最近の、平和国家として攻撃力、戦力を整えるという政府の主張文脈はおかしいと言えるかどうか?
戦争しないから平和なのか、防衛戦争できれば平和なのか、その国家としての姿勢が1つのメッセージだ。
防衛戦争が国境付近だけで済む筈がない。
軍備がなければ侵略される可能性はどうしても生ずる。
軍政移行は裸から着衣程度なら許されるが、武装トマホークとなると風向きが変わる。
専制政治、圧政がセットになり、国内から崩壊していく。
外敵に強くなるのではなく、国民にむごくなる。
第二次世界大戦と同じ状況が見える。
平和と繁栄の目指す国家像から遠ざかる。
軍事力は国力あってこそ。
欧米の植民地、傭兵部隊の日本自衛隊にそこまで国力をつぎ込むのは全体観に欠ける。
独立国日本の防衛力であるならば、まず国民生活をゆりかごから墓場まで担保して、繁栄の余力を充てるのが古今東西の法則王道に沿うもの。
対中戦略、欧米との堅い連携強化のための人口増加策、産業振興、人権教育、それらの必要な施策を実際上有効化するための検討立法をひとつひとつ行うように国民として切望する。
政府自民党政治は粗暴過ぎる。
丁寧に誠実にやれるような予算がない。
地方自治体もまともに記録をしたり保管したりすることすらできないケースが多発している。
丁寧に誠実にやれる心ある公務員が希少すぎる。
軍政国家だからこその有り様だ。
繁栄の70年代と現在の日本を比較して歴然としている。
安保も自衛隊も長続きしないだろう。