FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

税を知らない日本人 麻生に刺客

世界には先進国と途上国があり、日本は途上国としての財政と教育をしている。

東大はIQやランキングはほどほどなのだが、基本的に日本を途上国にとどめておくことが仕事になっている。

もともとは橋や道路のための租税通行料、王権の建造物や墓のための使役租税など公共と王権のために発生している。昔は現物を納付したり人夫奴隷を差し出したりする上下関係から。

先進国は国作りのための誘導と所得再分配のための租税になったから、技術の進歩は教育機会と福祉の充実に使われてなおかつ軍事を維持している。

日本はわからない国民にウソっぱちを教育し、納税してあたりまえだとしか言わず、財政均衡ばかり言う。

租税は国民の教育費を奪い中流下流に落とすためにし、エリートの椅子のためにとる。

福祉は甘えや不正だと教え、必要な待遇を厚待遇として攻撃させる。

努力しても無駄なシステムは租税から構成される。

裏返しの予算配分も同じだ。

いくら頑張っても納税しても年金も生活保護も医療サービスもまともに受けられなくなる。

公教育の劣化、インフラの民営化と値上げ、公共サービスの縮小などおかしなことになっても不必要な重税に持ち込もうとしかしない。

国民を苦しめることが目的で租税している。

国民の不幸を意図的に作り出して優越感に浸る変態趣味の途上国である。

国民のための租税政策に見直すためには、日本人が目覚めなければ日本人が無駄に苦しむ。

財政収支は家計とは異なり、赤字でよい。

むしろ赤字でなければおかしい。

言い方が赤字だから悪く感じるだけで、税は政策のためにとるだけだというところに気が付くべき。

本来、人・もの・サービスを質量ともに上げていくために、有害なものに高率の税をかける。

予算は必要なところにきちんと配分して人・もの・サービスの質量を上げる。

税を予算で分配するという考え方が間違いだと理解しなければならない。

必要な予算をまず配分して、余りと有害産業から徴税するのが正しい税の概念だ。

未開人に先進国のセンスを理解することができるかどうか?

できたとしても、エリートは故意に間違いを国民に洗脳する。

国会議員も大臣たちも官僚のレクチャーに洗脳される。

日本人は精神異常なのである。

れいわの水道橋博士参議院議員を辞職したそうだが、あの政党は全議員候補者ともにこの税の本質とカラクリを理解している貴重な政党である。

世界を俯瞰したときには、日本でもっとも常識ある経済政策、租税政策を持っているのだが、イメージは非常識な変人の集まり。

自由と民主主義のためには、見た目やイメージではない政策をよく理解していく必要がある。

 

本番まであと12日ピアノ合わせまであと4日

基礎練習を終えてからとりかかる。

今日は今までで一番よく弾けた。

詰めれば次から次になおすところが出てきて、まだあるのかと思うが、ひとつひとつ。

よく聴く。

指導を思い返しながらイメージどおりに弾く。

何気なく弾けるまで繰り返す。

サルトリーかボアランならお手本と近似の音表現ができるという言い訳が要らないような奏法の技術になるように。

弾けていない(アマ)ならピアノとメゾピアノの表現になり、弾ければ(専門なら)フォルテとメゾフォルテの表現になる。

楽譜の指示はフォルテとピアノしかない。

本番まであと13日ピアノ合わせまであと5日 お手本

お手本になる録音演奏を選んだ。

長く聴いてきたハイフェッツグリュミオーと近年のハーン、エーネス、バルグリー、シュタブラーヴァ各氏の素晴らしい演奏からシュタブラーヴァ氏に決めた。

練習用にはエーネスのややゆっくりの速度。

ドイツから来日したエーベルレ女史がサントリーホールで独奏したのはいつだったか、端正で美しく澄みわたったモーツァルトの5番が印象に残っているが、残念ながら音源としては持っていない。

