FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

日本の政治的コメント技術 その伝統的すりかえ理論は子供だまし猫だましですでに破綻している 一万円札の肖像人物から知る国策の無責任性

まったく関係ない宗教の正しい分析がこの問題の原因を示しているので、少し仏教と神道の関係にも触れる。

中国の天台は精緻な理論家として高名である。日本には天台宗真言宗日蓮宗が天台の理論を重要なベースに位置付けている。日蓮の弟子たちは途中から日蓮の弟子をやめて天台の弟子を名乗る者たちが続出するほどである。

釈迦の教えを正確無比に解説した天台は、釈迦の慈悲を損ねなかった。

しかし後世の弟子たちがみんな慈悲のあるお坊さんではなく、むしろ釈迦の教えに反する冷酷非情な言動をとるようになる。

しかし、彼らには精緻な論理の習慣がある。

そして一度国家に最優秀と認められた官僚や王権の権威と結びついて中国でも日本でも悪政に一役買ってきたというのが歴史の真相の一部である。

ところで測量と設計のための判断はまったく別物である。

測量は測量士が正確無比、精密に測量し、寸分の狂いも許されない。

ちょうど天台の理論的正確さが微々たる間違いも許さないように。

国勢調査や学術調査の正確さもまた、政府のきまりと学術上の必要十分条件のために厳格さが求められる。

行政文書の書式や記載事項の正確さはそれらに準じて正確になされているだろうか?

近年は情報公開の拒否が多発横行しており、果たして正確な手続きがなされているのかどうか担保する制度が機能しない。

しかし、細部の精密な計測や記述は依然として公務員や学者の得意分野である。

死刑執行や行政庁の不祥事の報道がなされると政府大臣や官僚が出てきて言う決まり文句がある。

「手続に問題はなかった。」

先日の生活保護CWによる受給者との不適切な性的関係についての報道で地方行政庁は「生活保護の支給日と支給額に問題はなかったと認識している」と公式に発表した。

冤罪事件の証拠として採用されたDNAは証拠品から読み取れる多くの中からほんの一部を切り取った部分で採取されたDNAで、そのDNAの犯人とされた人は犯人でなかった。

DNAという証拠は精緻精密きわまりない確実正確なものであるが、恣意的にDNAを捜査関係者が選んでいた。

この技術?がもはや政府の悪癖のパターンである。

あまりに無数の悪癖に満ちた新聞やテレビに慣らされて国民はそんなものだと思っているらしい。

支給日や支給額は動かしがたく正確でなければならない行政手続きであり、そこを精緻に執行している行政庁は無罪放免であるという理論である。

そもそも釈迦天台はその逆で、不適切な性的関係を持った公務員に対する法規定に基づく厳正で適切な処分量刑判断をするために理論を用いた。

捜査関係者の不正に対しては特別刑法を適用するべく精緻な量刑判断へ持ち込むのが、本来の仏教の慈悲である。

しかし現代の日本国にあってそのような正義のために正確さを用いることは稀である。

そこを指して、日蓮は重書である開目抄で「されば日蓮法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし」と言っているのであろう。

伝教は中国天台宗で学んだ日本真言宗の開祖である。

彼らの理論的精緻さは、不純に政治利用され、公務員の汚職不祥事や不適切などという言い換えであらゆる不正が野放しになっているのが日本国議会や憂慮すべき深刻な相当数の司法判断の有様である。

日蓮はそこまで見抜いて、自分の弟子が天台の弟子を名乗りだすに決まっているから要注意だと別の御書で書き遺し言い遺している。

精緻な理論が得意なのは天台宗と学者であるから要注意なのである。

政府と有識者がいままでの悪政を維持するためにむしろ天台宗真言宗日蓮宗は重宝されているし、その改善の兆しがないことのわかりやすい徴(しるし)として今度の新札の肖像画の人物が選定されていることを日本国民は知っておかねばならない。渋沢栄一天台宗だった。

政府官僚議会司法(神道)の総意として、日本国は今後とも精緻な部分的理論(天台理論)をすり替えのために悪用して、国民生活に関する一切の責任を回避する方針ですという意思表明であることを知っておかねばならない。

兄弟抄に「今の世にはなにとなくとも道心おこりぬべし。此の世のありさま厭うともよも厭われじ。日本の人々定めて大苦に値いぬと見えて候。眼前の事ぞかし。」

モンゴルが攻めてきた翌年か翌々年に認められた御書である。

尖閣、台湾、南沙、フィリピン海域で中国が暴れ、今後ただでさえ悪政で厳しい経済問題もさらに交戦状態で深刻化する今の目の前の東アジアの民の危機的状況を見て、深く憂慮して一念発起しないとしたら、それは人間というよりは寝ぼけたコアラかパンダでしかない。

 

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