バイオリンを担いではや45年。
モンゴル産の馬毛だけで首尾一貫徹頭徹尾一気通貫初志貫徹と大袈裟にケチな方針を持っているわけではない。
一度26歳のころだったかイタリア産馬毛を試して響かない楽器にはまったく効果はなかった。
今回はよく音が通る透明感のあるバイオリンで試そうと楽しみにしていた。
そもそも弓が第二の楽器であり、バイオリン本体の違いほどの違いを持った素晴らしい道具だと感嘆したのは30代に入ってからのことで、わたしが弓に目覚めたのは随分と遅かった。
まずは弓の違いをたくさん試してみなければ、まだまだ熟知できているとは思っていない。
トルテ、バザン、ウ―シャ、ユーリや新作の著名な作品と安物などを触った程度。
弓の重量バランスと時代やモデルの関係を面白がっていろいろ試してみている。
わずか3万円足らずで売買したクライスラーが所有していた弓製作者の息子の作品が妙に記憶に残っていて、一時期でもあの冴えた発音を経験できてよかったと思っている。
記事にしたとおりコーダのマーキスとユーリを弾いていて、最近はマーキスばかり使う。
しなりが極端に少ないカーボン特有のテンションなので、イタリア産のひっぱり弾性の大きさが最大限に発揮される。
圧倒的な音量の増大にともなって澄んだ音色がより大きく広がる。
ひっかかりがよくなるまで一週間かかると説明を受けたが、交換後すぐにとてつもないひっかかりを感じ、とにかく発音も音量も段違い。
弓を交換したり弦を交換したりして唖然とすることはあったが、これもまた。
黄色い無漂白の毛は間違いなく本物だ。
これがさらに馴染んでひっかかりがよくなるなんて胸躍りそわそわしてくるような。
ユーリもイタリア産にしようかと早速思案しはじめるが、ヤツはバロックの名残のある控えめでしっとりおとなしい弓なのであまり急ぐこともないかと考える。
昨今の生活費高騰はたいへんなもので、イタリア産馬毛に浪費するなんてケシカランというのが一応良識ではあるが、そこは価値観である。
きちんと寄付は寄付でするべきなのであり、音楽文化に経費をかけるのもまた重要な人道性の一部だ。
演奏も聴衆も人と音楽を共有したいという願いと行いは一定の寄付的慈善的要素を含んでいる。
よい楽器、弓、弦、パーツにほどよい経費をかけて人道的な人生になるように、さらに人道的な人間が増えるように、これからの残り少ない人生を送りたい。
政府の悪徳ぶり、商業主義の残虐性に対しては、厳しい眼差しで正しく批判していかなければならない。
そんな生真面目な話と同時に、弓毛の本当のところを趣味の豆知識として補足しておく。
半年したら交換しましょうというのは、本当はほぼ無意味。
松ヤニがキューティクルに付いているだけで、松ヤニを落とせばキューティクルが出てきてしっかり噛むようになる。
落とし方は簡単で中性洗剤ならなんでもよいので洗うだけ。
昔、節約術としてある業界の専門家から教わった裏ワザである。
かなりの弾き込みをやる学生や演奏家にはほぼ使えない手だが、趣味程度なら1年は余裕でキューティクルはもつ。キューティクルを消耗させるほどの技量があるアマチュアはそんなに多くない。
楽器店が儲からないと怒られそうだが、弦や他のメンテに経費もあるのでバイオリン人口維持のほうが先だろうと思ったまで。
さらに毛が馴染んだらイタリア産の感想をより繊細に追記してみたい。