打ち上げが成功、失敗という表現をめぐって失敗という記者会見における記者を袋叩きにしようという動きがある。
エリートのかばいあい、身内に甘いのは、太平洋戦争当時の大本営発表、御前会議とかわりない。
新聞やテレビなどでは種子島打ち上げ失敗という表現がわたしが少年の頃からあったが、とうとう失敗の表現にまで圧力をかけるようになった。
専門家JAXAの見解では、安全を最優先した中止なので失敗という最悪の事態ではない。
爆発や無駄な損傷を回避できたことは成功なので、ずいぶん論点が違う。
こんなことは、日本語(言語)と論点整理の問題で、熱くなるようなことではない。
報道や言論の自由もあるし、打ち上げ失敗という事実は表現し報道して差し支えない。
見出しが好む皮肉や非難とか感情論は別にして、本来は事故なく異常なく打ち上げがコンスタントに成功する能力が十分ではないところをいかに改善していくのか、検討や対策が不十分だという内外からの審査検証がないことに関してどう考えるのかという問題なのだと見える。
独占的国家事業を優秀なエリート技術者がやる場合には、常に同じ課題と向き合うべきところ、相も変わらず自己保身、業界保身の失敗も敗退(敗戦)もなんら問題ないという感覚が、多くの国民にどこか危機感の薄い技術人員予算の浪費にうつることもまた変わらない。
自分の持ち分と役割をしっかりやり遂げる途上で、その辺りに配慮できるかどうか自尊感情を一定殺せばよいというものではなく、成功実用化への進捗を無視していると受け取られても問題ないというのは、はたしてやり遂げているのか、開き直り続けているのか、その印象よりも進捗を一般に可視化し説明ができるかという広報専門技術者にはそれなりの資質が求められる。
誰もが成功を願いながら、誰にも実現できない夢の技術能力だということはない。
JAXAは一度組織を解体再編するくらいのレベルの改革が必要なのか、或は国の指針や政策上からやり直すべきなのか、本当は非常に深刻で重大な問題があると見ざるを得ない。
年数、データ、最新技術、人員、それらの累積が死屍累々にならないように、夢物語に終わらないように。
このままではやがて中国に侵略される流れを推し進めるために国力を浪費している高度な政治工作をやらせていることにしかならない。