FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

ニセモノを有り難がるな

メキシコやブラジルの屋台、飲食店で寿司やラーメンが普及している。
しかしスープも麺もまったく日本のものとは違うから見ただけで食欲が出ない。
寿司も日本で修行した人のものではない。
違和感の塊である。

日本人のクラシック音楽文化は、これとよくにている。
留学した人たちは大量にいて、もう珍しくもない。
ヨーロッパから日本や中国に著名な人たちが出向いてレッスンしたりコンサートをしたりするので、たしかに水準は向上している。
しかし、きちんとヨーロッパ基準を踏まえているかというと9割以上がズレている。
究極はヨーロッパ基準は世界中普遍的な基準なのだが、地に脚が着いてない人たちや極めてない人たち、一生懸命努力した人たちの多くは、ニセモノだ。
違和感がある人たちがたくさんいる。
器用に精密に音楽を造形する、いわゆるウマイ演奏家はたくさんいる。
世界的にも優秀とされる。
伝統文化には他人のための奉仕という面があるが、ホールの中だけの私利私欲に終わるニセモノがたくさん。
音楽演奏という技量はできてあたりまえであって、なんの才能も必要としていない。
しかし、日本人の単色刷の私利私欲の演奏家たちを見ていると、人間としての基礎がないことに気が付く。
難しい曲をいくら演奏しても、一音の色合いと拡がりに極東の未開性が著しい。
高額なチケットで聴衆を選り好みして神道の自己満足を第一にしているからだ。

日本人のクラシック音楽文化は違和感のある企画が目白押しだ。
聴く価値もないニセモノが多い。
ストラディバリウスも可哀想な楽器である。
日本の文化レベルは途上国レベルだ。