米ソ冷戦終結とペレストロイカと華々しいニュースに世界中が沸き返り、そこから繁栄は約束されたものとかつては皆が信じていた。
しかしゴルバチョフの独断として処理したい人たちもいた。
旧ソ連の再構築は幾度も試みがなされたが、単純に西側の切り崩しが次第に進んだだけだった。ロシアの威厳はズタズタにされ、新興財閥の成功も苦々しく忌々しいものに過ぎなかった。
アメリカは図に乗って旧ソ連を我が物顔に経済侵略し東欧をNATOに編入して勝利の凱歌をあげた。
それで世界は抱き込んだ中国とともに完全支配できるはずだった。
中国が中華思想の野心を顕にして世界の風向きに変化が明らかになると、ロシアの屈辱と損害をどう回復するかという火種が燃え上がることになる。
アメリカ一強であるかのように見せることがもはや難しい過渡期であり、その判断はブラジルアルゼンチンインド北朝鮮イランなどがシビアに下している。
追い詰められたロシアから見て、今の状況はアメリカ側と消耗戦をやってでも戦いがいのあるものだと考えるのも一理ある。
ウクライナ軍をゼレンスキーが煽動している今は対決の時である。
中国はアメリカに従うつもりなどさらさらないし、他の大国も独立的自尊心に揺るぎはない。
各国国益最優先だ。
西側の公正や自由というものがそもそも無意味と見る大国と中国勃興で寝返る南米の大国。
バイデンのリーダーシップと公正と自由の尊重という優れた面と無制限に権益を拡大するための欲まみれのNATO拡大は相反している。
各国の自由と公正は各国の主権によるにもかかわらずNATO拡大、ウクライナ軍の直接支援と仮面での参戦は公正ではない。
国民レベルの自由と繁栄を方向にペレストロイカや冷戦の終結があったその前提はもはやない。
ゴルバチョフは後継者を育てなかった。
しかしそれは無理もなくロシアのナショナリズムと西側とのバランスを交渉するのはかなり難しい状況が続いてきて、アメリカに尻尾を振る子犬役など誰が引き受けるだろう。
当面のソ連内部の行き詰まり打開策に過ぎなかったのだ。
なにか世界人類が完成に導かれるかのような錯覚に酔いしれたのも束の間、ロシア人が自由と享楽の刹那の喜びの春を永く楽しむことはなかった。
諜報機関と軍備は温存されており、表面的な変化は一瞬で吹き飛ぶ。
NATO拡大が頭打ちになり、ついに衝突の時到り、歴史的転換期への突入だ。
世界すべてがアメリカの植民地になることを望んでいない。
文明間の衝突はしかし繰り返されてきた方程式である。
より優れた文明が勝利するとは限らない。
世界がよりよくなるとは限らない。
各国の主権と国民個人の幸福追求のバランスがとれるようになることを指導者や個人は目指すべきだ。
しかしそれが一筋縄にアメリカ側なら大丈夫だとは言えない矛盾を見出だしているからこそ困難な過渡期転換期なのである。
団結して正義のために戦おうとする試みが評価されるのは、一方で作られる歴史書においてだけである。
国連のバランス感覚がますます重要になる。
NATOの内部加盟国ですら人権問題は山積している。
戦争ありきで双方徹底抗戦を主張しているが、ロシアにとっては絶対必須な主権維持作戦であり、アメリカにとってはただのお色気でやる火遊びの不謹慎さがある。
本気でロシアを説得する意思がなく、中ロを悪役に仕立て上げる戦意高揚キャンペーンの中で、世界がそれを冷ややかに日和見するしかない。
自由と公正はそもそも人類にないからこそ努力して実現しようとするもの。
火遊びはその努力を嘲る愚行である。
戦争そのものを目的とした政治指導者は軍産複合体の召使いに過ぎない。
NATO西側が絶対の正義だと言い続けることは次第に難しくなり、そのうちウクライナ収容所で大虐殺をしたネオナチ旋風の第三次世界大戦として評される時が到来するかもしれない。
歴史上正義は勝った側に存在する。長期的に西側が勝利できるのかどうか、予断をゆるさないし誰の目にも相対的な日米の衰退は明らかだ。
新たな世界の枠組みにおける自由と公正な繁栄を実現する方途を模索しなければならない。
バイデンをかついでもプーチンをかついでも大損することに変わりはない。
ゴルバチョフも池田大作も聖人と祭り上げるのは偏って間違いになるだろう。
単眼、単細胞ではいけない。