シュタブラーヴァ氏の演奏を何度かよく聴いてみると、自分の未熟さがよくわかる。

その音の細部と流れをこれから詰めていこうという気持ちになった。

講師の先生が楽譜を見ながら聴くように言われて、やってみると発見だらけで、いかに精霊を散漫に無駄使いしていたのかと反省する。

技術不足もさることながら、ところどころ慣れない関西弁の変なアクセントやイントネーションのような不自然な演奏になっていて、恥じ入るよりほかはない。

なんとなく好きなように弾くだけでは、もともとのセンスというのはやがて損なわれる。

演奏技術は音楽のため。

お手本を聴くこと、聴く姿勢を改めて練習をしてみることにする。

 

値上げより大切なこと

時々思い出したように行くマクドナルドやケンタッキー。

ビッグマックが好きなのでかわりばえしないメニュー。

各国の名物メニューで興味があるのはNATO加盟諸国のメニュー。

オリジナルメニューはアメリカ名物。

今楽しめるのは日米だけということ。

とても偏っている。

あまり値上げするので、行く頻度は下がる。

今の日本では孤独の心地よさが浮き立つ。

にぎやかな店内でかなりの御一人様がいる。

スタッフの明るい接客に救われる。

いつもアメリカの店内の雰囲気を思い出しながら食べているのが少しだけ不幸なのに幸せという複雑な明るい気持ちになる。

外食が気軽にできるとよいのだが、最近は三千万人くらいはかなりハードルが上がっている。

健康の一部としての外食、会食の機会均等もあるから、多種多様な人たちが安心して食べられる経済環境にしておかなければならない。

人間のコミュニティから人間を閉め出すことは愚かだ。

日本政府もアメリカ政府もそういうものはどうでもよくて知らないから、凶悪事件や銃撃事件なども起こりやすい。

連合の賃上げ目標はわずか5%。

大企業すらそんなもので、ほとんどは重税と圧政に苦しみ悲鳴をあげている。

通行人の多くの人々の表情がおかしく目付きが危ない。

もはや人間ではない人々を無限に増やしている失政を支持している異常な精神に気が付くべき時なのだが。

一方辞職一方不問

日本が自由と民主主義の国で平等な機会のある国だと思っている人たちはどのくらいいるのだろう。

他人に殺すと言って熊本県議は辞職したそうで、二階氏はやはり殺すと公な場で発言したと報じられたが結局不問になっている。

一般人が他人をケガさせれば傷害罪だが、報道では官僚が一般人をケガさせても不問になった。管轄警察署の裁量問題、検察による不当な差別問題などはほぼ不問とされている。

この国政上、道義上、刑事司法上の差別は深刻な不協和音を鳴らす。

しかし国政従事者たち、官僚議員などはそれこそが治安と平和なので、公然と憲法違反を繰り返す。

そもそも憲法を理解するつもりがないから、特権階級保護のための公的差別を最優先にしている。

天皇皇室、国政、企業、下級公務員、労働者、未成年者、高齢者、障がい者、ホームレスという具合に上下関係身分関係を階級として浸透させ続ける不断の憲法破壊活動が功を奏して、不当な抑圧による投票率低下を実現しているのだ。

高等教育と就業の機会均等を徹底して認めずにまじめに努力する国民を蹴落として上級国民が独り勝ちのシステムを堅持するのが国体の護持だから、総人口からは信じ難い国際競争力になった。

国民一丸ともNATO団結ともいかない諦めムードは、国民一人一人の人材育成を放棄してきた70年代以降の国政が原因だ。

自治体の長は団体を相手に挨拶し、市民区民の育成より学校地域で階級上下を調教する。

とても自由や民主主義など実現するはずがない。

均等な機会を設定した上で、個性が発揮されるものを、身分階級で9割を潰して隷属させるので、大人になった時に意見のない隷属投票や賄賂投票などに流れる。恐怖と欠乏で投票などできない国民が大量に存在している。

