核兵器がない世界は素晴らしいキャッチコピーだ。
しかしそれは、人類全員が大金持ちにという絶対に実現しないイメージキャンペーンにすぎない。
いやホロコーストや戦争が悪いのだから核兵器はさらに悪いという。
比較級で悪いものは、同じ悪いのだからどれも同じ悪い。
最善の予防対策を取れるかどうかが、重要だ。
そしてホロコーストも戦争も予防できていない。
イスラエルは絶対正義だから軍事力行使も正義だという。
それに対抗する軍事力が必要とされる。
殺人事件はなくならない。
離婚もなくならない。
ケンカや虐待がなくならない。
それすら予防できない。
人間という生き物は愚かで残虐だ。
核兵器は人間だからこそ開発製造配備している。
人間だからこそ使用する。
人間なんてそんなに聖ではない。
現に対話より戦争を選ぶ。
忍耐より殺戮。
知恵より攻撃。
同じ愚かな人間たちが核兵器廃絶などできるはずがない。
現にできることはないし、むしろ拡散しバージョンアップするだけである。
キリストや日蓮の教えもまた、智慧を示しながら、愚かな民の私利私欲を許容してしまう。
人権擁護のために核兵器を使用する。
使用の前提なしに保有している国はない。
人類の大半が滅亡したからと言っても、使用する政治家と財閥の人間が生き残れば問題ない。
ヒトラーの暴走に国内で注文をつけることができた唯一の力はカトリック教会だけだった。
しかし今はもうどの国でも停戦のための力にはならない。
釈迦有縁のインドブータンネパールあたりの対話呼び掛けに応じる指導者ならそもそもロシア人イジメやNATO入りは推進しなかっただろう。
広島長崎への原爆投下はまさに人間、人類の英知であり、多くの生命や人権のためにとった最善の方策だった。
悲劇は歓迎しないが、まさに現実であり、核兵器使用こそが人類の政治的宿業である。
例えるならば「マフィアの非暴力主義」なんて下らなくて白々しいにも程がある。