よく政治家やスターなどが失言だの問題発言だとマスコミでとりあげられる。
政治家はそれで投票数が増減するが減るばかりではない。いわゆる失脚すると一時的に損だと言えなくもないが、またそのうち返り咲く者も多い。
スターも人気商売で似たようなところがある。
言いたいことを言って、その余波は余波、影響は影響でプラスマイナスゼロに落ち着く。
言いたいことを言わないのが一番問題だ。
独裁政治に気を遣っていては議論や改善がない。
イランや北朝鮮なら仕方ないのだろうが、失言や問題発言程度はどんどんやればよい。
誰かがキズつかないように、一応のマナーは必要だし、人の名誉を貶めないような配慮をしていれば、キツイことや議論の詰めにつながるような発言は自由にするべきだ。
議論、言論に対する抑圧が目的になっている揚げ足とりの失言攻撃はタチが悪い。スラップ訴訟と同類だ。
個人の立場や一方的な利害だけで、そのために誰かの発言を問題視するなんて悪徳以下の下衆。
個人の自由や尊厳と公益性のバランスをとった議論ができるレベルに到達しなければ話しにならない。
日本人は大卒のレベルが低すぎて絶望的国際競争力なのだ。
お山の大将、極東の主、日本の神道は多様性を認めるように、具体的目標と行動計画策定が必要だ。
東洋では60にして耳順が、日本では死んでもなお耳逆らう、人が死んでも耳を貸さない、いくらでも死んでしまえ、知ったことかという暴論を国会議員でも政府でも平然と吐く。
アジアのよい伝統を棄てた代償はきわめて莫大だ。
全員参加型の法華経も棄てて富裕層限定特権階級向けの政治経済では繁栄するはずもない。
民主主義は多様性ある自由な個人の意見交換から。
言論封殺は独裁政治恐怖政治の尖兵である。