日本代表や選抜が海外で苦戦し完敗している相手国は国民全員に機会を与えてこその実力である。

国民の数%だけに機会を与え、数%に媚びる国民だけでは国際競争力は厳しい。

家庭なら育児放棄、国による国民へのDVは残虐非道であり、その政治的不公正が当たり前になって日本人は麻痺している。

若者にすら夢も希望もない。

子を食い学生を洗脳して土民を量産しているに過ぎない。

戦闘や核実験には最適な地域なのかもしれない。

本番まであと14日ピアノ合わせまであと6日

音楽や霊的体験はどこにでもあるようで意識していなければ遠ざかる。

戦地の報道に向かう記者が「これから文明を背にして戦場となっている都市◯◯へ入ります」というように、音楽と霊的体験に背を向けることがありふれている。

ここでいう音楽はクラシックや伝統音楽と教育上の音楽で、わたしの場合キリスト教教会、クラシックバイオリンのレッスン、クラシックコンサートなどをわざわざ見聞体験してこそ理解会得しうるものだと思う。

辿ってみると、パリのノートルダム大聖堂やスペインの修道院ウィーン少年合唱団などの霊的体験と重なりあう世界がそこにある。今はYouTubeでその大聖堂や修道院の雰囲気をうかがい知ることができる。もちろん日本に教会はあってパイプオルガンや合唱などがあり、法王ゆかりの品物もあったりする。

モーツァルトの手紙などを中学生のころ読んでみたが、彼の生活はいちおうは職業がうまくいくようにという思いと完全な下品さが溢れていて、妻帯世俗、どこからあの美しい音楽が出てきたのかわからないほどだが、やはりバイオリンとピアノが達者な人だったから、音楽全般を一通りできて父親が音楽をよく知っていたこともあるのだろう。

まだ当時は教会からフリーメーソン禁止令は出ていなかったのか、教会文化の世界でその影響はそれほど大きいように見えない。バッハみたいに教会そのものにどっぷりではない自由度を感じる。

そのモーツァルトの若い頃の作品とされているバイオリン協奏曲は20代前半までの旅と音楽経験や感性をあらわしているようで好きな曲のひとつ。

偶然手に入れたケッヘル番号の1桁から2桁のもののソナタ楽譜を見ると、幼児のものらしくシンプルなのに面白いから、レオポルド父はよほど教育がうまかったのだろうと思う。

わめいたり暴力をふるうとか物を壊すような危険で狂暴なものは影も形も見えないのだが本当のところはそういうものは人には見せないだけという陰惨な中世的背景がもしかするとそこにはあったのかもしれない。そういうことがない父子や人間関係がもちろん幸せに思えるものだが、本人がそこを何と言い遺したのかわたしには不勉強でわからない。

