FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

大政党とマスコミは亡国のポピュリズム 要注意!!イケイケドンドンの殺伐荒廃日本を望むか?

静岡県知事が辞任するというので、私はお疲れ様でしたと頭を下げたい気持ちであるが、それは立憲や国民が推していたからではない。

学者としてのノウハウを発揮して県民生活を守るために丁寧な公務につとめた立派な方だからである。

公明党がチャラいのは誰しも知っているが、自民党は硬派なイメージで日本の専門家的なイメージで売っている。

しかしながら、そのイメージはまったく間違いだ。

自民党静岡県連は、辞任表明を受けてまず第一声、みなさんにわかりやすく説明できる候補をと表明した。

もし知事がみなさんにわかることだけをやるのであれば、選挙も公務員法規定も司法も要らないことになる。

そういうマスコミ受けそのもの、商業主義の言いなり、大阪維新的な人気取りの政治家を選ぶから、ここ近年国民生活が逼迫してきたのである。

財務省緊縮財政問題も数少ないまっとうな経済学者の意見を無視して生活保護バッシングで人気取りを狙う手法、ポピュリズムからきている。

当然に少数派意見を無視した多数決民主主義はバッタ物である。

ここまで生活が戦時経済一色で苦しくなってもまだ、みなさんにわかりやすく高齢者障害者を絞め殺せと言って人気取りをする自公立憲維新に退廃するだけの日本人は、一周回って勤労者の生活が成り立たなくなることにすら気が付かない。

その殺伐とした心では豊かな瑞穂の国はもうこれからは成立しない。

また、大学等高等教育は贅沢ではない。

全国民の権利だ。

知性を磨き上げた優秀な公務員をバッシングするマスコミの深刻な異常性危険性に不感症になってはならない。

日本人の常識が日本人を絞め殺していることに気が付くべきだ。

そしてそのことに大衆が気が付いていないからこそポピュリズムは危険なのだ。

日本人にとって大卒日本人がどこまで馬鹿なのかという真相は日航機墜落事件の真相よりも受けとめることが難しいようだ。

低品質な貧困日本がマスコミ誤誘導のポピュリズムで確定している。

85年日航機墜落と財務省は本丸ではない

知識豊富で知名度もある経済アナリストが余命幾ばくもないというのに、水を差すのは本意ではない。

しかし、やはり東大の経済だなというガッカリ感もある。

彼は円高を問題にしているから、勿論急激なものを指しているのだと思うが、釈然としないものがある。円高で輸出産業がダメージを受ける時期に輸入産業が儲かるし、日本の価値が上がって(正味により近く評価されて)輸出産業の心配をするというのは本末転倒であり、昨今のアベノミクス不況の原因でもある。

適正なドル円レートなどというものは、本来実体経済に即して勝手に市場で決まるのだから、介入とか経済協定とか公定利率とか人為的なものの効力には限界がある。

財務真理教という題の本を面白く書いても、そもそも彼も教団幹部の美味しい御利益をまったく享受していないわけではない。

多少なり自作自演であろう。

出世のために緊縮財政をやるのが問題だという人がいるが、そもそもなぜ日本で出世したいのかという所を忘れている。

さらに、85年日航機墜落事件についてアメリカへの借りという見方の人たちが見落としているのは、無制限な借りではないことだ。

重大な秘匿事件が起こった場合に無理をして完全に隠そうとしても、部分的には事実を残さざるを得ないわけで、永久に闇に葬ることは到底できっこない。

日本政府として毅然とアメリカに物が言えないのは、墜落事件だけが原因ではない。

確かに2つの大きな日本政治のディスアドバンテージではあるが、日本人の心がそれを超えられないことが、日本の凋落をもたらしている。

心でもあり日本人の規範でもある課題は案外日本人には見えないのだ。

私のブログでは度々日本人の病について触れてきている。

何を信じて何に従うかという規範や心の問題だ。

アメリカと財務省に従うだけの心を入れかえないと永久に日本が浮き上がることはない。

それは地獄を自分たちで選択しているから地獄なのであり、地上の楽園を選択すれば良いだけのことだ。

フライトレコーダーは公開されるべきだが、まず司法は公開させない。

アメリカのケネディ暗殺事件の記録が法定年数で公開された後、記録には大した記録がなかったことを想い起こす。

フライトレコーダー以外の記録はおそらく大した記録ではない。

みんながショッキングでタブー視する案件は記録そのものがタブーなので、記録そのものは不完全なことも多い。

真相に迫ることも大切だが、政府が終わるということを極端に恐れる日本人は異常だ。日本政府なんて終わっても大したことはない。多少の混乱を経て落ち着くところに落ち着く。

