FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

女性議員を半分にすると???ジェンダー平等の留意点は?

男女格差が低い北欧ほど女性の自殺率が高い。

この解釈は様々だが、だからといって日本が善くて北欧は悪いのだという意見には賛成できない。

ほぼすべての国で男性の自殺率が明らかに高い。

言い方は変だが実は中国が男女平等になっている。

つまりいくら北欧の女性の自殺率が高くても男性には及ばない。

そして、本当に男女格差がないのであれば、中国のように男女の自殺率が拮抗するはずである。

自殺ホットラインに電話する女性は男性の約二倍もいて、助けを求める力が強く、実際には男性ほど自殺に至らない。日本では男性が二倍以上自殺する。

ここでは日本の女性議員の割合を本当に無理やりにでも半数にするべきかどうかを考えてみる。

女性とひとくくりにしても、政治的意見が多様でなぜ割合を上げる必要があるのかが問題だ。

DV防止法や生理の貧困問題などの特有の課題克服のための法整備に有効であると理解されるならば、女性の雇用問題に取り組みがもっとあるべき。

女性が弱者総体に対して個別に支援するような優しい人たちならば、欧州の主要国のように社会正義を重んじる国造りに貢献して素晴らしいと思う。

しかし、日本人女性は変なところに厳しい。

まるで未開人や途上国の人権問題と大差ないような問題に無頓着であり、外国人に生活保護をやるなとか難民は強制送還しろとか、いまだに働かざるもの食うべからずとか、目には目を歯には歯をなどと平然と主張している。

女性兵士のようにむしろ男性よりも残虐な殺意に満ちている場合が多い。

そんな国民性で女性議員を半分にすることだけを優先したらどうなるか?

どんな女性が優先的に立候補の機会や議員大臣副大臣の機会を得ているかを考えたらわかることで、冒頭挙げたように男性の自殺をさらに増やすことになるだろう。

自殺大国であるものが悪化する。

女性の忍耐も尊いが、概して男性の忍耐はさらに大きいからこそ自殺を余儀なくされることが多い。

あるいは弱音や愚痴や不平を言うような女性の強さが男性にも必要なのであって、助けを求めることができない男性の立場に寄り添う支援を促進するほうが自殺総数を減少させることができるだろう。

ではそんな男女の特性がどこからきているのか?

何を標準として男女のあるべき姿を誰が決めているのか?

当然に男女ともに自殺を回避することが大切で、実際に平等ではないから有意に男女差がある。

議員や役職者を男女平等同数にするよりも、男女で概して男性のほうが弱いという事実から目をそらさず、時代に応じた男女の役割分担を柔軟に選択できるように家庭や地域学校教育の段階から変な押し付けを極力回避するように文科省も各宗教指導者や各分野の指導者たちも意識的に言動がとれるようなガイドラインを策定するべきである。

まず、その過程において柔軟でバランス感覚のある人選が求められるし、そこでは議論の能力で人選するべきであって男女比率で決めるようなバカげたことは避けたい。

柔軟で合理的建設的な議論ができる人が女性ばかりであったとしたら、男性はもっと討議能力を磨かねばならないし、逆だったら女性が頑張らないといけない。

特定の宗教や文化に偏らないように、永住在日外国人や障碍者や少数派の優れた人を採用してもよい。

つまり性別で割合を先に決めることも、別の差別や不合理を生むし、そもそも変な話である。

国造りを前向きにするためには、今の政府や大政党の主導ではほぼ不可能だ。

まず優れた人間を国民がわかるようになることが先決で、そこから選ばれた人が委員会や検討会のメンバーを選ぶ必要があるのだ。

男女比率は目安であることに留意しながら、ある程度女性比率が上がることが望ましい。しかしながら同時に障碍者や永住在日外国人がより参画しやすい政治、企業、行政、地域を実現する必要がある。

多くの女性が排除側に回るので別の良心的な女性たちが被害にあう傾向にあり、結局は女性の敵は女性で終わってきている。

排除側の女性に対しては、その残虐性を正しく見抜いて逆に公職等から排除する必要がある。

万引き程度でも親族や共同体や組織から排除するのが日本人の常識であり、あきらかに過剰である。

困窮者の賽銭泥棒を重大犯罪とマスコミで喧伝するような偏向した文化である。

ノーマルな地域社会に向けて前向きで建設的な議論ができる人間こそ、国士の基礎条件かもしれない。

そもそも性別で人間を推し量ることこそ愚かしい。

日本人という概念を日本国領土内にいる人たち、世界にいる日本国領土にルーツを持つ人たちというふうに変えるべきだ。

古来からのルーツだけを尊重するから、身内と排除という愚行と女性差別という幻想に苦しむ日本人がほとんどなのではないかとも考えられる。