一面は別にして、やはりのびのびと押さえどころは楽しくおぼえさせる。

おぼえると楽しいから病みつきになって才能を発揮するし、可愛い若者なら好意的に迎えられることも多い。

文明と獣剥き出しの対称的方向性、平和と戦争の分かれ目、呪縛拘束と自由。

霊感にはそういう明確なたてわけがある。

だからこそモーツァルトの私生活と音楽の違いにみんな驚くのだろう。

作品が次第に複雑で高度な豊さを表現するようになる前の若い頃の作品は、弾くほうも弾くことに集中しやすいシンプルさがあって安心。

シンプルな基礎力の不足があらわになるから誰にとっても難しいともいえる。

毎日の基礎練習を考えてきっとモーツァルトはピアノのほうに向かったのだろうと思うほどバイオリンは人体にとって不自然な楽器に見える。

しかし官能性、一体感、表現力などでのアドヴァンテージはあるから、人気も高い。

突き詰めれば同じようなものだろうと思いながら、脳に記憶された先生の指導集を浮かべながらバイオリンを手にする。

レオポルドからウォルフガングへの流れ、そこにあった音楽の感性、そんななにかを思いながら。

正しさと厳しさを静かに穏やかに感じさせ伝えていく。

暗黒時代に光と希望をもって歩む。

本番まであと15日ピアノ合わせまであと7日 合奏とソロ

幼少期(3歳から7歳)は年4回の発表会に参加して、そのうち1回が合奏発表会だった。

別記事で何度か触れたが、妹の病気でゴタゴタしてその後はあまり参加できずに小学校5年で正当な理由なく私立中受験を理由に強制的にレッスンをやめさせられた。

そのかわりではないが、中2と中3の合奏と社会人アマオケに中2のニューイヤーコンサートから中3一杯参加させてもらった。

妹の病気がなく、家庭が平和だったらまったく別の音楽家コースを歩んだ可能性があった。

さいころのことは正直ほとんど覚えていない。

中学生の頃は、音コンの北九州大会優勝から福岡大会に行く人たちが勢ぞろいで合奏のレベルが高かった。別に基礎の先生についている人が多かったためだろう。

しかも皆さん楽器がコンクール用。

その中であまりよいとは言えない半端な楽器でも合奏ならその欠点はあまり出なかった。

合奏でみんなが上手に美しく弾くのにぴったり合わせることで、急速に成長する。

オーケストラで音楽性の基礎を体験する中で、バイオリンの基礎は半端でもかなり上達した。

ピアニッシモを力まずに楽器を鳴らしきる技術を身につける環境としても最高の環境が合奏・オケだと思う。

同時に誤魔化し方の技術も覚えたというか基礎はまったくの段階のままだった。

一般大学でソロを弾ける機会では、楽器は安くて音が安いにもかかわらず、オーケストラでの経験が活きてまあまあの演奏を評価され技術不足も評価された。

幼児教室の合奏ではテユッティ、主旋律ユニゾンをやるとアタックやバイトをしない滑らかなボーイングが得意になる。裏を返せばのっぺりした弱い表現になりがちだ。

ディベルティメントやアイネクライネなどの合奏曲は和声が美しいだけでは不足だが、指導者はあまり注文をつけないほうだった。時間が足りなくなるから目立つところだけ指摘するというやり方だったように思う。

音程だけはさすがに厳しく指摘されたが記憶の中ではわたしが一回練習していなかった箇所を言われただけで、当時は誰一人微妙にすら音を外す人なんていなかった。

ソロの面白さはぴったり指揮に合わせる気楽さとは違う自分の表現が許される範囲があることだ。

次から次にたくさん練習している人たちの舞台演奏を聴いていると、きちんと弾けている人と甘い人とまったく芳しくない人に大別され、きちんと弾けている人だけがソロの面白みを感じながら弾ける。

しかしきちんと弾くことだけに集中している人の演奏は面白みに欠ける。

律儀でまじめなタイプは大器晩成でそれはそれで高く評価されるが、目指すところは音楽なのでソロにはあまり向いていない。

最初から音楽の深い面白さを起点にした演奏をする人たちは、楽し気にきちんと味を出して弾くという違いがあるのかもしれない。

下にコーダの記事をコピーしておくが、弓の使い方を覚えると、音色とか発音とかのバリエーションができて演奏が楽しくできる。才能ある人は、いちいちバリエーション練習なんてしなくても自在に弾きたいように弾いて大人たちを驚かせるものだ。

どちらかと言えば、音楽の感性が豊かで楽器の表現力があれば、自然と音楽表現は広く深いものになるのであって、弓の使い方を習うというのは感性の発達が遅れている場合と楽器が半端でエッジをきかせる必要があるためであることが多い。

もちろん基礎練習くらいは誰でも課せられるし一度はやらなければ型崩れを防止するためにも必要なのだと最近痛感している。

曲を覚えるときに音楽として覚えるので、その時セットで弓の使い方を覚える。

だからこそソロが面白くて好きな弓遣いで好きに表現できることが素晴らしいのだと思う。

楽譜通り指示通りだけで自由がない合奏や段階の無味乾燥というか殺伐とした感じとかは指導者の音楽性の問題でしかなく、決められたとおりにとりあえずやって覚えるという学習のセオリーは誰しも同じだろう。