戦争そのものではないし、それぞれの生業の評価は多少上下するだろうが、価値のある重要な日本文化は保存されるだろう。

ただ問題なのは、政府が終わっても神道地獄が終わらないことだ。

政権を交代しても、事故の真相を白日のもとにさらしても、財務省を解体しても、別の財務省、別の事件事故、新しい政権の変容が繰り返されるだけである。

日本人はもっと自信を持って新たな規範と豊かな心の麗しい民族として再起するべきだ。

個人個人を分断して長いものに巻かれるように誘導するだけの旧態依然のアジア政治を守る神道国家に未来はない。

概して東大京大の欠点は近代化の過程でアジア史に日本人を埋没させてきたことかもしれない。その流れでかつぐ神輿をとっかえただけで、アメリカにへつらう根性が集団心理として顕在化しているとも見えるからだ。

日本のアドヴァンテージは戦後経済の中でより明らかになったのに、まだ大国の言いなりというのは戦術であれ戦略であれ不味い。

ただ心で方向転換をみんなで決めれば良い。

弱い者いじめをやめて、みんなで繁栄するための政治を選び、年月をかけて上昇発展していくぞと腹をくくれば良いだけのことだ。

本来は日本は超大国の次席だ。

せっかく生まれてきたのだから、未来志向か地獄志向かの二択をクリアに選択するクリアな心と頭脳を持ちたい。

むしろ経済アナリストとしてより、人間として結局良心の叫びを完全に殺すことができなかった森永氏には賞賛もまた必要であり、戦いきって思い残すことがないようにしていただきたい。

彼は自分には甘いが、良心から真実を求める人間としての気持ちはよくわかる。

名声とは別に、誰しも極悪の共犯者や加担者として死にたくないのだ。

自民党の体質は変わらない 永田町をきれいに

世耕議員が近大の要職をつとめていて、処分が決まった日の前後にも訓示をしていた。

何か悪いことをしたと反省しているのならば、要職を辞任するはずである。

学生に訓示する資格など客観的にはない。

最近自民党に入った和田参議院議員のインタビューを見たが、抜本的出直しとかキチンとしなければとか嘯くだけで、まったく今まで通りの姿勢に変化がない。

公明党と組んでから特に自民党議員の芸能人化が進んだように見える。

楽に何千万円集められる人気者だと勘違いしているから、パーティー券問題にも麻痺しているのだ。

だから、肝心の政策がまったくない。

官庁・財務官僚の原稿を読むか、ひたすら誤魔化すだけが仕事になる。

世耕議員は生活保護1割カットの取りまとめ役座長だったそうで、受給者の権利制限を主張し、まるで大阪維新のような暴論を展開してきたとのこと。

どれほど多くの罪のない市民を苦しめてきたか言語に絶する悪逆非道ぷりだ。

処分は正しいが、自民党の政策が世耕氏と大差ないでは国民が納得しない。

生活保護生活扶助基準を2割とか3割増くらいの、年金等のベーシックインカム増につながるような政策転換ができないのであれば、所詮国民の敵は自民党であろう。

公明党立憲民主党維新も生活保護バッシングなど弱者いじめでふんぞり返るだけの悪党であるから日本には希望がない。

自民党におべっかの政党なんてそもそも政党なのかと疑問を感じる。

また、だからこそ自民党は変わらない。

現在の大手政党はもはや悪党だ。

この記事は不満分子を煽るためではなく、客観的な国民生活の窮乏からのシビアな指摘であることを断っておきたい。

若者たちも権力に媚びる程度の低い者が学士博士号を取得している。

高学歴国民の程度がまた低い。

自分のことだけやっていても、自分の首がしまるだけ。

処分議員のあとに続いて不正社会人になるだけのろくでもない学生たちに未来はない。

有名大学は概して知性の欠片もない博士号学士号ばかりである。

消費税を5%か3%に下げるだけで実質給与が上がるのに 裏金問題???

