FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

ブリューゲル 南ネーデルラントの諺から2つ オランダ語に親しむ In de een hand water en in de andere hand vuur dragen. De haring braden om de kuit.

片手に水、片手に火を運ぶ

In de een hand water en in de andere hand vuur dragen.

ene-one-ひとつ

hand-hand-手

andere-other-他の

vuur-fire‐火

dragen-carry(着るwearの意味ではない)‐運ぶ

(Carry water in one hand and fire in the other.)

左下の悪魔をクッションで縛る女のすぐ上を歩く女が描かれている。

火ばさみ=vuurtangは16世紀フランドルでこの形状になった。

諺の意味は、二重人格、信頼できない人間、二枚舌など。

日本の犬猿の仲を表すオランダ語は、貴方がたは火と水の仲。

起源はギリシャイソップ物語

人とサテュロスの話で、寒い冬に冷たくなった手を温めるため熱い息を吹きかける一方、夕食の熱いスープを冷ますため、冷たい息を吹きかけるという行為を見たサテュロスは人を非難した。

別の絵でもブリューゲルは現していた。その下に記されている言葉。

片手に火、片手に水を運ぶ。

そういうお喋り男や女たちと一緒のときは、口をつぐむ。

二重人格的な人間の矛盾した行為を説明した二行目。

16世紀後半のヴァン・ヴァルネウェイクがネーデルラントの宗教動乱の原因について「あるひとたちはこれらのあらゆる重要な争乱の責任を、二つのK【カトリックカルヴァン派の両宗派】の間を泳ぎ、『一方の手で火、他方の手で水を運ぶ』態度のエグモント伯に負わせた」と述べた。

15世紀前半の詩人ジョン・リドゲイトの「トロイの書」にすでにあった。

トロイ戦争の経緯、謀反と処罰と情報漏洩。

「その手に火と水を持つような人びとは/ 明らかに信頼できない。どちらに対しても等しく無関心で/ 今熱いかと思うと、すぐ冷めたりして/ その意図がたちまち変わってしまうように、気分も変化し、/ 平静さの後に突然、怒りがやって来たりする」

ラテン語「同じ口から熱い息と冷たい息を吐く」

Ex eodem ore calidum et frigidum efflare.

英語で

to blow hot and cold.

いずれも同じことを褒めたり、貶したりする人間、相手によって意見を変えるご都合主義的な人間を意味する。

1606年『賢明と幸福の運命』ドナース・イディナウ。本名はヤン・ダヴィッド、イエズス会神父、ヘントやコルトレイクの神学校校長。

不和の火を点してから、それを消そうとする者は

片手に水、片手に火を運ぶようなもの。

平和を求め、自分の口をつぐみなさい

争いのあるところには、介入してはならない

喧嘩雀に係わるのはよくないことだから。

イギリス・フランス ・ドイツ・スペイン・イタリアで知られているのは、

「火と水はよい召使いだが悪い主人である」

正反対、不可欠で支配を受け大災害を被る。

 

はららごのために鰊(にしん)を焼く

De haring braden om de kuit.

蘭haring =英herring =にしん

蘭branden=英burn=燃やす・焼く

蘭om= to ,for ,at, by, onなど。ここではfor

蘭kuit=蘭paaien=英Fish eggs=魚卵

(The herring is burned for fish eggs.)

火箸を持っている女の左上に描かれている。

はららごとは、鮞と書き、魚卵の塊とくにサケの卵すなわちイクラのこと。

日本ではその塩漬けを指す。しかしここでは単純に魚卵のこと。

直接的な意味は、はららごのためにわざわざ魚を焼く行為は報いのない労苦という意味で、別の言い方では「油と仕事を失うこと」「無益に困難な仕事をする」となっている。

「賢明と幸福の運命」ドナース・イディナウより詩「魚卵のために鰊を焼く」

 少しばかりの報酬のために何か手助けをする者は

 魚卵のために鰊を焼く人間であることを知っているか

 相手に取り入る世話者は

 いつか報いられることを期待している。

 真の徳行にはつねに栄冠が授けられる。

17世紀オランダの寓話詩人で道徳論者ヤコブ・カッツ

 求愛者はそこではもう無理だとわかり

 自分のために鰊が焼かれることはないと知る

 そして「もう帰ろう」と腰をあげる。

今日のオランダ語の日常会話で「彼の鰊は焼けない」と言えば、「計画したことがうまくいかない」「希望通りにはならない」「冷遇される」などの意味でつかわれる。

金網について、丸形のものと梯形の違いがあって、梯形のものは聖ラウレンティウスが彼の受難の道具として手にしているものだという。

ボクレイク野外美術館館長時代のウエインスが丸形の金網を「鰊の金網」と呼んだという話がある。

かつてのフランドルでは、多量の鰊を焼いて食べていたと推測され、民衆の帰る唯一の海の魚だったとされる。四旬節の干鱈は例外的に民衆が食べた。

1840年の飢饉の時には、日曜日の聖堂内には鰊の口臭が充満したほどだという言い伝えがあるそうだ。