その1
クラシックのバイオリンはストラディバリじゃなければ弾けない。
しかも自分で購入しなければ成功も仕事もない。
サントリーホールで開演前にどこかの御婦人たちが、会話していたのが聴こえてきた。
その妄言デマに対して御婦人が修正する。
いや、そういうのは貸してくれるところがあるのよ。
財団や企業や富豪が所有して、貸し出すパターンが国際的にあるから、弾けるようになればそこに名器が回ってくる。
ストラディバリじゃなければならないというのは、音楽演奏の絶対的要素ではない。
名器ならいくらでもある。
数百万でもあるのだから、普通乗用車代でしかも一生どころか代々使える道具代が高過ぎるわけではない。
評価がつく前の掘り出し物はまださらに安い。
その2
庶民と貧乏な人はコンサート会場に入ってはならない。
やはりサントリーホール大ホールで、浮浪者風のお客さんと隣り合わせになったが、見た目とは違い、特に臭うわけではなかった。
また、ミューザ川崎大ホールでもボロボロの服装でこれはと思ったことがあるが、マナー違反は身なりの立派な人がやらかした。ボロ着のお客さんは行儀よく楽しんでいた。
10年前にNHK交響楽団定期をNHKホールに同級生と聴きに行ったが、同級生の彼はポロシャツ短パンスリッパ。資産家ではあるがただの中小企業サラリーマンも大いに楽しんでいた。
クラシック音楽は、日本文化の中ではやや特殊なイメージだが、知らないままより知るべき知識が沢山ある。
義務教育の音楽だけではもったいない。
偏見で嫌い、食わず嫌いももったいない。
居酒屋外食やいろいろな楽しみの中で候補にしてみるのもひとつだ。
ゆっくり寝ていても眺めても、とりあえずプログラムはできるだけ多くの人が楽しめるように構成されている。
バイオリンを習う場合は、楽器の心配よりも先生との相性や音楽と楽器特有の知識のほうが大切になる。
心を豊かにする方向性と社会階級の上昇貴族志向という日本では真逆になることを意識しながら楽しく習わせる、習うことも大切だ。
音楽が好きなだけでは、すぐに楽しくなくなる。
財閥や天皇家の特権という迷信は少なくとも間違いだ。
音楽の多様性や歴史や深さを生涯を通して学ぶ、味わうことができれば、どんな人でも豊かな人生になっていく。
たくさんの名建築や名著・文学作品や絵画に触れることも大切だが、音楽ほど人や知識を問わないものはない。
名演の定義や理解はそのうちに自然と理解するもので、どんな人でも何もわからないところから、純情な清い心で感じるままに耳から心を整え肥やす。
デマ妄言を信じないように願いたい。
鵜呑みにすると損するだけだ。
楽しみの質を上げること。
自分の人生を大切にすること。
幸せはそこかしこにある。
静まり返る満たされた美しい心を最優先にしてみるのも同じ一生だ。