洗脳されてヨーロッパ並みの消費税に近づけると社会保障が維持できると思っていた人達がかなり多いだろう。

果たして消費税を増税するたびに法人税率を下げるので、社会保障には回っていない。

なぜ大手が値上げばかり繰り返すのかと言えば、円安で経費が上がり、かつ売り上げが少ないからで、最近よく言われるのは、給与を上げるべき論。

大手は値上げしているし資金プールがあるから5%程度なら出来るところもある。

しかし大手の一部だけの話。

近年は日本人全体として賃上げ(可処分所得の増加)が必要な場合である。

しかし政府は消費税に触れない。

5%減税すれば所得は約1割増える。3%に減税すれば約14%増える。

社会保障とは別の問題で、1割程度国民の収入が増えると消費も1割程度増える。

日本の消費税は特殊なので単純にヨーロッパに税率を近づけるとよいわけではない。

税制全体と経済循環全体を俯瞰して判断すると消費税減税が大局で正解である。

裏金問題で処分を厳しくすることは当然だが、政治本来のやるべき仕事をやらないままであることに変わりはない。

訪問介護の報酬を減らしたり、消費税に目をつぶったり、政治が出鱈目な方向を改善出来ないから、日本国民は大抵不幸である。

洗脳されて国民負担率が48%になってもまだ五公五民の水飲み百姓を好き好むとは常軌を逸している。

国が国内の弱者虐待を誘導しているのだ。

議員をしっかり選ぶ目を持たなければ悲惨なままだ。

アタマの良し悪しではない。

物の道理で少し考えて計画を立てる人間ならば、悪い政党やオカシイ議員に投票したり無投票で悪事を野放しにしたりする筈がない。

日本国民ならば消費税減税や訪問介護報酬増額などのまっとうな主張を貫ける政党候補がどこの誰なのか位は知っておかねばならない。

弱者虐待は他人事ではない。

各個人はみんな弱者である。

経済の話題を身近な生活実感で考えると、異常な政党や議員が浮き立つ。

日本文化の良いもので既成政党はウソでもなんでも誤魔化す。

政治文化のひどさと日本文化の良さを混同してはならない。

ひどいものはひどい。

ただそれだけを直視して判断するとよい。

マスゴミに怒る川勝知事に共感

なんでも県への新入職員への訓示で、彼らを励ますために発言したことを、読売などが切り取って差別発言として報道したらしい。

川勝知事の会見を観て、またかと怒りと落胆を覚えた。

質問する記者のレベルが低過ぎて、あれではただの野次馬である。

県職員に意識を高く持って誇り高く公務に勤しんで欲しいという趣旨が、職業差別だというのは曲解も甚だしい。

記者が知事に向かって、マスコミが入っている場での発言だから、一般向けに発言しろという要求は、そもそも筋違いであり、知事の職権を不当に制限するものである。

できれば、知性をもって公務に誇りを持っておられる川勝知事には任期を全うして欲しいのだが、あまりにマスコミの無礼な姿勢に怒り心頭である。

知性の専門性や役割が違うのだから、知性云々という表現にはまったく問題ない。

曲解すれば公務員に知性があって、他の職業には知性がないという無茶苦茶な解釈が成り立つが、公務員としての知性というのは適切に差別しなければならないのである。

たったそれだけの日本語の解釈すら出来ないようなレベルのマスゴミ編集者や記者、愚かな民というのは、もう少し知性を磨くべきだろう。

マスコミだろうが何だろうが知性がないから曲解するのである。

知性があれば誤解を解けば済む。

しかし馬鹿か根性の曲がった人間に正しいことを理解させるのは、甚だ困難だ。

日本の重要な立場から、知性が1人いなくなることの損失の大きさを理解すると戦慄を覚える。

マスコミ対応に苦慮して知事職に支障をきたしているだけだから、川勝知事の職務には何ら問題はない。

訓示にもリニア施策にも何の問題もない。

むしろなしくずしに公務が不適切になされ、国が暴走して県民国民が被害を受けるほうが大変なので、なんとか職に踏みとどまって県民を見捨てないで欲しいと思うが。。。

 

テロと原爆と共同体と

アメリカ下院議会議員が広島長崎に続けてガザに原爆という趣旨の発言をした。

真珠湾攻撃も軍事テロの1種で、ここでその後の非人道的な日本軍の一連の蛮行をわざわざ挙げる必要はなく、広島長崎への原爆投下の理由とされる。

しかしながら大多数の日本人には原爆投下は絶対悪だという日本的な、その実はアラブ的な逆怨みの主張しかない。

この問題で、当時の日本軍や日本の政体を日本人臣民は選択できただろうか?

