FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

住民の声やニーズと適正化

加古川市で駅のストリートピアノが撤去されるそうで、多くの惜しむ声を報じるものがあった。

全国、世界中にあるものだから、1つの文化として理解すれば、自治体の撤去理由がいびつでおかしなものだと言える。

まずルールが変で、10分まで、他の楽器はダメというルールは、そもそも設置段階で設置目的が偏向している。

さらに苦情の内容が利己的で、朝から、大音量で、長時間と騒音扱いしているものを、採用している。

朝から音楽を聴きたくないという主張は、ラジオやテレビの朝の放送までも否定。駅構内で20分前後の待ち時間なら長時間という指摘はもはや悪意の攻撃。駅構内のスペースで大音量というのもイベント禁止令でおかしい。

どこかの公園も苦情で廃園になって、公共の場でみなさんが楽しく過ごすことを制限したり禁止したりするのは、中国共産党のようなものだ。

音楽が嫌いな人がいて、その一方の意見だけを尊重採用するのは、地方の独裁者を生む。

まさに公共の福祉や文化擁護に、憩いと団欒の場を提供する流れが独裁的行政によって止められている。

自治体が利用者のルール違反を理由にしてはいるが、そもそも自治体がルールすらまともに作成できていない。

ほとんどの駅とピアノ利用者が損をする前例を許すのは住民自治からも芳しくない。

加古川市民の文化レベルが試されている。

自治体職員に理解があるとは到底思えない。