なにがいいたいのかといえば、合奏とソロはまったく別もので、弓も指も基本的に自由なソロをよい楽器で弾けるのはとても楽しみで仕方がないということだ。

もちろん不慣れで合奏もソロも理想どおりにはいかないことは十分にありえるが、その到達段階を確認して一歩前進をすることができる喜びというものもある。

練習しながら次の目標がすでに見えている。

またもっとよくなると感じる風景が眼前にあらわれる。

この音の風景に出会い続けること、まだ見ぬ風景に胸躍らせる弦楽器のすばらしさを多少でも知ることができて幸福だ。

学習者としての楽しさが蘇生しつつある。

CodaBow 
How Can I Get Better at Violin Bowing?
Have you heard of the 10,000-hour rule? There’s a theory, popularized by Malcolm Gladwell’s nonfiction book “Outliers,” which suggests to become a master of anything, you need to put 10,000 hours of intense work into the development of that art, skill, profession, etc. While some masters debate whether that’s true, there’s one thing that’s certain: If you want to get better at your chosen skill, you need to put in the development time.

As a violinist, it’s important to learn good habits, stick with them, and play consistently. By doing so, you will be able to improve because you created a good foundation to build from. Through learning and practicing the correct bowing techniques, you will become a more skilled violinist and perhaps reach the point where you can create a tone that suits your playstyle preferences — but you need to put in the work. If so, this approach will allow you to tap into your emotions to give a performance that is rich and full of expression.

Then, as you advance and start playing more difficult music, you can revisit the basics, as needed, and further develop your bowing techniques so that you are able to reach your full potential and give your best performance.

Improved Bowing
Follow these tips to improve your violin bowing, but keep in mind you won’t see immediate changes overnight. Lots of practice will be necessary to become consistent and proficient.

Hold your bow correctly. Your bow grip determines everything — from the angle at which you play to the pressure you place on each bow string. Grips can look different, but it’s key to make sure your hold is relaxed and your fingers are a bit curved. Practice your grip, holding your bow across one of your strings between the bridge and fingerboard to make sure it feels right. Good finger flexibility will go a long way in helping you here. Finger lifts and flexor stretches work great to improve flexibility.
Once you feel good about the grip, go through some simple warm-up pieces and play from there.
Focus on consistency in your movements. How your playing wrist and hand move in comparison to your arm during a bow stroke is important. These parts must work together so that you can move your bow in a straight line. If you cannot do this, you won’t be able to play consistently at a high level, or be in a position to learn more advanced bow techniques.
Watch how your bow touches the strings. If you are not an experienced violinist, you should always perform with your bow flat on the string. This will enable you to focus on precision and your bow grip while producing a controlled sound that meets the needs of the piece you are playing.
Once you become an advanced player it’s fine to try angles and tilts to hear how those subtle changes impact your sound.
Avoid the frog and the tip — early on. It will be easier to develop good bow techniques by using the middle of your bow, instead of bowing adjacent to the frog or tip. Doing this as a beginner or intermediate player makes it easier to keep your bow straight on the strings. Once you’ve mastered this, then it’s OK to start playing by the bow frog or tip.
Practice in front of a mirror. The best way to make sure you’re following all the above tips correctly is to practice in front of a mirror. From how your arm, wrist and hand move while gliding your bow across a string to whether you keep your bow flat, you will be able to quickly identify what you are doing right and wrong.
Bow Techniques Impact Health and Further Development
Like nearly all types of art, it’s wise to master the basics before experimenting with advanced techniques. By being precise and focusing on the basics, your physical health will also benefit. This is because if you use improper bow techniques, you are more likely to develop physical issues that will negatively impact your health and career as a violinist.

The best way to protect your health is to use proper bow techniques and always play with correct posture. While seated, always sit up straight toward the front half of your chair. If you play standing, make sure your legs are relaxed and about shoulder-width apart. Following these simple steps and paying attention to how your body feels can help you avoid injury.

Give Your Best Performance with a CodaBow
If you are ready to take your playing to the next level, try a CodaBow. Pioneer of the carbon fiber bow, CodaBow offers a range of award-winning bow designs that are meant for violinists of all levels. From beginner bows meant to elevate and support the performance of developing musicians to innovative performance bows that offer exceptional command, our bow designs are unsurpassed. Explore the collection today or visit your local CodaBow dealer.

Fill out the form below to get the download and learn more!