つまり、選択できなかったが故に、原爆投下はやりすぎだという感覚なのであろう。

公正な選挙で政権を交代させて、平和的な国際社会秩序の範囲内で国力を充実させる方向を選べたら選んでいただろうか?

私は甚だ疑問だと思う。

冷静な国際社会秩序の協議に継続的に取り組めた政治家もいなかったし、現在までそんな優秀な政治家はいない。

テロ対策で無関係な人まで犠牲にしてよいのか?

他の記事でも書いたが、個人的には無関係だという主張が成り立つけれども、国家や共同体としては、どう言い訳をしても不可能。

軍政や独裁の構成員、一員としてみなされる。日本人が学徒動員や軍需工場で勤労して軍に協力しなければならなかったので、日本人はまさに準軍人として殺されたし、巻き込まれるように政体がしていたから、それは今のガザ地区によく似ている。

その場合に生き残る道は亡命しかない。

その合理的判断をした人達は、世界中どこにでも存在している。政治的に不安定という理由だけでも亡命する人達はたくさんいる。

日本人もアラブ人も情に厚いと言えば聞こえは良い。

しかし、指導者が暴走した場合に止める意志や意欲には乏しく、テロや戦争を止めることが出来ない。むしろ態度はテロに協力的だ。仲間意識が強く、指導者の誤りの犠牲になる。

つまりテロ行為は実行犯だけが悪いと見るのは間違いであり、冷静な目からはその共同体への所属そのものが犯罪レベルの大罪なのであり、亡命の理由でもある。

生まれつきの共同体に安住し盲信することの危険性を明確に認識すれば、かなりの共同体について罪のない市民なんて存在しないことがわかる。

まず冷静にそのあたりを認識するレベルのユダヤ教キリスト教系や日蓮正宗などの知的水準を学ぶことも必要だと思うが、ぬるま湯に慣れきっていて、ある日突然被害にあった罪のない市民をアピールしている虚しい人間にならないように思考して行動するように願い、もって人類の進化と世界平和を願うものである。

テロ対策に原爆はやりすぎだという感覚は寝惚けたコアラのようなものであり、まず共同体内政でテロ対策がなされていなかったことを深く憂慮して行動することが先決である。アメリカ軍やイスラエル軍、ロシア軍に原爆を使用させる口実を与えてはならず、すでに口実を与えているウクライナハマスの共同体構成員が今何をなすべきか、冷静に思考して行動するべきだ。

日蓮正宗の謗法与同罪という概念は確かに宗教上のものだが、ナチスに従順だった真面目なドイツ人の問題と二重映しに見える。

猛反対するべき時に従順とは何事か?

ハマスに猛反対するべき時、ゼレンスキー政権に猛反対するべき時、ナチスに猛反対するべき時、その時を大多数の日本人は見ようとしていない。

20000アクセス到達

拙記事を書き連ねてきて、ようやく。

ゼロアクセスの日もあったし、1ケタの日もあった。

4年27日で20049アクセスなので、平均すると1日13.49人余がクリックしてくださった。

私は伝統的な日本人の家系の出の立場でもあるが、かなり自由な発想で書いているので、面喰らう方も理解に苦しむ方もおられたことと思う。

それは書く側としては予想していることだ。

単なる逆ばりとは異なり、単なる反政府的な権力への憤りでもなく、単なるフェミニズムとは距離を置き、とにかく現実のありようと向き合う人間の弱さが普遍的なものであると言い、その対応策より我々が受け止める心持ちの違いとその向上が人類の進歩に直結することを考える機会を提供したつもりである。

その意味で、少ないながらカトリック日蓮正宗智慧と経験についてかなり記事を書いている。

そのテーマを通奏低音として理解していただけると幸甚である。

最近は、少し趣きがキリスト教カトリック系統の方に移行しているけれども、所詮日本人に不可欠な日蓮正宗発の神道智慧や経験を踏まえたものであり、そもそも生まれた時からカトリック教会に御縁があった者としてのものであり、衣替え程度の変化しかない。

ご興味のある話題だけでも、また目を通していただいて、多少なり参考にしていただけるならばとても励みになる。

いつもお忙しい中感謝申し上げたい。

書く頻度は少なくなるが、今後とも何卒宜しくお願い申し上げたく存する。