法華経の醍醐味は現代と未来に生きている。
三世間でわかる生命の真実。世尊は世間体だけのレベルじゃあない。自惟孤露。 路上死は昔から横死としてあった。子供食堂なんて素晴らしい。ホームレス支援はほとんど必須だ。 民間支援団体を組織化する人類の知恵とそれを否定して陰口をたたく創価学会や日蓮正宗の人たち。支援団体に堂々と公費投入できる欧州と冷ややかに見下す日本。公的社会福祉を活用する人たちと多数派の否定論者たち。富裕な地位あるキリスト教信徒は困窮者を拒否する。貧窮下賎。貧著五欲。入於憶想。妄見網中。 今も昔もお金があってもガツガツしている人たちは物事が見えない。まるで浅ましい餓鬼道そのものである。
アリストテレスが「人間は社会的動物」といったが、狭い料簡の古典的日本人の馬鹿さ加減といったら。 このあいだ国民の技能育成をと英首相は新自由主義に警鐘をならす堅実さ。
社会学は人間の世界を研究している。
名聞名利や名誉や世間体の基準がまったく違う。
人を助けるのは悪いことか?助けないのが良いこと?そんな愚問は東洋では悪しき伝統に固執する日本人にしかありえない。世界的非常識日本。
キリストと天照の違いは医療・福祉・尊敬・宣教・蹂躙・隷属・捕虜取扱いに明瞭。
キリストと日蓮の共通項は宣教と内面的充足と高揚による高次の理性。
キリスト教文明では複雑で高価な道具と熟練者の記録経験の蓄積を必要とし日蓮宗文化では単純な唱題(端座発声)のみで実現した。
日蓮宗と天照の共通項は日本人労働者を困窮させてきたことだから、決してハイレベルではない。
日蓮宗の内面的充足高揚による高次の理性を悪用してむしろ使役徴税に利用した日本の政治風土は決定的に近代化を停滞させ続けている。
キリスト教も日蓮宗も高次の理性とはいえ、敬虔な聖職者も教養ある信徒も詰めが甘い。
日蓮正宗の最高次元がまず見えていない。
しかも短期利益のために投資しないのが知恵だという根拠に利用された宗教であり自己責任の論拠として利用されたことはまことに遺憾の極み。
頼むものがない個人主義の自由な時代に生きるわれわれは、意欲を失い自己肯定できず自己実現できず、低所得で忍従を強いられ大量自殺と大なり小なりの自傷他害が日常的になっている現代は心理的精神的に末法そのものである。。ほとんど精神的に健康な個人はいない。
あらゆる個人がいかなる状況であっても回復触発されるほとんど経費のいらない末法に有効な秘術が日蓮正宗大石寺のお題目。
日蓮宗全般では回復触発による発生余剰能力と資産を供養布施として全部回収するから以前にも増して地獄となり、カトリックでは発生余剰能力と資産のために継続的投資を必要とするためさらに地獄になる。プロテスタントは日蓮宗全般と同じ。努力した分だけ苦しんで損する仕組み。
頼るものがない弱者(個人)につけこむ悪質な宗教ビジネスと政治が蔓延っている。
そもそもの個人救済のパワーや知恵を純粋に弱者のために使える宗教だけがまともな宗教であり公益法人を標榜するのに適切。
エリートと政治家の知的レベルが天照によって頭打ちになっている
日蓮パワーも天照によって頭打ち。
頭打ちを率先垂範でやる真言や念仏は地獄の獄卒でもあり、天照を奉ずる日蓮宗もまた獄卒である。
ユダヤ財閥や異常な高配当企業に対する適度な社会的責任分担を世界的に義務付ける知恵を国連や各団体で議論する必要がある。
まだまだこの地球には不幸の種がそこいらじゅうにあって、幸福の種が順調に開花することのほうが稀だ。
伝染病感染症や悪意の専門家が無数に絶えることなく発生し続けている。
貧困とカルトがはびこって、それで好都合な悪意の政治家と人類経済の邪悪性を明確に認識して、効果のある対策を知識人教養人たちが積極的に実行するように国際会議を開くべきだろう。
貧困とカルトを容認することで得られる収益や富を100とすると、議論して対策を実行した場合の20年後には収益や富は300になり、40年後には800になる。その後はさらに2000をすぐに超えるだろう。
現代の人類の頭脳や知能は案外低いのである。
究極のところは、他人の幸福を喜べることが原点であり、努力によって幸福を得た人間ほど他人の幸福を喜ぶことが難しい。
その意味からは、カトリックと日蓮正宗のレベルは拮抗していて、限りない可能性のある素晴らしい修行法と文化性を秘めている。
正教会や聖公会・プロテスタント・フリーメイソンや神道・イスラム教・日蓮宗各派ではまったくその性質が異質であるが、多くの人類はそれを知らない。
ガラスの天井は人類が自ら設置して自らで苦しんでいる。
宇宙開発によってガラスの天井を強化していることにすら気付かない愚かな人類なのである。