから生活保護受給者が大変であたりまえという、およそ法治国家の裁判官らしからぬ不見識な判決文。
希望ある若い国民が煩悶し絶望し自殺行為に走るのはあたりまえだという判決文の意味合いのとおりになったわけだ。
国に、政府にきちんと国民の声を聴く姿勢があれば、警護なんて本来まったく必要ない。
国会議会で少数派と個人個人の声を聴く議論がなされれば選挙制度改革は必要なかった。
裁判官が国民の絶望(健康で文化的な生活を営むことができない事実)に配慮すれば判決は変わっていた。
日本の政治がオワコン化した象徴として事件が次々と起こる。
自由も民主主義もないから、政治が全体主義国家体制(日本版ネオナチ)になったからこそ、声なき声が暴発する。
今の日本では、内閣支持率は政策の正当性を証明しない。
犯罪は国民の悪事を証明しない。
政府の悪事と議会裁判所の悪質な共犯性を証明している。
もし政府官僚と内閣各大臣が善良なら起こり得なかった事件だろう。