FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

クレームは礼儀正しく効果的に 民主主義はピンクではない

近年、クレームを入れることそのものまで問題視される風潮が広がっている。

本来、公務、業務、その他の市民生活上のクレームは、意思疎通をきちんともって問題が大きくならないように対応するための安全装置になってきた。

しかし、なにか不満をぶちまける場として、人間サンドバッグと勘違いする一群が増殖したらしく、クレーム対応に恐怖を感じる人たちもかなり多いそうだ。

それは、クレームではなく悪質な嫌がらせや犯罪になるようなことに罪悪感ゼロだということで、人間のレベルを疑われる話だ。

商品やサービスに対して、よりよい前向きな改善を志向したクレームはおそらく企業や公務員であっても歓迎するのではないか?

しかし、それを新自由主義者たちは、クレーム対応を経費として改善努力を放棄して、消費者や国民に損害を負わせている。

これはかなり深刻な事態であり、本来のまともな市民活動、消費行動、企業努力を妨げているため、日本の質を低下させている。

ネトウヨなど一般的にはわかりづらい言葉を多用するが、きちんとした日本語でどこをどう改善してほしいのか気持ちを整理して伝えることも大切だ。

怒りにまかせて相手に不快なことをしないように気を付けてほしい。

親切そうに余計なことをまくしたてるだけのものも迷惑なものだ。

企業の経営哲学がしっかりして、公務の憲法理念が正しければ、本来はクレームなど起こらない。

クレーム自体が悪いのではなく、経営哲学や憲法理念をまず見直すことが第一であり、その助けになるものが丁寧で適切なクレームであるというそもそものところを、みんなが思い出すべきである。

公明党と維新の増大によって、民主主義は性の商品化や虐待促進などではなく、クレームと改善努力の積み上げであるということを知らない危険な人たちがとても増えてきたように思う。