FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

地味な顔は許せるが汚ないのはダメ

他人特に女性を容姿で判断してはいけない。

つまり顔立ちやスタイルの話題ではない。

しかし、なかなかそこが他人には伝わらないし、なかんずくブスというものには理解できないものだ。

大根脚というのは、まったく美しい場合もあり、単純に太いばかりでもない。

美しい大根もあれば、不恰好なものもあるという広い意味でみんなで笑えるからよい。

難しいのは、性格上、あるいはブランド品で顰蹙を買うような人たち、他人に害を及ぼしていたり、風紀を乱したり、法正義を振りかざしたり、というのはいわゆるブスの称号が授与される。

わたしは顔立ちは明るい人や地味な人たちが大好きで、人種民族とは無関係だ。

配慮すべきは不幸な成り上がりの非常識全開のブスで、まったく自分の姿が見えていない。

資産を自慢しているのかと思ったら、ケチを自慢しているだけで、成績自慢かと思ったら我見に過ぎない。

見た瞬間まともな人間ではないから、恐怖心を抱く。

周囲が見えていないからより難しい。

そういえばブスの友達の地味な子がその付き合いの難しさを語っていた。

地味でも性格は普通だし判断もおそらく普通なのでひと安心した。

ある年配者がブスを見た瞬間「美人だなあ」とつぶやいた言い方が分かりやすくて伝え方というのもあることを学んだ記憶がある。

もはや誰の目にもブスが明らかで、フォロー不能なのだ。

ブスというのは本人がほんとうは一番よくわかっているから、内心落ち込んで不安なので必要以上に自己主張してさらにブスが際立つというパターンがある。

ほんとうは信心(心持ち)の問題なのに、カルトを主張したり、カネがすべてと主張すればもはやその醜態は人間のレベルそのものだから、救いようのないバカなのかもしれない。

女性の人権と言っても、それ以前に人間としての問題がある。

気の毒なのは地味に努力している美しい女性たちであり、まともに健気に生きている人たちをかき回して空気を破壊する行いがいかに女性たちへの敵対行為であるのかという自覚すらないのは真実のブスだ。

地味な女性がほんの少し気持ち程度のオシャレをするとこの上なく魅力的であり、ブスがブランドもので身を飾るとこの世の終わりを感じる。

いやこのデリケートな問題はとても重大でただの笑い話ではない。

深刻な人類の不幸が世界に波及して実害を及ぼすことが減るようにだ。

人の顔立ちは生まれつきだけでは決まらない。

育ちと本人の心持ちや環境によって微妙に変化する。

資産があっても意地汚い顔なんて不幸そのものだ。

他人を信じられない不幸があっても、他人をいたずらに攻撃しない強い人間だっている。

なりふり構わず他人に八つ当たりして人権を語るようなことは人間ならしたくないはずだ。

ブスを治す信心、バカが賢くなる信心が大切なポイントだが、ブスとバカはおそらく変わらない。

わたしは聡明な美人(地味顔=整った)さんたちが大好きなのである。

ウチ汚ないねんと顔に書いてあるのがいわゆるブスなのではなかろうか?

書き換えはできず努力で書き替えはできるのだが。。。

触らぬブスに祟りなし。

美人はたたずまい。

言の端。

さりげなさ。

心持ち。