FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

自発的な献身の形と性質が東西で異なる ボランティア文化が育たない理由と解決法

ある精神科医YouTube動画で欧州におけるボランティアの状況を紹介していてとても参考になった。

そもそも精神医療の意義や意味合いすら日本では理解されていないことが重大で深刻な状況。

日本人にとって献身という言葉は馴染みがないことが多い。

仏教上や神に仕えるという意味合いで多少献身という意味を理解している。そうでなければ他人の為よりは自分のためにしか考えず行動しないのが日本人の伝統的規範だ。せっかく釈迦が一般人のために私利私欲をなげうったという美徳はほとんど忘却されてきた。むしろ仏教寺院はいつしか困窮者を積極的に排除したり虐殺に協力したりする行政執行機関に成り下がった。

つまり献身とは階級の上に仕えることと変換されて日本文化が形成されてきたので、シビアに言えばお上(権力者資産家)に媚びへつらって貢ぐことが献身とされてきた。

それは自発的献身とはいえ自分の保身や出世のため利害損得である。

西洋でも神や教会あるいは国王への献身の概念はあったが、キリストが一般の人間に仕える生涯を送ったことにならい、すべての人間が弱者であるという前提で助けを求められたら奉仕する。

ただし自己犠牲はナンセンスであることをはっきり意識して経費や専門知識習得を制度上担保しつつ具体的現実的な援助をする。

それらは他人の弱点を相互に補うことで共同体のチーム力を最大化して発揮する知恵を形にする一般人の余力の活用としてのボランティアである。

上下関係で言えば上が下を助けるのだが、そもそもその見方は間違っている。

文明が発達して大なり小なり余力が出来た人間社会において、誰しも相互に余力を活用しているだけだ。特別なことではない。仕事で収入を得るだけではもったいないし、よりよい地域で幸福を満喫しようとする知恵と意欲を形にすることに官民のコンセンサスがある。

余暇の活用をいかに共同体への貢献に向けるかという意識の高さがキリスト教社会を経てきた地域では明らかに際立つ。

他方で、仏教的な文化を残す地域では権威権力にただ黙って従う傾向が強い。

本来の仏教は野蛮な間違いを正す強い戦闘的な面を持ち、社会的並びに心身上の弱者に仕える(親身に説法する)ことを重視していたが、時代を経て野蛮な権力者の機嫌取りをすることに終始して弱者を見殺しにするようになった。

戦後日本は明治期とは比べ物にならないレベルでキリスト教文化の真剣で本格的な導入期を迎えたものの、ボランティアは上品な富裕層と変わり者の趣味とされ、地方レベルの政治的には冷遇されただけではなく制度として支援するほどには定着しなかった。

しかし高度成長期のなごりを残す日本社会のコンセンサスの何割かには弱者を助けて支援することは正しい行いであると感じている国民がいる。美智子様の影響も大きかっただろうが、時代として日本人の感覚に深く入り込んできたことも間違いない。

つまり蘇我入鹿物部守屋と仏教と神道が内戦をしたように、現代の日本でも弱者を国として支援する和を作ろうとする日本人と一般人を皆殺しにしてでも特権階級を維持したり出世してやろうとしたりする日本人がせめぎあいをしているのだ。

この実相をはっきりと意識した時に、日本でボランティアがどれほど人件費を削減してぼろ儲けするために悪用されてきているのか一目瞭然だろう。

自発的で無報酬で保険も任意加入というすべて自己責任のボランティアなど狂気である。

そんなものボランティアとはいえず、病んだ自己犠牲である。

女は黙って男に仕え、障碍者高齢者はなにも希望をもたずにエサを食べて拘束されて生き、子供はまともに勉学もできず親のために尽くし、一般国民は財閥の為に、臣民は天皇陛下のために、そうして幸福追求できないままに絶対服従で死んでいくことが日本人の規範であると未だに主張している政治家たち宗教家たち教員や公務員たちがいる。

子供時代から健康で文化的な生活ができ、受けたい教育を受け、したい仕事ができるならばボランティアを支援する制度ができ予算がつく。

そんな日本人は数パーセントしかいない。

すべての国民に保障すべきことは政治家宗教家公務員が方向づけて実行させなければできない。

狂った宗教家、智慧のない政治家、浅ましい公務員の国賊がボランティアを否定して、自分たちに尽くせと国民に強要している。

正常な宗教家は残念ながらいない。広く国民を活かす政治家がいない。地域にとって何が公益なのか理解している公務員がほぼいない。

宗教は拝まず貢がなければよい。悪い候補者には票を入れなければよい。公務員は善良な弁護士を使って罷免すればよい。首長は解職請求すればよい。

自発的な献身を妨げているすべての悪意を悪意として見極めて行動するべきは、人生を愛する人間すべてである。

それは裏を返せば、日本人のほとんどが自分を粗末にし、親にも祖先にも国にも悪い犬畜生以下の人生を送っているということでもある。

解決法はシンプルで、自分の人間としての良心を大切にものごとを見て聞いて行動することしかない。

そのことはまた同時に、多くの周囲の見ざる言わざる聞かざるという閉ざされた心をノックする効果をもつ。