FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

10年経って悲しみは癒えるか?

2013年は祖母の初盆だった。

夏のある朝、北九州市小倉南区城野駅から始発電車で大垣駅乗換で翌日朝東京駅まで出た。

 


しばらく荒川の南千住駅近くに滞在し、中央本線の車窓風景を眺めて松本に達し、伊那近辺を放浪して、松本駅から日本海へぬける大糸線に乗り替え、途中信濃大町駅で下車した。

 


駅の近くを散策して待合室で腰掛けていると、斜め向かいにまだ幼い小学生くらいの少女が一人でしくしく泣いている。

 


祖母が亡くなったことを薄々気が付いていたし、私もいつ落命するかわからない境遇で、ちょうど私が死んで泣いてくれる人がいるかなどと考えて悲しい気持ちになっていたから、見知らぬ間柄なのに、妙にその少女が可愛らしく見えた。

 


北アルプスを眺め、大糸線日本海側へ出るまでの絶景は、とてものどかで美しかった。

緑が目に優しく、渓流に心が落ち着く。

 


神城駅近くに11日滞在して松本に戻り、城に登り温泉につかってから、国際スズキメソッド音楽院を訪ねて難しい不協和音を浴びてから、東京の悪臭のする雑踏へ突入したのは、季節がもう秋の寒さを報せていたからだった。

 


安曇野地方の庄屋から名門小笠原家が成立し、どこからか小倉へ流れたのに付き従った一族の娘だった祖母を偲ぶ旅はその時一旦終わる。

 


亡くなって十年後、城野の祖母との想い出が残されていた古い庭付きの懐かしい家は取り壊されて、3軒の新築一戸建てに建て変わった。

経済学部卒業後、両親が私を忌み嫌ったのとは違って、祖母は近所に所有していた古いアパートでバイオリンを弾くことを許してくれた。体調が悪く2か月も使ったかどうか憶えていない。

そのアパートはずっとはやくに駐車場になった。

祖母にはとても文化的な感覚があった。

バイオリンのことはよく知らなかったが、庭木や花や和食なんかはとてもよく知っていた。

賃借人が家賃を納めに来ると、これ以上ないほど丁寧に低姿勢で応対していた。

毎日のように廊下や階段の板磨きをさせられるが、私が磨かない日は祖母が磨いていたのだろう。木の光沢が素晴らしかった。

玄関にはいつも華があり、玄関脇には椿の木と塀にはわせた深紅の薔薇があった。

ここ10年、その宅の中にいる夢を何度も見る。二階のトイレだったり、二階の窓からの風景を見ていたり、つづきの納屋の土の香りのする空間と何種類もの肥料に軍手と草抜き器、祖母の女中部屋のような小さな部屋、建増した台所に拡げた新聞紙の上のニラ、古い箪笥の変色した金具、居間の出窓に置いた電話機や祖父のオブラートなどなど。

出窓のすぐそばで毎年咲く桜の木。

庭の隅には農具小屋。芝刈り機。鍬や鎌。

去年のいつだったか、その宅の居間に知らない男性が我が物顔に侵入している夢を見た。

不快な感じの嫌な夢であれは誰だろうといぶかしく思っていた。

先月、宅が建て変わっていることをグーグルマップで知った。

相続していた筈のおじさんは庭の手入れができない人だった。

小倉カンツリークラブへ行く元気ももうない年齢になったから、北九州へ行くのも億劫になったのか、健康状態もあまり良くないのだろう。

 


祖母には妹がいて、生きておればかなりの年齢だが、遅かれ早かれまた寂しくなる。

祖父母の墓とその妹夫婦の墓は、同じ北九州霊園にある。

善意や愛情を感じたあたたかな姉妹と戦没した姉妹の兄の法要をしたのは妹夫婦宅でまだその宅は庭の手入れが美しくされていてまだ小倉にある。

その兄の墓だけポツンと古墳の傍らにあるが、墓守りは誰だろう?古墳の近くにあった曾祖母の墓はとっくに整理されたから孤独な兄の墓だ。

明るい花々と美しい音楽を志向する自分がその姉妹と亡くなった兄の3人の仲良さと重なって見える。

「ほら、ホオズキが咲いてるよ。

きれいやろ?」

縁側で祖母が5歳のわたしに微笑みかけた。