日本は江戸時代までは地方レベルで僧侶たちが質素に修業しながらアニマルウェルフェアを一定確保しつつ士族名主と統治していた。
中央集権国家でありながら、その文化水準は世界でもかなりの高水準を誇った。
明治維新はアメリカだけではなくキリスト教国との交易交流を促進したという面が目に付くが、実際は神道の復興を目的とし、ユダヤ教旧約聖書に偏った考えで政策を策定し、政治家たちは渡米して財閥への賄賂や機嫌取りで自己の地位や名声を確保した。
その行き着く先は侵略戦争と太平洋戦争であり、日本焦土化と無条件降伏。
文化水準はルンペル大量発生で地に落ちる。
焼け野原にホームレスと身体障害者が溢れかえった責任、外患誘致の責任は、大元帥天皇陛下にあったものの、政府のユダヤ教信仰と連動した伊勢神宮参拝は護持された。
キリスト教やフリーメイソンの思想を反映させるか、ユダヤ教旧約聖書に偏るか、ここがその国の繁栄を左右する。
その見分けがつかないのが日本人の愚かさであり盲点である。
奴隷商人を第一にするか、人間の賢さを第一にするか、その結果として、同民族、同家族、同国家が繁栄するか、争いや排除いじめ虐待に向くか、その違いがある。
そもそも政府の政策がその設計図になっている。
個人の努力や工夫でなんとかなるものはなんとかすればよい。
しかし個人の成果としての幸福は、民族、家族、国家に否応なく依存する。
公明党も日蓮正宗からプロテスタンティズムを謳って分派し、ユダヤ人団体に資金提供する旧約聖書系。
いずれも宗教と主君をユダヤとした奴隷商人の現代版である。
奴隷志願者が愚かにも投票する先だという因果関係を認識できるかどうか?
日本人は未開の野蛮人から進化できるかどうか?
日蓮は日本人を生きメクラとかツンボなどと形容している。
その宗教上の因果関係を知らせるためにそう言ったのだが、そもそも日蓮正宗の構成員ですら生きメクラやツンボのような人間がいないわけではない。
奴隷システムを保存したがるか、奴隷システムの上位に割り込んで甘い汁を吸うか、その程度の知恵では、人権感覚ゼロを晒すだけである。
悲惨な未開人が大量自殺している。
人間やめますか?宗教やめますか?