最近、グーグル翻訳をよく使う。今の私の英語が中学校レベルでかなり難しいからだ。英検の2級の問題を読んでいて解答を見るとだいたい正解なのだけれども、とても意思疎通には使えない。
日本語の試験問題はほとんど全部できていたから、日本語には特に問題ない。
翻訳ソフトは主語や目的語がめちゃくちゃで修正ばかりしている。
翻訳がスムーズな文章は比較的簡単なものだけで、過半数の文章は日本語を修正する必要がある。
長い文章や法律などは真逆の翻訳が頻発する。
他人に意志を強要する法律などはまったく翻訳がめちゃくちゃになる。
日本や未開地域特有の文化も翻訳はめちゃくちゃになる。
誰かを社会から抹殺するという意味を始末すると言ったり闇に葬るなどと言ったりするが、翻訳できない。
日本語は仏教とセットであり、差別文化だ。
差別しなければ、違いのわからない無教養で非常識な人間とされ、共同体から排除されてしまう。
弱いものイジメが日本人の掟であり、そのための日本語が伝統的に定着している。
そこに馴染めない人にとって日本語は難しい。
そしてそれに順応すると、かえって欧米言語をとても難しく感じる。
多様性を尊重する感性がなければ、欧米言語を理解できなかったり、用法がわかりづらかったりする。
上下関係より平等性や個を尊重する文化の言語には、無駄な言葉の使い分けは必要ない。
一方で日本人は上下関係で周囲の上に気遣いばかりしなければならない。
下にはみっともないレベルで居丈高になる。
そういうイビりあげ文化が好きなら日本語を究める価値はあるが、私は変態趣味だと思う。
日本人の中でいかに優秀でも、変態コンクールで上位に入賞しただけのこと。
まったく喜びはない。
国語の成績が悪いほうがどちらかといえばノーマルだ。
国籍、人種、性別などで差別しない文化と言語こそ人間らしい。
なぜそう思うかという明確な理由があって、日本やイランなどの神道やイスラム教国家が民族主義国家を形成して弱い者イジメと他者を排除ばかりしているからだ。
宗教と民族主義が一体化すると、必ず排外規範をまじめだとして国家政策が運営され、それに逆らう者を排除する。
なぜそれが悪いかといえば、排除した人達の生命を危険にさらして平然としているからだ。
キリスト教世界はそこが進化した先進的な地域である。
アラブ差別やアジア差別、アフリカ差別、黒人差別があることは確かだが、機会均等を制度的に保証した上での差別であり、前提となる最低限の生存権が保証されている。
しかしイスラム教や神道などでは、少数派を死亡させたり危害を加えたりして構わないという規範である。国家が生命を軽んじ過ぎる。
英語、オランダ語などの言い回しと日本語の言い回し、言い分けの過多の違い、敬語の過多もそこから来ている。
表現の種類がそこに多いというのは、そこにばかり気を遣って生活したり職務を遂行したりしていることを意味している。
だから、文化と同時に価値観の選択を含む。
私が今感じるのは、中東までの広いアジアや中南米アフリカなどは不毛の地だということである。
もし理想を描くとしたら、欧米の社会制度と日本の勤労意欲が合体すると、皆が人生を楽しめるはずだ。
日本人の勤労意欲が恐怖から発動される奴隷的なものと、内発的で前向きなものの2種類あって、後者は希少な1%のものだ。
欧米人はその1%に理想を見出したり触発されたりしている。
日蓮正宗と伝統的富裕層の文化は実質的なキリストの説いた神の働きを示していることすらある。
しかし、それはせいぜいわずか1%で、その他はイジメや揚げ足取りの汚い未開国であり、恐怖からの親切や勤勉さは決して世界に誇れるものではない。
欧米言語の素晴らしいところは、8割以上の国民が国家元首より上位で生活できたり、外国ルーツの国民を受け入れられたりする感性と一致していることだ。
言葉の上でもストレートに外国ルーツ大歓迎なのだ。
近年の大量の難民には悩ましいことも多発しているが、過剰な受入国で反発が起きるのは自然な人間性の発露であり、排除ばかりが極端な日本人に人間性を見出すことは困難だ。ウクライナ難民には辛うじて対応してきたが、あまりにも冷酷非情だ。
助け合いが一部のコミュニティ内に限定されるのをムラ社会と言うが、イスラム教や神道がどれだけ進化していないキチガイ宗教であるのかがよくわかる。見知った親戚や馴れ合いの群の中でしか生きられないとしたらサルレベルだし、余剰資産を弱者から掠め取って蓄えているのはギャングレベルであろう。
そんな恥ずかしい民族主義の階級社会から脱皮する兆しがない文化だから、日本語はいまだに難しいのである。
ある意味ある部分日本語や日本人の主張を無視しなければ人間として生きられないし、悪逆非道さを推奨することにすらなりかねない。
自分達の価値観の殻に閉じ籠もることなく、多様性を尊重して受け入れる人間としての強さが必要だ。
日本人はあまりに自分たちが弱いことに気が付くことすらない。
ミサイルや権力や財力、地位などで強い程度の野蛮な古代人レベルではあまりに悲惨だ。
日本人に生まれてきたことは、その意味ですでにそれだけでとてつもないハンディキャップである。